永遠に手の届かない永遠
初恋は中学生の頃だった。友達が黄色い声で騒ぐような、格好のいい男の先生もいた。けれど、それでも私が好きになったのは真っ白な肌に真っ黒な髪の、今にも消えてしまいそうな女の保険医だった。初めてせんせいを見たときに白雪姫を思い出したのを今でも覚えてる。せんせいはいつも真っ赤な口紅を塗っていて、それが真っ白な肌にすごく似合っていた。あの赤い唇と、キスがしてみたい。そう思ったのが自分の気持ちを自覚したきっかけ。私はそういう人種なんだってわかってしまえば、さほど悩みはしなかった。ただどうしたらあの赤い口紅を奪えるのかを考えてたら、せんせいの笑顔と一緒に左手の薬指に光っていた綺麗な銀の指輪を思い出して、古典の授業中だったのにも関わらず私は泣いた。わんわん泣いた。教えてた教師も戸惑って、私を保健室に連れていってくれた。でも、逆効果。見たくないのに確かめるように左手を見てしまって、完全に泣き止めなくなった。それが初めての恋で、初めての失恋。
高校に上がったら、随分と用心深くなったように思う。だって私は男の子じゃないから、好きになっても伝えられない。伝えたらきっと困らせる。直情型で、思ったことがすぐに口に出てしまう私だ。好きになってもいけない。
『あの子ってさ、なんかすましてて嫌な感じだよね』
線を引き続けていたら、ひとりになった。
淋しいけれど、これでよかったのかもしれない。女の子たちがああして醜く私を睨んでる内は、誰も好きにならないで済むんだから。
でも駄目だった。一番醜く私を睨んでいたはずの、クラスのリーダー格の子。その子を好きになってしまった。
あの子が花や動物に向ける笑みが、この世の何よりも美しいことを、知ってしまったから。浅見さん、前の席の浅見 鈴子さん、その笑顔も、鈴のように綺麗な声も、意思の強い瞳も、女の子らしく可愛くあろうとするところも全部全部好き。
私が他の女の子と違うのは好きになる子の性別だけで、好きな子とやりたいことはなにも変わらない。手を繋ぎたい、抱き締め合いたい、キスだってしたいし、セックスもしたい。でも、ずっと胸の奥に秘め続ける私のこの想いを、誰が不純だって言えるだろう。私は、この世の誰よりも純粋に、浅見さんを想ってる。
「ちょっといい?」
浅見さんが不機嫌そうな顔で、私を睨んでる。連れられるまま着いていくと、人気のない所で浅見さんがこっちに振り向いた。
「なにか用?」
「私、夢野くんが好きなの」
何の準備もないまま、静かに爆弾を落とされる。教室で泣きわめいたあの日を思い出して、少し顔が歪んだ。
なんで、それを私に言うの。
「…それが?」
「でも、夢野くんに告白したら、あんたが好きだからって…気に入らないのよあんた」
「…そんなこと言われても、」
困る。
私は、今どんな顔をしているだろう。きちんと無表情を繕えているだろうか。あの日みたいに、泣かないだろうか。
「んで、あんたなの!?私の方が夢野くんのこと好きなのに、私の方が、なんで!」
浅見さんは泣きそうな顔で私を睨んで、怒鳴る。あんなに綺麗に笑うのに、今は影も形もない。
私が泣きたい。
私の方があなたのこと好きなのに。ただ女ってだけで、こんなにも救われないのに。
「あんたなんか……どうしてあんたが泣いてるの?泣きたいのは私の方、あんたに泣く権利なんかないのにっ!」
フラッと、体が動いた。
私は浅見さんが好きだし、だからこれ以上ひどい言葉を聞きたくなかった。
そうっと浅見さんの頬を両手で包んで、蓋をするようにキスをした。
最初は状況が掴めなかったみたいで、呆然と目を開いて私を見てた。二人とも目を開いてるなんて、ムードのないキス。次第にキスをされてると気付いたのか、大きな目を更に大きく開いて、私の胸を叩いた。
痛い。
よくわからないけれど、叩かれる前からずっとずうっと痛かった気もする。
「っ、なに、してんの、こんな、女同士で、」
痛みに耐えきれなくなって浅見さんを解放すると、まだ戸惑ってるのか、私を責める言葉はぶつ切りだった。
「なにって、キスよ」
「そんなのわかってる!どうして、こんな、嫌がらせのつもり?」
嫌がらせだと言って欲しい、そんな声、そんな顔。
きっと、浅見さんは気付いてしまったんだろう。私が泣いてるわけに、私の瞳から滲むものに。
喉が、悲しく震える。
「嫌がらせなんかじゃない、私は、浅見さんが好きなの、どうしようもなく、好きなの」
「…おかしい、わ、こんな、女同士で、不潔、変態!」
浅見さんより私の方がよく知ってる。拒絶されることの怖さを。
最初から、好きな子を困らせたくなくて用心していたわけじゃない。きっと、私は知らないのに、この瞬間が死ぬほど怖かったんだ。
「…好き」
「気持ち悪いんだよ、死ね!」
すがりついて、あの日みたいに泣きわめきたい。
どうしてこの想いは罪深いの?もう子孫なんて充分でしょ。多すぎるでしょ。なのにどうして許されないの?どうして報われないの?どうしてそんな顔をするの?
「ねえ、知ってる?女の子の恋はね、どんな形でも、いつでもいつまでも無垢のままなの、あなたが夢野くんを好きなのと私があなたを好きなのになんの違いがあるの?ねえ教えて、お願い、教えてよ」
しゃらり、視界の端で髪が揺れる。
真っ黒な、せんせいと同じに真っ黒な髪の毛。思い出してしまうから嫌いだった。
永遠に届かない銀の指輪。ずっとずっと私を縛り続ける赤い口紅。
全てを捧げても、指すら触れずに壊れもしない。
私も、あの指輪が欲しかった。あの唇が欲しかった。あの子が欲しくてたまらない。
(おしまい)
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