誰かのための誰かのための誰か


 私が微睡んでいたのは、いわゆる普通の、普通の幸せというもの。
 誰かが言うには、案外難しいとされるその普通の幸せを、当たり前みたいに享受して、そうして生きてきた。なんのドラマもない、透きとおった、正しい幸せ。凡庸な幸せを築いた両親に愛されて、良き友人に出会い、いくつかの恋をして、良い人に出会って、両親と同じような凡庸な幸せを築いた。穏やかで優しい、そういう幸せだった。

「幸せなフリをして、」

 吐き捨てる声。

 私が夢に見るのは、あの子、あの可愛い女の子。
 あの頃のまま、あの制服のまま、可愛いその顔を引きつらせて、私に吐き捨てていく。きっとドラマみたいに、爛れても美しい愛を育んだろうあの子。彼と深く愛し合っていた、美しい少女はあの時のまま、少女のまま私の中に息衝いている。あんなにも憧れて、あんなにも羨んだ、全て持ったまま死んだあの子。死んでくれたのに置いていってくれなかった、あの子。

「きみがすきだよ」

 優しい声。

 私を幸せにしてくれた、あの人、良い夫で良い父でいてくれる人。
 あの子をどれだけ羨んでも、私たちは確かに愛し合っている。どんなドラマでもないような、正しい穏やかな愛が、私たち家族の間には咲いている。あの人に似て、優しく育つ子供も、とろけるほど優しいあの人も、間違いなく愛している。優しい微睡みをくれる、普通の幸せだ。それらを私に与えてくれた、あの人。

「うらやましい、」

 幼い、あの日。

 微睡んでいる。普通の幸せの中で、烈しい夢を見る。
 あの子と同じ制服を着ていた頃、私は普通の女子高生だった。あの子は私の高校で出来た親友。そして彼は、あの子の幼馴染み。すぐに仲良くなって、よく三人で遊んでいた。
 仲良くなったから、わかった。あの子と彼は、深く愛し合っている。私が入る余地なんてどこにもない、そういう、完成された愛だった。二人を分つものはなにもない、そういう愛だった。きっと、死すらも。

「あの子を愛してる」

 確固たる声。

 彼の、何も揺らぐことのない声は、いつだって私を揺らした。道ばたにゴミのように打ち捨てられ死んでいた彼女を、いつまでもいつまでも、馬鹿みたいに愛していた彼。
 彼が天涯孤独になった後、私は何度か、未だあの子を愛しているのかと聞いた。返ってくる言葉はいつも同じ。
 二人の間の愛を証明して見せるかのように、あの子だったものを最初に見つけたのは彼だった。あの時降っていた雨とも、あの子の血とも、得体の知れない体液ともつかないなにかでびしょ濡れになったあの子だったものを抱きしめて、泣いていたのをよく覚えてる。涙であの子はまた濡れて、あーあ、可哀想。
 どこの馬の骨かもわからない誰かに、無惨に犯され、殺された、可哀想で憎しいあの子。

「わたしはね、まだいるの、彼の中にも、あなたの中にも、生き続けるのよ」

 薄ら寒い、汚い声。

 可憐な少女は、可憐なままなのに売女みたいな目をしてる。美しいまま穢れて死んでいったあの子は、たまに私の中を泳いでは吐き捨てる。幻想なんて、馬鹿みたい。そうして自分がされたみたいに、私の秘所にあるあえかな思い出を穢していく。私だけのものなのに。

「愛してるわ、ねえ」

 薄ら寒い、けれど本当の声。

 あの子も、彼も、大好きだった。あの人を愛している。この幸せを、愛しいと思う。全部、本当に本当の本心。優しい微睡み、正しい幸せ。夢を見てしまうのはなにも、私が業突く張りだからじゃない。
 鮮烈に死んだあの子も、ただ強烈にあの子を愛していた彼も、本当は美しくなんかない。骨を喰むだけの、肉を裂くだけの、心を犯すだけの、正しくない愛を育んでいた。
 でも私には、この世の何よりも尊く見えた。ぐちゃぐちゃのあの子を、羨ましいと思ってしまった。つまらない凡庸な私。

「きみがすきだよ」

 優しい声。

 私が微睡んでいたのは、いわゆる普通の、普通の幸せというもの。
 汚いあの子と、正しくない彼と、あの日の思い出だけ。それだけが、凡庸な私に、真っ黒なシミみたいにこびりついている。それだけが、凡庸な私を凡庸な私らしくなくさせている。
 穏やかで優しい、そういう幸せを愛しいと思う。だけど私の脳裏には、あの日のままあの子を愛し続ける彼がいる。決して私を愛してなんかくれない彼が、いまだ消えずに染み込んでいる。
 凡庸で穏やかで優しい、普通の幸せを夢にして、私はただ、まだ、ずっと、あの日の中に心を生かしている。だから私は、正しく、微睡んでいるの。凡庸な夢に微睡みながら、ずっと彼を想っている。





(おしまい)

うっわなにこれ不愉快




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