瞼
「ひどい自己愛が溢れているだろう、未知にも近い哲学や美学や心理が傲慢に窮屈に押し込められているだろう、無知の罪すら知ることのない恥が蠢いているだろう、憤慨するべき孤独が這っているだろう、死滅を待たない揶揄が滴っているだろう、忘却という烏滸がましい産声も消えていないだろう、怠惰も懶惰も居座っているだろう、緩慢な夢が寝そべっているだろう、見えない目が、触れられない指先が、震えない喉が、届かない舌先が、聞こえない耳が、進まない足が、怖じ気付く心臓が、羽ばたけない翼が、君をひたすらに苦しめて殺そうとすらするだろう、単純であるのに簡単ではない生が有限をまざまざと叩きつけるだろう、けれどそのすべてを咀嚼しないかぎり君は成り立たないんだ、愛憎も憐憫も孤独も辛苦も艱難も、すべては裏表、そして来る死の床でいつか君は君自身を見る、ひとつの星を、過去と現在と未来が交わるただひとつの場所を」
それは、足音だった。カツカツ、コツコツ、ヌタヌタ、ベソベソ、こちらに近付いているようにも聞こえるし、遠ざかっているようにも感じる。忌まわしい音。
ただ水の中を、空の中を泳ぐばかりの生き物であったなら、足音ではない別の音だったろうか。けれど違うのだ、人間の足音でもないのだ。異形と言うにはあまりにも親しく、人間と呼ぶには形が足りなかった。
雌雄もなければ持つべき面もない、ただ足音ばかり、獰猛な爪ばかり、名はいくつもあった。呼ばれる名で姿を変える。けれど残す真実はいつだって同じ形だ。醜悪で気高く、唯一絶対の形だ。
けれど待ってくれ、みんな嫌ってやらないでくれ。けれど生き物であるために恐れてくれ。憂いてくれ。本質はひとつだけ美しい姿なんだ。受け入れずとも、耐えきれずとも、寄り添っていくべきなんだ。
『僕は今、死の床というものにいるのだろう。
よくわかる、聞こえる。
すっかり聞こえなくなってしまった耳に心地よい友の声。
死を目前にして、こんな馬鹿げた手紙を書くなんてと思うだろう。
けれど僕は死が怖い、こんな馬鹿げたものにすがりつくほどに、打ちひしがれている。
君たちが(これを読む人間がいるかは知らないが)人間であるなら、生き物であるなら、この感情は充分過ぎるほど充分に理解してもらえるだろう。
死を目前に、わかったことがある。
人間は人間という動物だ。
だから生まれもって遺伝子に刻まれた動物的な本能がある。
思えば生存本能や生殖本能、そんなものを鑑みると自殺者や同姓愛者、はたまた不能などは動物的出来損ないなのだろう。
僕は彼ら彼女らを否定したい訳じゃない。
本能よりも理性を重んじるような貞淑(これは皮肉のつもりだ)な社会において、原種の本能に打ち勝つという強靭な人間的人間性を保持している奇特な例だと思うのだ。
だが死は平等だ。
この世で何よりも僕らを平等に扱ってくれる存在だ。
嘘も吐かない、人間が作り出したような曖昧な存在でもない、そして死の前に立たされたら僕らはみんな悲しくひとりぽっちなのだ。
死だけがただひとりの友となる。
生と死のことを考えれば、生きている間の僕らとは生そのもので、そして見えないように寄り添っていた死が手を差し伸べるだけだ。
目を閉じるたびに見える、優しい声、浅い呼吸、途切れた道。
過去と現在と未来が交わる場所はここだと死が告げる声が聞こえる。
瞼。』
みんな嫌ってやらないでくれ。何人も何人もの友人を迎えにいく死の淋しさを、嫌わないでやってくれ。愛さずとも、受け入れずとも、耐えきれずとも、それでいいんだ。生き物として、動物として、怖れるべきだ。どんな生き物も、最期の瞼と寄り添っていくべきなんだ。
(おしまい)
酒が入るとひどい
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