新しく傘下に加わった少年たちの中でも、特にひ弱そうに見えたのがベディヴィエールだった。大きな瞳をきらきらさせて「立派な騎士になれるよう精進いたします」と変声期前の少女じみた声を興奮気味に弾ませていたものの、剣の腕も人並みで正直大して役立ちそうにはなかった。騎士にするには顔立ちや身体付きが繊細すぎる上、日に透ける美しい銀髪は土煙の上がる戦場でも際立って輝くに違いなく――要は悪目立ちするのだ。彼が戦線に立つには人の倍は強くないとならないだろう。

 ベディヴィエールと彼の兄であるルーカンには、ひとまず王の給仕役を担わせることにした。日に二回ある食事の配膳はルーカンの仕事で、基本的には五度だが王の求めによっては更に回数が増えるティータイムの配膳はベディヴィエールの仕事。回数としてはベディヴィエールの方に負担が大きく思えるが、多くの人目に晒されることを鑑みればルーカンの方が負担が大きい。食事は大広間へ移動して祈りを捧げてから皆で頂くが、ティータイ厶はつまるとこと仕事の小休憩ゆえ王の執務室で静かに摂られる。
 物怖じしない性格のルーカンは、実にスマートに仕事をこなしてくれた。逆にベディヴィエールは人目に晒されない分気軽であるだろうに相当緊張していた(アーサー王は実に優しき王であったが、諸侯にはちょっとしたミスに難癖をつけてくる暇人も多かった)。パントリーから執務室まではそんなに距離もない。そこから紅茶を一杯運んでくるだけなのに、初日なんて食器と盆がカタカタと小さく音を鳴らしていた。「おっと、これは危ないな?」と千里眼を使うまでもなく悟ったマーリンは「ご苦労さま」と労いつつ、さりげなく彼の手から盆を奪ったくらいだ。つつがなくティータイムを終えてベディヴィエールが部屋を退出した瞬間には、マーリンもアルトリアも(そして恐らく扉の向こう側にいるベディヴィエールも)ほっと安堵の息をついた。

 彼は給仕と騎士見習いの雑務の合間を縫って、独自に槍の稽古にも励んでいるらしかった。騎士の花形は剣であるがいかんせん彼はまだリーチが短い。ひとまずのところ槍にしておくよう勧めたのはルーカンだろう。弟が相手をせがむからと、彼も渋々槍の稽古をしているらしい。良いループだ。
 ベディヴィエールと違い、ルーカンは今の地位に満足しているようであった。給仕であれば騎士程に危険な目に遭うことはあるまいと、そう考えている節が彼にはある。剣で死ぬことはなくとも、給士は毒味を兼ねているから毒死の可能性が大いにあるわけだが「美味しいものを食べて死ぬならそれはそれです」と彼であれば言いそうなところである。
 ルーカンがとりわけ打算的なわけではない。腕っ節に自信のある者でない限り、むしろ大抵の者は彼と同じ思考をするだろう。アーサー王はやがてブリテン全土を治める器だが、今は頭角を現したばかりの若者に過ぎない。命を捧げるほどの忠誠を得るにはまだまだ力が足りていないのだ。何故か既にアーサー王に憧憬を抱いてくれている、ベディヴィエールの方が変わっているのだ。
 ちなみにマーリンが彼ら兄弟を給士に任命したのは、もしどちらかが王に毒を盛ったらもう片方を殺すという暗黙下の首枷である。彼ら自身は考えたこともないだろうが、少なくともアルトリアはその意図に気付いている。本人たちにそれを明言する気は無い。兄弟仲睦まじく賢い彼らのことだ、こうしておけばいつか誰かに唆されそうになった時、必ず自分自身の頭で嵌められた首枷に気付くだろう。



「申し訳ございません、扉を開けて頂けませんでしょうか」
 本当に申し訳なさそうなベディヴィエールの声は、変声期に入ってやや不安定な調子だった。扉を開けてやったマーリンは入室してきた彼を見て納得する。彼は両手でなければ持てないだろう大きさの盆を抱えていて、その上には一揃えのティーセットが鎮座していた。
「あの……良い茶葉が新鮮な状態で手に入ったので、今日は是非、執務室で紅茶を淹れてはどうかと給仕長から勧められまして……。その、差し支えはありませんでしょうか?」
 勿論、朝の時点で給仕長自身から話は通されている。
「いいとも。王、差し支えなど御座いませんな?」
「マーリン、確認を取る気があるのなら返事をする前にしたらどうだ。……無論、私は構わない」
 アーサー王が頷いて見せると、不安げにしていたベディヴィエールが一気に破顔した。芋剥き女たちが「ベディヴィエールは本当に可愛らしいわね。にこりと笑われるとお駄賃でもあげたくなってしまう」などとよく囁き合っているが、理解できる気がした。盆を震わせていた頃に比べると大分背が伸びて体格も良くなったが、どうにも彼は屈託が無さすぎる。笑まれると、場がふんわりと和んでしまうのだ。

