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 難しい内容の授業を終えたスモーカーが、ボニーから没収したパンを両手いっぱいに抱えて苛立たしげに教室を出てから数秒後。休み時間開始のチャイムを遮るように、またもやボニーの腹から物凄い音が鳴った。まるで真横で雷が鳴っているかのような轟音に感じる。ここまでくるとちょっと可哀想でもある。

 そしてボニーは心なしかおれの方を凝視しているが、おれ様のこのサンドイッチは分け与えてやるわけにはいかない。なぜならこれは隣のクラスの幼馴染・カヤが早弁にどうぞ、なんて可愛らしく笑って渡してくれたものだからだ。今朝執事のメリーと一緒にカヤの弁当用に作ったもので、いつも楽しい話を聞かせてくれるウソップさんに、と用意してくれたらしいのだ。だからこれは誰にも分けてやるものか。

「ウソップそれくれ」
「来ると思った。やらねェぞ、これだけは」

 やっぱりボニーがこちらを凝視していたのは気のせいではなかったのか。わざわざおれの目の前まで来て頼みに来た。なんでだよ、となかなか諦めないので、カヤからもらったからこれだけは譲れないと話してやると、んな大事なもんなら仕方ねェな、と予想よりすんなり引き下がった。だが、とぼとぼと去っていく背中が何となく哀れに見えたので、これなら分けてやるよとおやつのチョコレートを投げてやると、目を輝かせて礼を言ってきた。

「ウソップはいいヤツだよなー」
「い、いいよそういうの言わなくて」
「だってチョコくれたし」

 にかっと笑うボニーにむず痒くなりつつも笑い返すと、ボニーのさらに向こう側から視線を感じた。窓からの光で少々逆光気味で目を細めると、その影がなまえだとわかった。

「ウソップ、私にはチョコないの」
「ボニーはスモーカーに没収されてたから今日だけ仕方なく、だ!お前はおやつ無事だろ!甘ったれるな」
「ちぇっ」
「ナミに金払えば何かくれるんじゃねェか?」
「そんなお金は無い!」
「威張んなよ!」

 くそぅ…となまえは項垂れるが、そんななまえをおれは絶対に甘やかさねェと決めている。第一、コイツはさっき授業中に普通に飴を食べていた。まだ何か持っているくせにおれに集っているに違いない。油断も隙もねェ。

「ん」
「ん?」
「やる」
「「「えっ」」」

 …みんな気をつけろ、こいつは今日は天変地異が起こるかもしれねェ。ボニーが、あのボニーが他人に食べ物を分け与えた(そのチョコレートを最初に分けてやったのは心優しいこのおれなんだが)。思わずなまえと、おれ、それから近くに居て話が聞こえていたらしいサンジの驚きの声が重なった。間抜けな面になったなまえの口に、ボニーがチョコレートの欠片を突っ込んで食わせてやっている。

「あの、ボニー?」
「ん?うめーだろ」
「うん、おいしい、おいしいけどこれは夢?」
「あ?何言ってんだ?寝ぼけてんならほっぺたつねってやろうか」
「いたたたたた!!!」
「ああっやめてあげてボニーちゃん!なまえちゃんのほっぺたが取れちまう!」

 慌てて止めに入るサンジと、頭上に「?」を飛ばすボニー、そして涙目で頬をさするなまえ。なんて光景だ。サンドイッチを食べ終わったおれはその光景を見て心底呆れた。ちょっと離れたところからナミも呆れた顔で見ている。

「痛い…超痛い…夢じゃない…ボニーが他人に…食べ物を…」
「なまえちゃんしっかりするんだ!くっ…ここはなまえちゃんのプリンスであるこのおれがお姫様抱っこで保健室のババアとチョッパーのもとへ…」
「ドクトリーヌって呼ばないと今度こそ殺されるぞサンジ」
「なんだ?なまえは腹でも痛いのか?ウチが連れてってやろうか?サンジに任せんの心配だ」
「ボ…ボニーが人の…心配を…」
「ああああなまえちゃん気を確かに…!!」

 なんだ失礼なヤツだな、と頬を膨らませたボニーはなまえの頭を軽く叩いた。ふと教室の時計を見ると、あと5分程でチャイムが鳴りそうだ。同時に、窓側の陽当たりの良い席を借りていびきをかいて寝ているゾロが視界に入った。そちらに意識を向けると、その後ろからそっと忍び寄るルフィ。どうやらゾロを脅かして起こそうとしているらしく、こちらに気付いたルフィはニシシと笑いながらシーッ!と指を立てる。オイオイやめた方がいいぞ…と一応念じてみるがそんな念がルフィに通じるはずもなく、程なくゾロの鉄拳を食らった。ああ痛そうだ。思わずおれも自分の頭をさする。

「あー…ンマー…なんだ…」
「あ、アイスバーグ先生」

 そういやろくに話を聞いていなかったせいですっかり忘れていたが、時間割の変更があったんだ。入ったのはアイスバーグの授業だったのか。急な変更だったために自習にするつもりだったのだろう、プリントを抱えて入口に突っ立ったまま教室内の惨事(ぐったりと項垂れるなまえと泣きながら支えるサンジ、チョコを貪るボニー、ゾロに鉄拳を食らって凄まじいデカさのたんこぶを作っているルフィ、あんた達うるさい!と怒鳴っているナミ、その他諸々)を、遠い目をして見ている。


そろそろ引退するべきかねえ


 アイスバーグは遠い目のまま、そう小さく呟いた。ああ、アイスバーグの授業って校長が暴れたり、急に変更になったかと思えばこうして教室が惨事になっていたり、きちんと1時間終えた事って片手で数えるくらいしか無かったなぁ。

「がんばれ、先生」

 溜息をついて頭を抱えるアイスバーグに聞こえたかはわからないが、おれはそっと応援の言葉を呟いたのだった。


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