死に際のモノローグ
ひとりでいるのは淋しいとわかっているのに、わたしはいつでもひとりで生きているように感じてしまう。ひとりで立っているわけじゃないのに、わたしはいつでもひとりで生きている気になっている。ひとりで生きていけるはずがないのに、わたしはいつでも誰かを拒絶してしまう。
ひとりきりではたったひとつの心臓すら守れないとわかっているのに、わたしはいつでも、ひとりで生きていけたらと願ってしまう。そしていつか、ひとりで死んでいけたらと、祈ってしまう。
「冷たい顔をしているけれど、きっと本当はすごく優しい子なんだろう」
ちんけな、たかが数センチのプライドにしがみついて守ろうとするわたしに投げられる、ある意味では絶望的な言葉。わたしが優しくできるのは、わたしに優しいひとにだけ。それは実は本当の優しさではないとわかっているから、いつもどんな顔をしたらいいのかわからなくなる。だって本当に優しいひとは強いのに、わたしは虫けらに嘲笑われるのがお似合いの弱さで、ひとりを受け入れたフリをして淋しいと泣く馬鹿だ。
「弱さは罪ではないでしょう」
それは、そうだ。
けれど、弱さを知って強さを求めないのは愚でしかない。わたしは愚かだけれど、強くなりたいと願って誰かに縋り、それでも信じることはしない、そういう愚かさだ。
ひとりになりたい時も、誰かといたい時も、ひとりでいる時も、誰かといる時も、いつでもひとりぼっちだけに向きあっていた。わたしの目は誰も見ていない。ただ自分だけを見てる。わたしはわたしに優しくないから、わたしもわたしに優しくない。だけど甘やかしている。
「恋は人生の彩りよ、恋をしなければひとに生まれた意味がない」
至上のものと妄信して、恋に股開く人間はそう言う。
ひとは好き、でも恋はどうでもいい。恋に身を委ねなければひとではないなら、わたしは畜生でいい。ラブソングを噛みちぎる畜生でいい。月夜に蹲る虫でいい。ひとの皮を脱ぎ捨てて、どこかどこにでも飛んでいきたい。
だけどわたしに翼はない。たとえ翼があったとして、わたしは飛べない。死にゆく鳥のようだから、ひどく無様で、かなしい。
「かわいそう」
どうして?
わたしはかなしいけれど、自分を憐れむ気はない。
無様で無骨で、ひたすらにかなしいわたしの翼は、憐れまれると千切れてしまう。みんなみんな勘違いしてる。
誰かをかわいそうなんて、ただのあぐらをかいた傲慢でしかない。それを決めるのは本人なのに、憐れむだけでかわいそうのステッカーを貼りたがる。
たとえ飛べない鳥が死んだって、少女がひとり潰えたって、なにも愛せない人がいたって、本人が自分をかわいそうと思わない限り、それはかわいそうではない。頭をねじ込む見下しは、よくない。簡単に人をくるしめる。そうじゃないの。見下すならなにもかも言わずにいるべきでしょう。
「翼をちぎられたいのでしょう」
わたしは、
「どうせ自由に飛び立てないのなら、いっそちぎられてしまったと錯覚してしまった方が楽だもんね?」
わたし、
「どうして未だのうのうと生きているの」
わたし
「飛びたいなら飛べばいいのに、そう願ったのはあなたなのに、どうして息を忘れたフリをして、死んだフリして生きているの」
わたしは死にたくなんかないの!
だからここに立っているのに、そうして覚悟を揺らすからわからなくなる。
要らないならそう言ってよ、揺らがない覚悟をつくるから。邪魔ならそう言って、わたしは息を殺して、ただ目を凝らして、安寧を探したいだけなの。
でもね、あのね、わたしに要らないと言うなら、神秘を語ってでもわからせて。邪魔だと言うなら、わたしの前に立たないで。わたしに必要なのは、わたしだけ。わたしの邪魔をするのはみんな全員全て。
落ちている全ての可哀想なものを拾いたくても、わたしには踏み潰されるべき道端の虫ケラにしか見えない。
だからわたしは飛べない。わたしも、踏み潰されて内臓を吐き出す虫ケラでしかないから。みんな同じ、だから誰も飛んでない。孤高を着飾るだけで、形のない安寧を掴んだフリをして、そうして誤魔化しながら生きている。
あなたたちもかわいそう、そういうステッカーを貼られていて、共感も同情にすり替わる世界で生きている。
「安寧とは月と同じ、やがて翳って落ちていくのに、幸せな時を見つめるだけなのはかなしいよ」
そう、そうなの。
水面に映った月みたいに揺れてばかりの安寧に身を任せて、やがて落ちる時をみようともしない。そんなの、そんなのって馬鹿みたい。
だけどそれ以外の生き方なんて、誰も知らない。薄ら氷の安寧だって、それでもいいから手に入れたい。
「馬鹿だね、死んだって手に入らないものは、永遠に手に入らないのよ」
馬鹿なのはみんな一緒。愛が欲しいのも、満たされないのも、みんなみんな一緒。
だからいつか来る永遠の安寧まで、馬鹿面晒して生きている。
(おしまい)
またもブレッブレ
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