月一でマリー・アントワネットが開いているサロンには、何を差し置いてでも参加するようにしていた。サロンと気取った名目をつけられているものの、その実態は女性サーヴァントたちの交流……もといただの雑談で、女性でもなければフランス出身でもないトリスタンが参加に至ることとなったのはマリーとその親衛隊の面々が最近妙に忙しそうに、けれどもとても楽しそうにして見えたから声を掛けてみた時のことだ。
「うふふ、実は近々カルデアの空き部屋をひとつ頂けることになったの! サロンが欲しいって私が言ったら、ドクター・ロマニがわざわざ掛け合ってくれたのよ。なんて素晴らしいのかしら! サーのような硬派な騎士様はお分かりにならないかも知れないけれど、食堂や廊下でお喋りするのと、きれいなサロンでお話するのは全くの別物なのよ!」
と白百合の王妃が茶目っ気たっぷりに目配せなどくれたので、
「キャメロットにサロンはありませんでしたが、姫君たちにお喋りが不可欠なことは私も重々承知しています。何せこのトリスタン、キャメロットで最も女心に聡い騎士とも呼ばれていましたので」
などと話を盛ったところ、マリーは「サー・トリスタンも是非サロンへいらして!」と目をきら星のように輝かせた。「ええ、必ず」とは言ったもののリップサービスだろうと思っていたところ、数日後に本当に百合の封蝋が捺された招待状が届いた。余談だが生前からトリスタンにはこういうことがよくあった。
サロンでは必然的に女性たちが主役となる。中心に据えられた大きなテーブルには人数分の紅茶と夢のように積み上げられた焼き菓子やカットされたフルーツ。いつもよりちょっとおめかしした女性たちは他愛のない歓談に花を咲かせている。トリスタンはアマデウスと共にBGMを担当している。アマデウスのピアノが終わり次第、交代して今度はこちらが弦を鳴らす運びだ(役割が与えられればきっとまた呼んでくれるだろうと目論んだ、その通りになった。アマデウスは含み笑いしながら『うまいことやったな』と肩を叩いてきた)。アマデウスやトリスタン、その友人枠としてちゃっかり潜り込んだランスロットやガウェインは、女性陣から話を振られない限りは壁際にて彼女らをゆるりと目の保養にする。その光景はトリスタンとランスロットにとっては一生眺めていられそうなほど素晴らしいものであったが――ベディヴィエールにとってはどうも違うらしい。
「そろそろ帰っていいですか?」
「駄目に決まってるでしょう」
死んだ魚のように暗い目をしているベディヴィエールの質問を一刀両断した。作曲者アマデウス本人の手によるアイネ・クライネ・ナハトムジークの旋律が添えられ、もはや理想郷にも勝るだろう華麗な情景を前にして、よくこんな顔が出来たものである。ランスロットがそっとトリスタンの肘をつつき『ベディヴィエール卿は枯れておられるのか?』と言いたげな視線を送ってきたので、小さく顎を引いて『大体そうです』と肯定した。
「アントワネット王妃のご要望は私の紅茶だったのでしょう? 最初の一杯だけで構わないとの仰せでしたし、ならば私は用済みのはずです」
ベディヴィエールのぼやきをランスロットが鼻で軽く笑った。
「全く、純朴なベディヴィエール卿はこれだから。紅茶などただの口実に決まっているだろう。今日はガウェイン卿の都合がつかなかったから、その代理として卿が呼ばれた。これが実情だ」
「となれば、私は一体これからどうすればよろしいので?」
「ベディヴィエール。私たちはただ居るだけでいいのですよ。我々が彼女たちを目の保養にしている時、彼女たちもまた我々を目の保養にしているのです」
「ニーチェのつもりですか?」
「我々にとって女性とは正に深淵。ふふ。私は楽しい……」
空虚なまでに中身の無い問答をしていると、不意にサロンの扉が開いた。数々の馨しい香水を上書きするようにふわりと花の香が拡がったので(そこまで強い匂いではないのに不思議だ)招かれざる客の正体はわざわざ見るまでもなく全員が察することとなった。
「――おや、これはまた理想郷にも勝る素晴らしい光景だね。小鳥のような姫君たちの可憐なさえずりに横槍を入れるのは本望ではないのだけれど……。ベディ、マスター君が呼んでいるよ」
「承知致しました。各々方、失礼ながら私はこれにて」
ベディヴィエールは潔く立ち上がって一礼、扉の前でもう一度深礼すると、後腐れない様子で部屋を出ていった。それを見送るとマーリンは臆することなく(むしろここぞとばかりに)女性陣の輪に割って入る。
