あなたを愛するいきもの
ヒワコは大層気が強く、そしていつも小気味のいい笑顔を浮かべていた。私といえばその後ろに付いて回るばかり。幼い頃、気が弱くていじめられがちだった私を守ってくれていたのは彼女だ。いじめられなくなってからも、彼女はよく私を気遣ってくれた。
「ねえ、人間の愛に終わりはあると思う?」
二次性徴を迎えた頃、ヒワコが学校からの帰り道で言った。
当時私は夢見がちで、家族愛だけならず、恋人同士友達同士の愛にだって終わりなんてないと思っていた。
全てのどんな事象にも、須く終わりが来ると知らず。永遠なんて、それこそ絵空事だと知らず。
「愛が終わるなんて、全部が嘘みたいじゃない」
「…私ね、父さんを愛してたの」
彼女は、父親に虐待されていた。
殴られ蹴られ、犯されるなんて、地の果てみたいなことは日常茶飯事。だからヒワコは父親を愛してなんかいないと思ってた。
でも、ヒワコは父親を愛していたと言った。前を向いていた私は、それを聞いた瞬間にヒワコを見た。いつもの小気味のいい笑顔なんてなく、ぽっかり空いた穴でも見ているような虚ろな表情。
恐ろしくも、美しかった。
「ヒワちゃん…?」
「アザミ、駄目なの、もう駄目なの…お願い、手伝って」
そんな表情で私に縋ったヒワコに、何を言うでもなくただ頷いた。
その日、ヒワコは荷物をかき集めて最低な父親の元から逃げ出した。数年前に浮気相手と駆け落ちした母親の実家に転がり込み、ヒワコの祖父母はヒワコが一人立ちする日まで彼女をうまく隠し通した。
「結婚するの」
ヒワコらしくない、はにかみ笑いでそう告げられたのが1年前。私も実家を離れて仕事をしながら一人で暮らすようになっていた。幼い頃からの親友らしく、結婚式でも挨拶をした私に、彼女はブーケを投げた後に抜き取っておいた一本の白い薔薇を渡してくれた。
「この一本に私の想いを込めておいたわ、他の花やリボンに価値なんかないの、アザミ、あんたも絶対幸せになるのよ」
「ありがとう、ヒワちゃん」
でも慎重に世話をしたその花も、少し経てば枯れて、まるで別のものになったようだった。
私は、ヒワコが好きだった。
友愛なんてものでは収まらないくらい強烈に、彼女を愛していた。
結ばれたいとは思うけれど、ずっと苦しんできたヒワコがあんなにも幸せそうに笑うなら、私だってそれだけで幸せになれた。ヒワコが、幸せそうに笑うなら。
「ねえ、人間の愛に終わりはあると思う?」
そう言ったヒワコの唇の端には、血が滲んでいる。つくづく可哀想な女だと思う。愛した男に、いつもいつも裏切られて。
結婚してから半年ほどすると、ヒワコの夫は本性を出し始め、ヒワコは毎日のように殴られるようになった。
「昔は終わりなんてないと思ってたの、ヒワちゃん、でも、きっとどんなものにも終わりは来るんだね」
「うん…私ね、あの人を愛してたの」
ヒワコが幸せそうに笑うなら、私はなんだってよかった。
「アザミ」
私から易々と奪っておいて、幸せそうな笑顔すら奪っていく男が憎くて仕方がない。要らないのなら私に頂戴。傷つけるのなら私に頂戴。私なら愛せる。この愛にも終わりが来るというなら、その前に死んでやる。
「アザミ、お願い、もう駄目なの」
「ヒワちゃん」
「あんたの気持ちを知りながら、それを利用する私を許して」
「…愛してるわ、ヒワちゃん」
「アザミ、私と死んで」
ヒワコらしい小気味のいい笑顔で、涙声がそう告げた。いつだってその優しさは美しかった。だからヒワコを愛していた。今も変わらず、恋しくて愛しくて切ない。
「ヒワちゃん、」
「アザミ、大好きよ、これは友情だけど、こんな卑怯な私を愛してくれてありがとう」
「ヒワちゃん、人間の愛に終わりが来るなら、私はもう人間じゃなくなったっていいの、あなたを愛せるなら、愛し抜けるなら、獣でも鳥でも虫でも怪物でもなんになったっていいの」
全てのどんな事象にも、須く終わりが来るっていうのに、私の初恋には終わりのにおいすらしない。ただそれだけが怖かった。怖いと思うのに、終わる前に死ぬとわかると、もう髪の先すら震えない。わかっていたけれど、終わらせたいなんて微塵も思えない。
そっと手を繋ぐ。白んだ指先は相変わらずいとおしかった。
(おしまい)
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