天才少年と…
アメリカ・マサチューセッツ州
テレビから女性のアナウンスが流れている。
それをラジオ替わりにしながらパソコンから目を離さずキーボートを弾き続ける少年が一人、広く暗い部屋にいた。
彼の名前はヒロキ。
マサチューセッツ工科大学に通う10歳の大学生だ。
テレビの中のアナウンサーもヒロキの事を説明していた。
彼が開発したDNA探査装置や手掛けている人工頭脳の事。
そして彼を全面的にバックアップしているシンドラー社長のことも取り上げられた。
『ヒロキ君の両親は2年前に離婚し、ヒロキ君は父親と別れ教育熱心な母親に連れられアメリカに移住しました。シンドラー社長は母親も病死して天涯孤独な身の上となったヒロキ君の親代わりとなりました』
アナウンサーの言葉に少しだけ眉間に皺を作ったヒロキはギュッと目を閉じ、開くと真剣な表情でキーボートを弾き続けていく。
そんな彼の様子を背後にある通気口に設置された監視カメラ越しに眺めている机の上に足を放り出している男だけだった。
『人工頭脳ノアズ・アークは人類史上最大の発明になるだろうと言われ、ヒロキ君は厳重なセキュリティの中に置かれています。普通の子供のように公園で遊ぶ事も許されません』
そこからノアズ・アークの説明を終えると同時にヒロキはテレビの電源を落とすと、手掛けていたシステムが完成したのか微笑むもすぐにカメラの存在に気付き、その笑みは消えた。
ヒロキは意を決したようにたんっとエンターキーを弾いた。
するとパソコンの画面から強烈な光が放たれた。
監視室ではビービーと警告音が鳴り響き、先程までダラダラとドーナツを頬張っていた男が焦ったように内線で報告をする。
その様子を一人の警備員が盗み見し、襟元に着けた小さなマイクに囁いた。
「映像のハックを始めます。お急ぎを」
そう言ってポケットに入れた装置のスイッチを入れた。
監視室にいた男からの報告を受けたシンドラー社長は護衛のSPを連れ、ヒロキの元へ向かう為にエレベーターに乗り込んだ。
シンドラー社長の表情は険しく、カウントされていく画面を睨み付けていた。
電気の着いていないヒロキの部屋ではパソコンの画面に【ノアズ・アーク 出航】と表示された事を確認したヒロキは安堵の息を吐き、別れの言葉を呟いた。
そしてシンドラー社長がヒロキの部屋前に到着し扉を開けようとドアノブを回すも扉の前に椅子が置かれており、鍵を開けたとしても椅子のせいで部屋に入れない状態になっていた。
「開けなさいヒロキ!何をやっているんだ!ヒロキ!ヒロキ!!」
扉の向こうから聞こえるシンドラー社長の声と扉を強く叩く音を無視するようにベランダへと出ていく。
ベランダにはブランコや滑り台など公園にあるような遊具が設置されていた。
ヒロキはそれには見向きもせずに堀の上へと上がり、柵を超えて綺麗な都会の夜景を眺める。彼の表情は悲しそうに歪められている。
「……僕も、ノアズ・アークみたいに飛べるかなぁ」
「いいや、君の背にはまだ小さな翼しかない。この空を飛ぶにはまだ力不足さ」
「誰!?」
誰もいないと思っていたのに、横から答えが返ってきたことに驚いたヒロキは驚き、咄嗟にそっちに顔を向けた。
そこには一人の男性がヒロキと同じように立っていた。
しかしヒロキはこの男性を部屋に招き入れた覚えは無いし、見たこともない。
「だ、誰?どうやって、ここに…?」
「私がここにいる答えかい?とても簡単だ。自由に飛ぶための翼を持っていたというだけだ」
ニコリと笑う男性にヒロキは何を言っているのだろうと思いながら男性を見る。
「さて、君はここから飛んで自由になりたいのかな?」
「うん。……もう嫌なんだ」
そう言ってもう一度夜景に目を向けるヒロキ。
友人と呼べる人もおらず、外で隙に遊ぶことも出来ず、毎日システム開発を強いられるだけの生活。
僕の為だと言う母に連れてこられたアメリカ。
勉強熱心だったが、ちゃんと僕の事も愛してくれていたのは知っていた。なのに病気で死んでしまったことは信じられなくて、とても悲しかった。
じわりと滲み出てきた涙をそのままに男性の方を向いて笑顔を貼り付ける。
「だから、ノアズ・アークのように飛ぼうと思ったんだ!」
その言葉を聞いた男性は笑みを深めるとヒロキの耳元に口を近づけ、秘密を囁くように言った。
「ならば、私が君に翼をあげよう」
その瞬間、ヒロキの体は暖かい腕に抱き締められ、浮遊感に襲われた。
翌日の新聞やテレビでは若き天才の自殺が大きく取り上げられた。