リリー


私がこの世にとどまって、どれくらいの年月が過ぎただろうか。

初恋の人は、親友だった。黒曜石の瞳が何よりも美しく思えて仕方がなかった。彼女の初恋の相手は今は海の底で眠る私の兄。腰にさした洋剣には愛国の唄が染み付いていた。

その愛国の唄も今や駆逐され、薄っぺらな塊が蔓延る。兄と私に先立たれた父母も今は亡く、死んでから半世紀もふわふわ浮かび続ける私の拠り所は冷たい墓石だけになった。
手向けられた花は、三日で新しくなっていた。半世紀もの間、忘れることなく、欠かすことなく親友がこの墓所に鮮やかな花を運んでくれる。
親友はよく話した。今日は林檎を貰った、孫が結婚した、可笑しな夢を見た。花のように色とりどりの話を、彼女は墓石に投げ掛ける。聞こえないとはわかっていても、私はつい相槌をうつ。聞こえないはずなのに、彼女は昔のように笑うのだ。いくつ皺が刻まれても、声が嗄れても、ずっと変わらない笑顔。あの黒曜石の瞳を微かに輝かせて。
私はそれを見るたび、どうしてか無性に泣きたくなった。悲しくないのに。喉の奥がキュウと鳴って、圧迫されたように苦しくなった。

なにひとつ、自分の思うようにはなっていない。それが親友の人生。
幼い妹と父母のために養子にでて、決められた相手と結ばれ、その相手は別の女を作り、家の金を持って駆け落ちし、たったひとりで子供を養った。彼女が泣くのは、私の墓石の前だけだった。子供の前ではいつでも明るく笑っていた。私の前では、よく兄の話をした。そしてもう一度私と兄に逢いたいと溢していた。淋しそうに。

最後に親友が花を持ってきてから1週間が経とうとしている。どうやら前々から病に蝕まれていたらしく、今は寝込んでいるようだ。
彼女の家は知っている。砂場とベンチとごみ箱しかない公園を左手にまっすぐ進んで、その先の三叉路で右の道を選ぶと古い木造の家が建っている。彼女の家だ。
布団に横たわって穏やかに呼吸を繰り返す彼女を一目見て、私は悟ってしまった。彼女はもう二度と、私の墓には来ないだろう。

私は彼女の枕元に腰を下ろすと、そっと頬に触れようとした。けれど私の生白い指は、彼女の頬に触れることなくすっと通り抜けた。
この世にとどまっているつもりでも、やはり私はこの世にはいない。触れることはできないし、話すこともできない。わかっていたのに、どうしても悲しくなった。
もう一度、今度は通り抜けないように、そっと、そっと手を添える。

ねえ、ユキさん、私、あなたが好きよ。ずっと、ずっと、きっとこれからも。

深く刻まれた皺を、指でなぞる。親友の額に、ぽたりぽたりと涙が落ちた。

「サヨちゃん、」

あの黒曜石の瞳が見えた。ずっと変わらない美しさで私を見つめている。いくつ皺が刻まれても、声が嗄れても、変わらない笑顔。綺麗な目が、微かに輝いている。

「ユキさん、私、あなたが好きよ」

「知ってたわ、ずっと」

「ええ、ずっと、これからもずっと」

「親友ですもの」

深く刻まれた皺の奥で輝く瞳が、優しく揺れた。手を握って、花のように色とりどりの話を聞く。たまに相槌をうつと、彼女は昔のように笑った。
もうとどまる理由はない。





(おしまい)




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