「嫌ならはっきり断んなさいよ」
伝蔵からそんな言葉が飛び出して、辰弥はパチリと瞬いた。
食堂には二人きり。お茶を貰いに来たところに伝蔵が居合せて、座りなさいと促され今に至る。
伝蔵は辰弥が育った城に仕えていた頃を知る忍術学園で唯一の人間だ。
ここに導いたのも彼であるからか、どうにも辰弥は伝蔵に歯向かう気が起きない。毒気が抜かれるのだ。
だから彼が言わんとしている事を、何の話か分からないと他の相手になら混ぜっ返して煙に巻いた問いも、苦笑いと共に口を開くことしか出来なかった。
「伝蔵君こそ嫌じゃないの?」
「嫌なものかね。お前さんを拾って一日で見失った時、儂らがどれ程心配したか」
「見失ったなんてそんな。私は忍務の途中で」
辰弥の言葉を遮って、伝蔵はゆるゆると首を振った。
「儂はね、お節介と言われようとアンタの事を後悔してたんですよ。もし次に同じように誰か拾う事になったら…今度こそは生半可に放り出しはしないと思う程にはね」
伝蔵の優しい顔に、脳裏に浮かんでいるのは彼が連れてきたという半助の事かもしれない、なんて邪推しながら笑みを零した。
「もしそんな人がいたなら、その人はとても救われただろうね」
「まあ、それよりも本当に大丈夫なのか?」
仕切り直すように湯呑みを傾けた伝蔵に、なんとも面映ゆい気持ちで肩を竦めた。
「…正直なところ、分からない」
「私に遠慮はいりませんよ。まあ、お前さんも半ばうちの子みたいなものだ。儂らに義理立てて逃げれんと言うなら、あやつにも灸を据えてやらねばならん」
目を伏せて伝蔵の言葉を心の中で反芻する。染み入るような温かさは、今の生涯で伝蔵とその奥方だけが与えてくれたものだ。
その親切に背きたくないという気持ちはある。けれどそれを抜きにしても、どうすればいいのか分からなくなってしまっているのが本音だった。
「私は…忍は人に在らずと教わってきた。余計な感情を持つな、忍務に忠実であれ、と。だから彼の向けてくれる感情も、それにどう答えたらいいのかも…未だに分からない」
伝蔵は呆れたような仕方ないというような息を吐いて口元を綻ばせた。
「嫌じゃないんならそれでいい。変な義理立てをしてないというのも含めてな」
「最初こそ伝蔵君の息子だから、だったけれど…今はそれを抜きにしても大切にしたい。幸せになって欲しいなと、思っているよ」
厄災を負った自分からは離れて、もっと良い相手と幸せになればいい。これはずっと利吉に対して変わらない感情だ。
辰弥の顔を見て伝蔵がぱちりと瞬いて、にやりと口角を上げた。
「それなら儂から言うことはあるまい。しかしお前さんは忍だというのに妙な気品めいたものがあるな」
ちらりと伝蔵の意識が外に向いたのと食堂に向かってくる気配を感じたのは同時だった。
「それは、」
それは辰弥に素養を、道徳を、口の利き方を叩き込んだのが月影だからだろう。
「私が今はもうない城の姫だったからじゃないかな」
笑顔で朗々と告げる辰弥に、伝蔵は頭を抱え、今しがた食堂に足を踏み入れた乱太郎、きり丸、しんベヱは目をまん丸に見開いて大きな声を上げた。
「ええー?!」
**
「亡国のお姫様だそうで」
拠点に滑り込んできた影に肩を竦める。
「聞いてたの」
「今学園はその話で持ち切りみたいですよ」
如何せん、聞いていたのがあの乱太郎、きり丸、しんベヱなのだから無理もないだろう。
「冗談のつもりだったんだけどなあ」
「妙に説得力のある冗談はやめてくださいよ」
辰弥の隣に座った利吉は、何処か嬉しそうに笑った。
「父上と、何を話されていたんですか」
「ただの世間話だよ」
「そうですか。父上から改めて大事にしなさいと言われました」
何やら誤解と齟齬が多大にあるらしい。暫し読み込みに時間のかかった頭を振って、利吉に向き直る。
「なんでそんな話に…?!」
「辰弥さんが父上に私との交際を求めたんじゃないんですか?」
「そんな事しないよ…利吉君、君は私を放っておいた方が幸せになる。そんな話しかした覚えは無い」
後ろから抱き締められて、啄むような口付けの雨が降る。
「何度も言った通り、私は貴方と共になれるなら十分幸せです」
「物好きめ…っ、あ…こら…!」
「そのつもりだったんでしょう?」
性急に下半身を弄る手をべしんと叩く。
「君、ねえ…はあ。いいよ、今日は。伝蔵君の手前許してあげる」
「何でそこに父上が出てくるんですか」
あからさまに不機嫌そうな声に、身体を捩って利吉の顔に額を寄せて、ぴとりとくっつけた。
「抱かれたい?」
「貴方も往生際が悪いですね」
「そりゃ、私だって男だからね」
くすくすと笑うと板間に押し倒された。
「優しくします」
「出来もしないことを言わない方がいいよ」
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