夢で会えたら
留学で学院を離れて一年。戻ってきて卒業するのに一年。ESビルで本格的に働き始めてしばらく経つ。といっても留学中も何度か英智先輩に呼び出されたりして日本に戻ってきたり、ESビルで何度か仕事をさせてもらった。チームでミーティングして、毎日新しい音楽を作って、充実してる、と思う。
「では、そのまま進めてください」
「はい、お疲れ様でした」
ミーティングが終わり、プロデューサーやスタッフたちが部屋を出て行く。ちょっと作業して帰ります、と皆を見送ってもう一度席に座る。散らばっていた楽譜と資料を大まかに整えて一息ついた。
事務所に戻って曲を編曲して。次のチェックまでに完成させなくては。これからESでデビューする子たちの新曲だ。今までのユニットカラーを生かしながらデビュー記念らしく派手にしたい。何度かそんなユニットのプロデュースに携わってきたけれど、一つ一つが特別で、同じ曲など一つとしてない。やりたかった仕事で、毎日楽しく過ごしているはずなのだが。
「はぁ〜〜〜〜」
深いため息をついて机に突っ伏した。
何か物足りない。その何かに気づいているはずだけれどずっと目をそらしている。これは一方的に自分が決めた“約束”であり、意地のようなものだ。だから寂しいとか、会いたいだとか思ってはいけない。
ついさっきチームの皆に聞いてもらった音源をまた再生する。編曲もしていないシンプルなピアノの主旋律。流しながらそっと目を閉じてモヤモヤした感情を押さえ込んだ。
「なに寝てんだ」
ぼんやりと、懐かしい声が聞こえた気がする。いや毎日のように彼の姿はメディアで見かけるし、歌声も街で流れている。だというのに彼の無骨で、すこし笑ったような声がこちらに向けられるのは久しぶりで。
ちょっと休んでるだけ、と心で返事をすると何かが頭を撫でた。おそらくそれは彼の手で、優しい手つきで触れてきた。前にもこんなことあったような気がする。あの頃の夢だろうか。
「追いついて来ンだろ」
あの約束の話をする彼はどこか寂しそうだった。早く来いというのか、私に触れる手を止めて噛みしめるように言った。まだ私の手は彼に届かない。もっと、もっと強くならなきゃ。彼に見合う音楽が作れるようになるまで。
「早く来いよ」
私の意地をわかっていて、彼はそう言う。先に行ってて、と伝えても彼は先に進みこちらを振り返って待ってくれる。そう言う男なのだ。だから、私は彼を好きになった。彼に見合う人になりたかったのだ。
「待ってっから」
「…よ……なよ…」
「……うーん…」
「こんな所で寝てたら風邪引くよ」
「…あんず…?」
いつの間にか眠ってしまっていた。突っ伏していた机から体を起こすとぱき、と関節が音を立てた。思った以上に寝てしまっていたらしい。あんず曰くドアが少し空いていたらしく覗いたところ私が居眠りしていたと。また恥ずかしいところを見られたものだ。少し照れてしまって笑うとあんずは何かに気付いたように目をすこし見開いて、隣の椅子に腰かけた。
「花代、変わったね」
「え、そうかな」
「うん、なんだかすごく頑張ってるけど…ちょっと寂しそう」
「…そう、かな」
学院で初めて出会ってから、もう3年。あんずと仕事をすることも多くなった。留学中彼女のプロデュース経験に助けられたこともあったし、良いステージを作るために一緒に頑張った思い出もある。一緒に進んできた彼女だからこそ、少しの変化でもばれてしまうわけで。
自分も感じていた違和感をまんまと言い当てられて少し気まずい。やっぱり寂しそうに見えるのだろうか。
「会えなくて、寂しくない?」
誰に、とは言わないけれど、あんずには分かっているんだろう。私はうん、と小さく頷いた。認めてしまえばい大きくなるその感情をぐっと抑え込む。会いたいよ。あの頃みたいに馬鹿を言い合って、戯れるように笑い合いたい。でも、と私はその気持ちに約束という封をする。
「夢が、約束が叶うまで我慢するんだ」
「願掛けみたいなもの」
ただの口約束で大神が待っている保証なんてない。それでも私が信じる彼は、私が追いつくのを、隣に立つのを待っている。一人前の作曲家になって、一緒に未来に進んでいきたいから。
あんずは私の方を見ると安心したような、いやすこしやれやれと言った表情を見せた。
「やっぱり好きなんだね、彼のこと」
「えっあっ…いや、その」
そうあんずが言う。口にしたことはなかったけれど、きっといろんな人を見てきたあんずだからこそわかる私の感情の変化。すこしどう答えていいか、慌てた。でも今更あんずに隠すことなんてない。私は大きく息を吸うと「うん」と頷いた。すこしあの頃より大人になった。それでも気持ちはまだ伝えられないかもしれない。だとしても、自分の気持ちに嘘はつきたくなかったから。
「そっか」
あんずは優しくそれじゃあ、会えるようになるまでまた頑張ろうと言って私の頭を撫でた。柔らかい手つきがさっきの夢と重なった。やけに鮮明な夢だった。いつかあの手が触れられるくらい近くに、彼の隣に立てる日が来るように。すこし休んでまた、私は進み始めるのだ。