僕の言葉は、目の前の彼女に届いているのだろうか。
 先程から何を話しかけても返事がない。君はいつも、このカフェに来るとサンドイッチを頼むんだね。君は紅茶派かな、コーヒー派かな。どちらを頼んでも砂糖を多く入れるね。君はいつもその本を読んでいるね、繰り返し読んでいるのか。面白いのなら、ぜひ僕にもどんなストーリーなのか教えてくれないか。君はこの辺に住んでいるのか、それとも職場がこの近くなのか。

 どれだけ何を話しかけても、返事はない。その目は、本の文字を追って動くだけだ。
 尤も、彼女がこんな態度を取るのは初めてではない。いつものこと。

「…相変わらずだな、君は」
「………いつも何なの? あなた」
「初めて返事をしてくれたね。嬉しいよ」
「読書中にじろじろ見ながら話しかけられると気が散るから、向こうへ行って。鬱陶しいわ」
「聞いていたのに答えてくれなかったのか。酷いな」

 実際、“酷い”などとはこれっぽっちも思っていない。僕に対しての君は、その態度でいることが普通なのだから。
 それでも彼女の向かいのこの席からは離れない。ぺらりとページを捲る指、顔を少し傾けた時に流れる髪、ゆっくりとした瞬き、ときどき氷がカランと音を鳴らすアイスティーのグラス、紙製のコースターに染み込んでいく水滴。それらをじっくりと観察できるこの席は、僕のいつもの席だ。彼女がこの席にしか着かないように。

「君はどうしていつもこの席なのかな」
「……」
「君の目の前のこの席にしか座らない僕を、鬱陶しく思っているのに」
「……」
「僕からの問い掛けも視線も、気が散るんだろう」
「……」

 僕の問い掛けに何ひとつ答えてくれない彼女は、ついに溜息を吐いて本を閉じ、立ち上がった。何も言わずに自分の頼んだものの支払いを済ませると、僕には見向きもせずカフェを出ていく。

 これで僕は、このテーブルでひとりになったわけだが。僕の口角は上がっている。僕の前で基本的に無表情で本を読む彼女が、何故いつもこの席なのかという質問で珍しく僅かに目を細めたからだ。まさか、反応があるとは。

「……案外、嫌われているわけでもないのかな」

 誰に向けるでもなく呟いて、支払いを済ませてカフェを出る。
 明日もきっとこの時間、彼女はこのカフェのあの席に座るのだろう。

「さて、明日はあの子に何を聞いてみようか」

 きっといつも通り、無視されるんだろうけど。


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