右腕を失ってから半年が経とうとしていた。左手だけしか使えない生活にも大分慣れた。しつこい雨が続かない限りは、もう傷口が疼くようなこともなかった。
 燃えるような夕日を背にして。トリスタンを伴ったアーサー王がベディヴィエールの屋敷を訪れたのは、ちょうどそういう頃だった。
「ベディヴィエール卿。意思を聞きに来た」
 騎士を続けるか、退役するか。
 はっきりと口には出さなかったけれど、王がそう問うていることは分かった。
「……叙任式の日、私はこの命が尽きる時まで王のお側にいると、神に誓いました」
 魂を絞り出すような思いで返答した。逆光で表情はよく分からなかったけれど、アーサー王は微動だにしなかった。王の背後に立つトリスタンは一度口を開きかけたように見えたが、結局口を噤み、その後も沈黙を貫いた。
「私には、卿を守ってやることは出来ない」
 王はなるべく平坦に喋っているようだった。本当は引き止めたいのに、ベディヴィエールの意思に己の意思を反映させてはいけないからと必死で堪えているようで、胸が苦しかった。声高に責められた方がまだお互いに楽だっただろう。アーサー王が誰かの決断に対して口を挟むこと自体、そもそも珍しい。
 叙任式の時よりも強固な意志で、ベディヴィエールは言葉を紡ぐ。
「私は円卓の騎士・ベディヴィエール。我が王。この命尽きる時まで、あなたのお傍に」







 硬い物が空を切る音がした。方向は右手側。蛮族の攻撃の内、投石は弓や剣よりもメジャーな手段だ。弩で打ち出すにしろ投げるにしろ、石礫には結構な破壊力がある。命中すれば落馬は必須だし、当たり所によっては勿論死ぬ。
 ベディヴィエールは咄嗟に右腕を翳して前腕で投石を受けようと試みたが――――そういえば、もう右腕は二の腕までしか無いのだった。
 大きく目を見開いて、この半年間強に痛感してきたはずだった事実を受け止める。あの日から片腕を前提にして訓練し直してきた筈だった。なのに肝心な時にこれなのだから、己の愚かさを呪わずにはいられない。
 どの道そんな後悔は一瞬の話だ。前腕があれば受け止められた投石は勢いを殺されることなく飛んできて、見事ベディヴィエールの側頭に命中した。
 強い衝撃に脳がぐらりと揺さぶられる。意識は辛うじて保ったものの、とても騎乗したままではいられない。受身こそとれたが、地面にどうと倒れ込んだ。騎手を失くした馬は前脚を高く上げて嘶くと、戦場の混乱のまま駆け去ってしまった。
 くぐもった呻き声をあげるベディヴィエールの元へ、抜け目のない寄手が駆けてくる。束ねた髪を乱雑に掴まれ頭が浮く。同時に首筋が無防備に曝されるのが分かった。寄せ手が剣を振り上げる音が、耳鳴りの中で微かに響く。首を刎ねられるのだ。
 ベディヴィエールは静かに目を閉じた。かたわの身で戦場に出るなどやはり無謀が過ぎたか。けれども、この命の最期の一滴まで、王に捧げることが出来て良かった。

「……サー・ベディヴィエールともあろう者が、らしくないですね」

 声量も張りもない癖に、トリスタンの気だるげな声はまるですぐ傍で囁かれたかのようにはっきりとベディヴィエールの耳に届いた。同時に寄手の腕が肩ごと断たれ、ベディヴィエールの首を落とす筈だった剣が、その腕と共に無造作に地に落ちた。
 この世の終わりみたいな悲鳴が耳をつんざく。吹き出た生暖かい血潮はベディヴィエールの顔をびたびたと汚した。美しい竪琴の音が辺りに朗と響いて、叫びながら逃げ出そうとした男の、今度は首が断たれて落ちた。
「――各々方。彼に指一本触れたら、殺します」
 言葉が通じたとは思い難いが、殺意とトリスタンの腕前は通じたのだろう。周囲の兵は怖気づき、散り散りに逃げていった。明確に格上だと分かる馬上の相手にわざわざ戦いを挑んでくる雑兵などそういない。

「……立てますか?」
 下馬したトリスタンが手を差し出すと、ベディヴィエールは思ったよりも強い力で握り返してきた。美しい銀髪は今や降り注いだ鮮血で真っ赤に染め上げられ、毛先から断続的に雫を滴らせている。何とか立ち上がりはしたものの、ふらつくようなので肩を貸した。静かな木陰へと移動する。
 返り血の所為で、見た目では傷口がどこか分からなかった。トリスタンは樹にぐったりと凭れ掛かるベディヴィエールの編み込みに指を絡めるようにして頭皮を探る。
「…………っ!」
 ベディヴィエールがびくんと震えて小さく声を上げた場所は、当然だが瘤になっていた。恐らく出血もしているのだろう。傷口を押さえる布にしようと己の外套に手を掛けたところ、この期に及んでベディヴィエールが「私の物を」と言ったから呆れてしまった。確かにベディヴィエールの外套の方が安物な分引き裂き易いので、言われた通りにした。
「……私は初めから、貴方は退役するべきだと考えていました。戦いしか知らない者であれば、戦場で散る方が幸せということもあるでしょう。けれども卿は戦い以外の方法でも生きていける。むしろ、そちら側にいる方が自然なくらいの人だ」
 手当をしながらトリスタンがぼやく。棘のある声色だったが、棘の先はベディヴィエールではなく主にトリスタン自身に向けられているようだった。ベディヴィエールは薄らと左目を開けて(右目は布で覆い隠されてしまった)トリスタンを見上げた。
「少なくとも以前の卿であれば、目を閉じて敵方に大人しく首筋をさらけ出すなんて従順な真似はしなかったでしょう。誰かに勝てなくても、自分に負けることはない。それが私の愛したベディヴィエールという騎士だった。右腕と一緒に気概まで無くされてしまったなら今の卿はただの邪魔者だ。尻尾を巻いてとっとと立ち去りなさい。……卿の申し出を認めた、王も王だ」
 吐き捨てるように言ってトリスタンは立ち上がる。傷つけてしまった罪悪感よりも、胸の裡をさらけ出してすっきりした、という思いの方が勝っていた。手近な味方にベディヴィエールを任せたら最前線へ行こう。前線は埃っぽいし騒々しいしあまり好きではないが、今日は別だ。誰でもいいから思いっきり切り刻んでやりたい。
冷たい感情に身をまかせて数歩ばかり歩いたところで――後ろにいるベディヴィエールが小さく笑ったので、思わず振り返った。
「トリスタン。発破を掛けているようにしか聞こえませんでしたよ? 貴方、私を退役させたいのかさせたくないのか、どっちなのです」
 息混じりの苦しそうな喋り方だったが、彼は確かに笑んでいた。返答しないトリスタンに構わず、ベディヴィエールは質問を重ねる。
「これから前線へ行かれるので?」
「……ええ」
「なら、貴方の馬貸してくれません? そうすれば一人で戻れます」
「私に徒歩で前線に行けと?」
「その辺の馬を適当に捕まえればいいじゃないですか」
「そんな芸当が出来るのは卿くらいですよ」
 思わず口元が緩んでしまった。
 だから、彼は愛しいのだ。



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