006-010
006
死体と踊るワルツ (したいとおどる-)
箱、の中から、声がする。カタカタ、揺れる、音がする。もう声も聞こえなくなったはずの、きみの声がする。
ああ、ぼくは、ぼくは、それを悔やめない。嬉しいから悲しいそれを拒めない。もう声も聞こえなくなったはずなのに、きみはぼくに言うだろう。
「私を犯しても、私はあなたのものにはならない」
そうだよ、そうでなくちゃ。だからきみの亡霊も殺してしまわなくちゃ。でもそれでもきみはぼくのものになんかならないから。でもそれでもぼくはね、ぼくはね、骨になったきみすらも愛したいからね。
「私ね、あなたがきらいよ」
ああ、ぼくは、ぼくは、こんなにもきみのことを愛しているのに、きみは絶対絶対にぼくのものになんかなりやしないって言う。でもそれでも、ぼくはきみを愛してる。そんなにひどいきみがこんなにすきなんだ。ひどくなくったって、愛してるよ。ねえ。
「私という亡霊は、どうしたって消えないよ」
箱の中でさ、窮屈に縮こまったきみが言うんだ。カタカタ言うんだ。嘘でもいいから好きって言えばぼくはきみを放してあげるつもりなのにね。消えなくったって、放してあげるのに。
ねえ、きみは優しいね。死ぬほど優しいね、殺されて当然なくらい優しいね。
首を絞めてよ、通り抜けても絞めて、その優しさで絞めて、死んでしまっても文句は言わないよ。ぼく、さいごのときはきみを見ていたい。優しくてひどくて美しいきみを、箱の中ケタケタ笑うきみを。ナルシズムが鼻につく博愛主義なんかじゃないきみを、汚い肢体のきみを、はしたない優しさのきみを、ぼくのものにならないきみを。ぼくはね、きみは自由でこそ美しいと思うよ。観賞魚じゃないきみを、本当に心底バカみたいに美しいと思うよ。
「こんな箱の中でも、私はあなたのものにはならない」
ああ、駒鳥の鳴き声か、至上の楽器か、冥福の響きだ。
愚直な詩も、異端を気取る歌も、きみの囁きにはかなわない。その怨嗟は、ぼくには最高のラブソングだ。
きみはそんなことを言っているのに、たかが物に成り果てたきみにはなすすべもない。強情を食いちぎる瞬間は尊い。憐憫を突き破る瞬間は、転生の快感に勝る。ぼくの思慕できみの矜持を崩せるなんて、何よりも官能だ。
「私、私ね、ねえ、私、あなたがきらい」
いいよ、全部、全部、許してくれなくていい。ぼくがきみを見捨てたことも、犯したことも、殺したことも何もかも、許さないでほしい。謝るつもりだってないよ。
だからぼくを見ていて。その箱の中からずっと。ずっとずっと見ていて。ぼくだけを見ていて。
そしてラブソングをさえずって、一緒に地獄に落ちようね。
007
喧騒の花束(けんそうのはなたば)
ねえ、アネモネ。
僕らの愛は、死んだらどこへ行くと思う?
いや、どうやったら死ぬんだと思う?
僕らの屍がやがて住まうカタコンベ。そこに投じられた君たち以外、土の中に愛がないとして、愛はどうして死んで、どこへ向かうんだろうね?
ねえ、イチイ。
僕らの魂は、死んだらどこへ行くと思う?
体が死んでも、魂は不滅なのかな、本当に?
僕らの屍がやがて住まう石櫃。そこに投じられた君たち以外、冷たい石の中に体が朽ちるとして、魂はいずれ這い出て、どこかへ向かうのかな?
ねえ、マリーゴールド。
僕らの生とは、一体どういう事だと思う?
いつから生になり、いつまで生であるんだろうね?
僕らがいつか住んでいた揺り籠。そこに寄り添っていた全てのものたちが生を孕んでいたとして、それは全て胎盤の恩恵のみでしか生じなかったのかな?
ねえ、エニシダ。
僕らの夢は、ついえたらどうなると思う?
ついえることは死ぬことと同じなのかな?
僕らの屍はやがて業火に焼かれる。その場所に到頭ついえなかった夢がいるとして、それは僕らのように灰になるのだろうか?
