こんな緊張は、人生で初めてだ。私は今最高に緊張している。私の隣にいる京子や友人たちも、私のが移ってしまったのか緊張し始めた。

 ここは調理室で、今は調理実習中。女子は家庭科、男子は外で体育の授業をしている。今日の調理実習は自由献立のため、ほとんどの班でチョコレートやクッキーなどの、いわゆるバレンタインメニューが作られている。
 私たちの班が何故、緊張感に包まれているかというと……その、お菓子作りなんて――むしろ料理自体が――久々だったから。

「どうしよう」

 もっと練習しておくべきだった。今更になって、チョコを溶かすことさえスムーズに出来ないと気付くなんて。とりあえず京子たちからチョコの刻み方やら溶かし方やらを一から習ったけれど、まさかの歪な形の仕上がりに。

「ど、どうしよう。京子、皆…!」
「大丈夫だよ! さっき味見したけど、チョコの味したよ?」
「だってこれじゃ……チョコレートじゃなくて、可哀相なカカオだよ…」
「か…形よりも味よりも、気持ちだよ! 気持ちが大事よ、なまえ!」

 皆で励ましてくれるけれど、私の心の中には後悔の嵐が吹き荒れている。ハルちゃんが言っていたようなラブハリケーンなんてものではなく、大荒れの吹雪だ。
 こんな出来損ない、彼に渡すわけには……昨日のうちに市販品を買ってしまえばよかった。がっくりと肩を落としたそのとき、調理室の戸が開いた。

 そこに居たのは――。

「きょ……や、」
「……何してるの、なまえ」
「何って、調理実習……あ!」

 まずい。慌ててチョコを背中に隠す。しかし、彼がそんな私の動きを見逃すはずがない。一瞬眉をぴくりと動かし、こちらへと1歩ずつ近付いてくる。

「あ、の……恭弥?」
「何隠したの、今」
「何も?」

 引き攣る笑顔で答えるが、恭弥がそれで納得するわけがない。後ろに隠したチョコはあっけなく見つかり、不格好なそれを見つめた彼は「ふぅん」と口角を上げた。

「誰に渡すの? これを」
「え、と……それは」
「僕には言えない相手かい?」

 彼は気付いている。自分へのチョコであることに。それを知った上で、私の口から自分へのチョコであることを聞きたいのだろう。………皆の前なのに。

「………」
「ねえ」
「……や」
「聞こえないよ」
「恭弥、に……だよ」

 ぼそっと呟き、「でもそれは失敗したから!」とチョコを奪い返そうとする。しかしそれも失敗に終わった。恭弥はチョコをひとつ取ると、口の中へ放り込んだ。

「恭弥! そんなの食べ――」

 食べないで、と言いたかったのに。その言葉は、言い切る前に彼の唇によって遮られてしまった。唇が離れた直後、彼は笑って私の頬を撫でた。

「……悪くはないよ。形は微妙だったけど」

 残りのチョコを皿ごと持って、彼は調理室を出ていった。……形はどうあれ、受け取ってもらえた。と、いうことは。

「上手くいったと思って、いい…のよね?」

 隣で見ていた皆に祝福されて、無事に終わった調理実習。微かに唇に残る彼の熱は、甘く溶けたチョコレートみたいに温かかった。


 Happy Valentine!
 君以外からのチョコなんて、意味がないんだからね。


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