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 なまえに何とか科学のプリントを提出させて、午後の授業も終わった。テスト勉強のために早く帰る生徒も居れば、逆に教室や図書室に居残って勉強していく生徒も居る。…後者はこのクラスにはほとんど居ないけれど。私はこれからなまえと一緒に美術室へ向かう事になっている。何故か?それは私が聞きたい。なまえはこの前の美術の授業で(不本意ながら)キャベンディッシュ先生を褒めてしまった事により、気に入られてしまっている。今日はテスト直前だというのに無駄に呼び出されたようで、ついてきてほしいとなまえから懇願された。

「あんた何したのよ、なまえ」
「いやそれが全く何もしてないです」
「じゃあ何で呼び出されるの?」
「さあ…私にも分からない…」

 2人して首を傾げながら美術室に着くと、戸を開ける前からすでに薔薇の香りが漂ってきていた。静かに戸を開けてみると、キャベンディッシュ先生が薔薇の花弁を散らした紅茶を飲んでいた。

「よく来たね、なまえ。…ん?ナミも来たのか。まァちょうどいいか」
「ちょうどいい?」
「実は画材の買い出しに付き合ってほしくてね。量が多いんだ」
「さよなら」
「まだ話の途中だぞ!」
「先生知ってます?明日から中間テストなんですよ」
「もちろん知ってるさ」
「じゃあ私達帰りますんで」
「まぁまぁ。帰りにケーキでも買ってやろうじゃないか」
「「先生早くしてください」」
「…きみ達は本当に分かりやすいな」

 美術室の前で待っていると、紅茶が入っていたカップを片し終えた先生が、必要な画材のリストを持って出て来た。細かい字でびっしり書いてあるので、1人で買い出しに行くのは確かに大変な量だと考える。荷物持ちなら男子に頼めばいいのに…と思ったが、キャベンディッシュ先生に荷物持ちを頼まれてついてきてくれる男子が、果たして居るのだろうかと考えたら…答えはノーだった(私だってなまえの頼みじゃなかったら絶対に無視して帰るわ)。

「先生、画材屋さんってどこにあるんですか?」
「ん?駅に向かう途中に大きな画材屋があるのを知らないか?看板が大きな絵の具のパレットの形になっていて目立つ店だ」
「そういえばそんなお店もあったかも」
「まあ、当然画材に興味がないと入らない店だ。きみ達は普段素通りしているだろうな」
「何を買うんですか?」
「授業のデッサンで減った鉛筆とコンテ、画用紙、絵の具、それからルーシーが壊したパレット、それと…」

 他にも色々リストアップされていて、これは大荷物になりそうだ。なまえは先生から受け取ったリストを見てから、画材屋が近付くにつれてそわそわしている。…きっと普段入らないお店に入るから、好奇心が抑えられなくなってるのね。こういう所は何だかルフィに近いものを感じる。

「そうだ、店に入る前に言っておくが、店内はすごく広い。各フロアにあらゆる画材が揃っているが、各コーナーの区切りは複雑だからな。慣れるまで迷いやすいから気をつけてくれ。特になまえ」
「なまえ、迷子になったら私に連絡しなさい」
「待って。私が迷子になるのが前提なんですか?」
「きみが一番不安だ」
「あんたが一番不安よ」
「何も声を揃えて言わなくても」

 心外だと言わんばかりの顔をして見せるなまえだけど、実際この中で迷子になるとしたらこの子しか居ない。先生と顔を見合わせて瞬時にアイコンタクトを取る。先生からの意思は充分に伝わったけれど、たぶん私からの意思はほとんど伝わっていないと思う。

『なまえが迷子になったら頼むぞ』
『先生ほんと頼りにならない』

 なまえを丸投げされた事を視線で悟り、小さく溜息を吐きながら店内に入る。このフロアだけでも確かにすごい品揃え。なまえはすでにキョロキョロと落ち着かない様子で、視界から居なくならないように腕を掴む。

「ちょっと待ちなさい。まだよ」
「フロアごとに売っているものが違うからな。手分けして買い出しを済ませたいんだ。ぼくは一番上のフロアにあるデッサン用の人形を見てくる。これもルーシーがこの前遊んで壊したからな」
「私達はどのフロアに行けばいいかしら」
「そうだな、筆や鉛筆、コンテを頼む。絵の具や紙も同じフロアだから買うだけ買っておいてくれ、ぼくが上のフロアの買い物を済ませたら合流するから。その時に受け取る」
「あら、いいの?荷物持ちに連れてきたくせに」
「女のきみ達を誘っておいて、帰りに重いものを持たせるつもりはないからな。絵の具や紙も量が多いと意外と重い。鉛筆とかの軽いほうの荷物を頼むよ」
「先生!先生!この折紙買ってもいいですか!?」
「だめだ」

 すでに話を聞いていないなまえは、子供向けの柄入りの折紙を欲しがっている。先生に断られたなまえはケチ!と言いながら大人しく折紙を棚に戻した。まったく、一応学校のお金なんだから当たり前じゃないの。先生から渡されたお金はもちろん私が持っている。先生と別れて、店内に貼られたフロアマップを見る。確かにまるで迷路のように区切られている。鉛筆や絵の具などは奥のほうのコーナーらしい。なまえを見失わないように再び腕を掴もうと振り向くと、すでにそこになまえの姿はなかった。

「あの子……もう」

 やられた、と額に手を当てて呆れる。こんな短時間で居なくなるなんて。フロアマップに改めて目をやると、絵の具のコーナーから少し離れた所に粘土のコーナーがある。なまえが飛んでいきそうな所だと判断した。今居る所から動くな、と連絡しようと携帯を取り出すと、ちょうどなまえから電話が来た。

「ちょっとあんたやっぱり迷子じゃない!」
『すみません本当すみません…粘土で遊ぼう体験教室っていう看板が見えたからつい…そしたら戻れなくなりました』
「もう、馬鹿ね!そこから動かないでよ!?」
『はい…』

 予想通り粘土コーナーで小さな子供達に混ざって粘土をこねていたなまえを回収する。粘土で作っていたのはローが飼っている白熊のベポらしい。


迷路ってのは迷って当たり前なの!


 開き直ったなまえにチョップを食らわせた。頭に小さなたんこぶを作った状態で目的のコーナーから筆や絵の具を探している。私は先生から指定された画用紙とコンテを選んだ。鉛筆も近くに揃えてあったので合わせてカゴに入れる。

「絵の具あった?」
「うん、ねえコレも買っていいかな」
「ダメに決まってるでしょ!何よその消しゴム!」
「動物のおしり消しゴムシリーズと、お弁当消しゴム」
「いりません!絶対使わないでしょ、もう!」

 それでもなおカゴに変な消しゴムを入れようとするなまえから消しゴムを取り上げて棚に戻し、ずるずると引き摺ってレジへ向かう。「ああ!私のナポリタン消しゴム!」という声は無視して会計を済ませる。ちょうど先生も買い物を済ませて下りて来たが、私達の様子を見て何か悟ったような顔をした。

「迷子になったんだな」
「粘土コーナーで子供と一緒に遊んでたわ」
「先生早くケーキ!」
「覚えてたのか…きみは本当に食い意地が張っているな」

 荷物をいっぱい抱えた先生に連れられて入ったカフェで、なまえがケーキを5つ頼み、私も遠慮なく店で一番高いケーキを頼んだので…私達と現地解散したあと、先生は学校まで頬を膨らませたまま帰ったという。


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