「姫君方、どうかご心配など召されませんように。ベディヴィエール卿の代わりはこのマーリンめが務めましょう」
抜け目なくそう提案したが、
「ありがとう。でも、もうお開きにするところだったの」
と。半分以上残っている菓子を尻目に、マリーは春風のように軽やかに躱したのだった。
◆
「……あの二人、あんなに親しかったでしょうか?」
帰り際にトリスタンがぽつりと漏らした時、ランスロットにはそれが誰と誰を指す言葉なのかさっぱり分からなかった。女性陣の顔をひとつひとつ思い浮かべていったが、そもそも全員最初から仲がいい。
「……誰のことを言っているんだ?」
「ベディヴィエールとマーリンですよ」
「ふむ……?」
観察していたわけではないからハッキリとは言えないが、それにしたって二人のやり取りには親密さなど欠片もなかったと思える。素っ気ないくらいだった。
「……卿の気の所為では?」
三秒で弾き出した答えを提出すると、トリスタンは静脈の透ける瞼を持ち上げ、満月に似た美しい金色の瞳でランスロットをじっと見つめてきた。……何となく狼狽してしまって目を逸らす。彼にまじまじと見つめられるとベディヴィエールでさえ動揺すると聞く。特に今回のトリスタンの視線は「本当ですか?信じられない」と無頓着なランスロットを暗に責めているように思えたから余計だ。
やがてトリスタンは諦めたように目を伏せると「そうかも知れませんね」とぞんざいに言い捨てた。
◆
ベディヴィエールの姿を認めるとマーリンの目は明らかに色が変わった。彼の虹彩は光の角度で実際に色が変わるけれどそういう意味ではない。嬉しそうに、楽しそうに。明るい紫色の瞳が星のようにきらりと輝いたのだ。同時に彼の心拍も高く跳ねた(マーリンの心音は人間とは明らかに音色が違うが、その違いを差し引いても、だ)。言葉や表情は嘘を吐くこともあるが、心拍は絶対に嘘を吐かない。
「小鳥のような姫君たちの可憐なさえずりに横槍を入れるのは本望ではないのだけれど……。ベディ、マスター君が呼んでいるよ」
内容は単なる連絡だが、ベディヴィエールの名を呼んでから先の声の響きは、慈しみに満ちた愛の囁きそのものだった。熟した果実の甘い搾り汁を不躾に耳に注がれたような心地がして、トリスタンは眉間に小さく皺を寄せる。声の響き自体も不愉快だったが何よりも――カルデアには絶世の美女が揃っているのに、選りに選ってマーリンがベディヴィエールに目をつけたらしいことが極めて不快だった。アーサー王にも一目置かれていた洞察力は、こと恋愛沙汰に関しては勘を外したことが無い。
「承知致しました。各々方、失礼ながら私はこれにて」
しかしトリスタンを何よりも驚かせたのはベディヴィエールの素っ気ない返答だった。彼はブリテンの時代からマーリンの行いや人となりについて相当苦々しく思っていたようだが、それでも相対する時には最大の礼儀と出来る限りの尊敬を以て接していた。時に慇懃無礼と思えた程だが、それは明確に一線を引き、己の身を守る行いでもあった。そのガードが無くなっているのだ。
「ご伝言ありがとうございます」の一言もない。トリスタンが相手であればベディヴィエールは同じように「そうですか」とだけ返しただろうが……つまりそういうことだ。
――トリスタンの知らない内に、彼らの間で何か親密な交流があったのだ。
騎士らしく誰にも礼儀正しく振る舞うベディヴィエールの素の性格は割りと大雑把で毒舌だ。彼がそういう本性で接する人間はルーカン以外にはトリスタンしかいなかった。アーサー王でさえ、彼の妻や子でさえ立ち入れない領域であるはずだった。
マーリンからベディヴィエールへの囁きの甘さを思い出す。長く轡を並べてきた、自他共に認める親友があの胡散臭い男とよもやと考えただけで落雷に遭ったかのような衝撃だった。考えると頭が痛くなりそうだし、気を抜いたらよろめいてしまいそう。サロンがすぐお開きになったのは僥倖だった。でなければ麗しの姫君たちの前で素っ頓狂な曲を奏でて、トリスタンにあるまじき醜態を晒していただろう。
「……あの二人、あんなに親しかったでしょうか?」
そんなことをランスロットに訊いても「気の所為では?」と返されるだろうことは頭のどこかで分かっていた。貴卿のそういう図太い神経が私も欲しかったとトリスタンは心の中で嘆く。
dustbunny