ねえ、シラー。
僕らの心は、一体どこにあるのだと思う?
そもそも、心など存在しているのかな、本当に?
僕らの心臓も、脳みそも、血潮も、細胞も、やがて動かなくなる。その時、悲しみも喜びも怒りも寂しさも全てなくなるんだろうか。それが僕ら、こんなにも怖いのかな?
ねえ、シオン。
僕らの死とは、一体どういう事だと思う?
僕らは奇矯であり、いずれ束縛され、懶惰し、貧弱になり、無欲になり、孤独になり、不感になり、嚥下され、忘却される。その全てを死とするなら、僕らはみんな死んでいるんじゃないかな?
ねえ、アザミ。
僕らの衣は、どうしてか君に似ているよ。
裸でもきっと似ているよ。
僕らがいつか纏うようになった衣。それがどんな色でもどんな形でも、きっと君を模している。僕らも君を模している。だから僕ら傷付いて、そして誰も彼も傷付けているんだろう?
ねえ、透明で無垢で色とりどりの君たちよ。
僕らは冬を越える覚悟もせずに、懸命だろう君たちを易々と踏みしめて、まだ見ぬ春に恋をしている。
僕らがやがて風化し漂うあの日にも、僕らがいつか生まれいずるその日にも、君たちは生を孕み、死を待ち、夢も心も魂も愛も、全てを飲み干し揺れている。
それを、たしかに美しいと思う。
それでも君たちを殺してしまうのは、僕らの目に写り心や脳みそに滑り込む君たちが、少し五月蝿すぎるからだと思うんだ。
008
ほしめぐりのうた
いつもとなんら変わりのない仕事をやっと終え、僕は帰宅するためにぎゅうぎゅう詰めの中央線に乗り込みました。なんの楽しみもなく生きている僕にも、少しの癒しはあります。それは同じものばかり持って覗き込んでいる乗客ばかりの中、今時は珍しくなった読書をしてラッシュをやり過ごす女の子を一目見ることでした。もちろん同じ車両に乗ることばかりではありませんが、それでも週に一度くらいは清廉そうな伏し目を見ることはできるのです。肩につくかつかないかの柔らかそうな黒髪と、シンプルなメイクと、ページをめくる美しい指先は、僕にとってはこれまでの疲れすら忘れるほど神聖な光景なのです。その彼女を見つけてから数ヶ月が経ちますが、彼女の持つ本が変わることは一度もありません。少し色あせたカバーの、銀河鉄道の夜。そこまで長いお話ではないので、きっと何度も何度も繰り返し繰り返し読んでいるんだろうと思うと、僕はいつも、なんとも目の覚めるような恍惚を感じるのです。
これは恋だろうか、それとも単なる興味であるのか僕にはわかりません。僕は彼女の伏せた睫毛が持ち上げられて、いつか僕の方を指す瞬間をそれほど心待ちにはしていないのです。伏せたままで、そのままお互いに年を重ねて、いつまでもそこにあればいいと思うだけのことでした。黒曜石の瞳は美しいでしょう。そこにかかるうっすらとした水の膜は、きっと金剛石のように光を反射して、キラキラという音が聞こえるほどなのでしょう。ぱちりと瞬く時などは、氷砂糖みたいにルミネセンスの光が出るのではないでしょうか。
僕は彼女に、僕という存在を認知して欲しいわけではありません。けれど、一度だけ話してみたいのも本当のことでした。そして一度だけ、君と出会えてよかったと言ってみたいのです。僕が彼女にどれだけ救われているか、彼女の年季の入った銀河鉄道の夜が愛おしいのだと、それを伝えたいのです。
(ああ、そうか、彼女が愛おしいのだなあ)
きっと僕は、たとえ彼女と話せたとしても、それを必要としていないのです。ジョバンニがカムパネルラの星に想いを馳せるように、僕は彼女の伏し目に想いを馳せているのです。そうしてこの電車が僕にとっての終点に着くのを待っているのです。
(かえりたいなあ)
僕は僕の電子の切符を握りしめて、琴の星が遠ざかるのを見つめています。
きっと彼女もそうなのでしょう。
以降 漸次追加
BACK