 マーリンが机の上を片付けると、強ばっていたアルトリアの肩がゆったりと寛ぐのが分かった。この方が確かにずっと良い休憩になるだろうと、マーリンは心中でひっそりと笑む。「失礼します」と律儀に断りを入れて、空いたスペースにベディヴィエールが盆を置く。茶葉の香りと湯気の温かさが部屋に満ちた。金属や陶器が微かに触れ合って、たまにかちんと小さな音を立てるのが耳にも楽しい。ベディヴィエールの表情は凪いだように穏やかで、微笑んでいるようにさえ見えた。たくさん練習してきたのだろうし、より良い時間を王へ提供出来ることに、喜びを感じてもいるのだろう。紅茶を運ぶだけでいいのに、給仕係に選ばれて以来、彼はカップや茶葉についても熱心に勉強していた。
 カップへ紅茶を注ぐと、甘酸っぱい独特の芳香が周囲にふわりと濃密に広がった。今までとは全然濃度が違う。
「良い香りだね」
 思わず褒めると、ベディヴィエールは嬉しそうにはにかんだ。
「よろしければ、マーリン殿もいかがでしょう? 実はもう一組カップを持ってきているのです」
 盆に置かれたままになっているカップには気が付いていた。マーリンは普段ティータイムに加わらないが、折角良いものが手に入ったのだし、ということなのだろう。
「ベディヴィエール、それはキミが頂きなさい。……実は私には味覚がないんだ。周囲に合わせて食事をしてみせることはあるが、それも栄養にはなっていない。であれば、紅茶が勿体ないだろう?」
 ベディヴィエールが目を丸くする。マーリンが夢魔の子であるとは周知の事実であったし、ヒトとは異なる生態をしているとも囁かれていた。ただ、一体どういう風に異なるのかについては、誰もが推測でしか話せなかった。彼にはとかく謎が多かった。
 ちらり、と。ベディヴィエールはマーリンを一度仰ぎ見た。比類なく美しく、またヒトと接する時には常に優し気な笑みを浮かべているのに、ベディヴィエールは何となく彼が苦手である。けれども勇気を出して「あの、」と声を振り絞った。
「紅茶は味より香りを楽しむものだとも謂われております。ですので、よろしければ一口だけでも……い、いかがでしょうか」
 ベディヴィエールの深緑色の瞳は緊張でやや潤んでいたが、真っ直ぐにマーリンを見詰めてくる。気弱そうに見えて意外と頑固なのだなと、少年に対する認識を少し改めた。
「せっかくの好意だ、貴方も頂いたらどうです?」
 マーリンが珍しく言葉を返しあぐねている姿を見て、アルトリアが促した。体が温まりますよ、とも付け加える。
「……そうだね、頂こうかな。香りを楽しむものであるならば」
 安堵するようにベディヴィエールが微笑んだ。白金の髪が午後の日差しに透けて、蕩けるようにきれいだった。もし彼が女の子だったら手を出していたのにな、と少し惜しむ。
 王に淹れたものと同じだけの感情を込めて、ベディヴィエールが丁寧に紅茶を淹れる。マーリンにとっては感情そのものが何よりの御馳走だ。やはり受けてよかったと思った。
「熱いのでお気をつけて」
 差し出されたカップを面映ゆい心地で受け取る。紅茶なんて散々視界に入れてきた筈なのに、まるで初めて見るかのようにしげしげ眺めてしまった。温かな蒸気で顔の前が優しく煙る。ひとくち口に含んでみると――花が咲いたかのようなまろやかな芳香と、舌を灼く、何故か少し懐かしいような温かさ。頭の中に一瞬ふっと空白が降りて、これが安らぐということなのだろうかとぼんやり考えた。
「いかがでしょうか?」
「うん、とても『美味しい』。……本当だよ」
 恐る恐る訊ねたベディヴィエールに、心からの本音で返した。





 ――おとぎ話のように遠い遠い、遥かなる昔のことだ。
 幼いマーリンは眠ることもなく、一人で夜通し星空を眺めていた。やがて空が端から白んでくると母が目覚め、窓辺のマーリンの姿を認めて「おはよう」と小さく微笑んだ。上着を羽織って一度部屋から出ていった彼女は、温められた山羊の乳をカップ一杯に持って帰ってきた。冬ではなかったと思うが、それでも一晩中窓辺にいれば身体は冷え切る。だから彼女に持たされたカップは、じんわりと優しくマーリンの手を暖めた。
 ひとくち口に含んでみても、勿論味は分からない。でも、とても温かくて。いっぱいの優しい感情が、温かさと一緒に伝わってきて。
 ――マーリンが普通の子ではないと彼女は最初から知っていたはずだ。それでも産み落としてくれて、精一杯の愛で接してくれた。心からの微笑みを向けてくれた。
 あの頃は上手く表情にも言葉にも出来なかったけれど、情景だけは今でも鮮明に覚えていて、だから言える。

 あの時、ボクはとても嬉しかった。

***
LUCY/ルーシー:あるアウストラロピテクスの化石人骨につけられた名前。私はエルフェンリートのルーシーから取りました。



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