革命は突然に
アルバイトもなく、放課後の遊び相手も珍しく捕まらない日だった。たまにはこういう日もあっていいよな、と真っすぐ帰路についた放課後。エースはリビングのソファに寝っ転がって、漫画を読んでいた。
絶対気に入るから読んで!と強引に渡されたが、やはり長い付き合いだけあってエースの好みの的を得ている。不良少年がバスケットに出会い、挑戦と努力を軸に成長していく物語。キッチンで夕食づくりに勤しむ母親の鼻歌をBGMに、熱中してページをめくる。
「エース、これあとでナマエちゃん家に持って行ってくれる?」
「おー、わかった」
母親のルージュは随分とご機嫌で、幼馴染の名前を口にした。ルージュがおかずを多めにつくって、それをエースがナマエの家に持っていくというのは日課であった。
ナマエはエース一家の隣に住む、同い年の幼馴染である。父親と二人で住んでいるのだが、そのナマエの父というのが、エースの父親の親友であった。二人が隣通しで家を構えたものだから、自ずとエースとナマエは物心がついたころから家族ぐるみで一緒にいたのである。ルージュも実の娘のようにナマエを可愛がっており、家事を主に担うナマエの手助けの為にと、毎日夕飯のお裾分けをするのである。
「げっ、ナマエのやつ。ちょうどいい所で終わるじゃねェか!」
主人公がタイムアップ寸前で放ったボールが放物線を描いて固唾を飲んだところでページが終わり、エースは思わず叫びながらソファから起き上がった。
あいつ…絶対ワザとだろ!
「ね?面白かったでしょ?」と得意げにするナマエの顔が浮かんだが、続きが気になって仕方ない。素直に『続きを貸してくれ』と連絡しようと部屋着のポケットからスマホをとって、彼女の名前をタップした…と同時に、ドンドンドン!!!!と騒がしい足音が廊下から響いたのだった。
「あら!」とルージュは嬉々とした声をあげて、料理の手をとめる。
反してエースは、「あの野郎…」と舌打ちをして、すぐさまリビングから出たくなった。
そして、リビングの扉は勢いよく『ばーーん!!』と音を立てて放たれ、大柄な男が闊歩で踏み入ってきたのであった。
「帰ったぞ!愛する、わが家族よ!!」
わっはっはっはっっ!!!と豪快に部屋が割れそうな笑い声をあげ、肩に巨大なマグロを担いだ大男。それこそ、エースの父親である、ロジャーであった。
ロジャーという男はどこまでも自由な男であった。エースが幼いころから、家にまとまって居た試しがない。「人生は冒険だ!」と訳のわからないことを言って世界中を飛び回っている。何をしているのかわからないが、ルージュが家計で困っている様子は全くないので何かしらで稼ぎがあるようだ。
エースはこの自由すぎる父親が好きではなかった。父親らしいことをしてもらった記憶はほとんどない。子供のころの思い出で浮かぶのは、ルージュとナマエと過ごした日のことばかりである。
ちょっとはお袋の側にいてやれよ!と思うが、ルージュが「あの人を留めることなんてできやしないわ」と朗らかに笑っていうものだから、何も言えなくなった。
今だってルージュは恋をしている少女のように美しく笑って、マグロを見て、「お刺身にしようかしら?」なんて呑気に喜んでいる。毎度のやりとりなので、「もっと言うことあるだろ!」と突っ込むものはこの家にはいないのだ。自由気ままに家を出て、ふらっと何の連絡もなしに気ままに帰ってくるのがロジャーという男であった。
「おぉ、エース。元気にしてたか!」
「息子の名前は覚えてるんだな」
「おれが名付けたんだ!忘れるわけねェだろ!」
皮肉も見事にかわされて、どっと疲れてきた。あぁ、もうナマエの家に行こうとソファから立ち上がろうとすると、ロジャーがその肩に手を置いた。
「まぁ座れ。今日はお前に話があって帰ってきたんだ」
「話ぃ?生憎おれはあんたと話すことはないね」
「…ナマエの事だと言ってもか?」
「……」
ナマエの名を出された瞬間、眉根がぐぐっと寄った。ロジャーはエースの表情を見て、ニヤリと顎を下げて笑う。そしてエースが大人しく席につくと、対面するソファへどかりと腰を下ろした。
股を大きく開いて、ロジャーは自身の膝に頬杖をつく。そしてやけに神妙な顔をしてエースを見たのだった。
何だよ、改まりやがって…
この気に食わない男は、時折ただならぬ気配を纏うことがある。飲まれれば負けだ、とエースも両膝に肘をついて手を組み身体を乗り出した。
「なんだよ、ナマエのことって?」
「まぁ、あれだ。お前とナマエが許嫁だって話だ」
「はっ…?」
「昔レイリーと約束してな!互いの子どもが高校を卒業したらって話だったんだが、すっかり忘れて慌てて帰ってきたってわけだ!!」
五秒前の神妙な顔はどこへいったのやら。ロジャーはまたしても、あっはっはっ!!と笑いを爆発させて、ソファにのけぞっている。エースは、ロジャーの言葉を反芻するが全く持って理解がついていかず、間抜けな顔をしてしまったのであった。
おれとナマエがイイナズケ?
レイリーというのはナマエの父親の名であった。正確には育ての親であるが、この男こそがロジャーの親友であり、隣に家を構えた男であった。無茶をしでかすロジャーのストッパー的な役割をしてくれる男であり、知的で常識も兼ね備えていて頼りになる男である。しかし時々ロジャーに悪乗りすることがあるのが、玉にきずである。
「バカなこといってんじゃねェよ!そんな勝手なことがあるか!」
「男同士の約束だせ?そう簡単に、反故にはできねェな!」
「ふざけんなっ!!」
カッとなって立ちあがりロジャーの胸倉をつかむが、ロジャーは全く動じずに髭を揺らして笑う。そしてお前に拒否権などないというように、はっきりと言い放ったのである。
「腹くくれ」
「っ!」
ふつふつ苛立ちが湧き上がり、胸倉を掴む手が震えた。ロジャーは「苦しいじゃねェか」と低い声で言ってエースを睨みつけ、その手首を掴んだ。エースも負けじと睨み返す。一触即発であった。ロジャーに喧嘩で勝てた試しなどなかったが、ナマエまで戯れ事に巻き込まれて、引けはしなかった。エースが拳を振り上げ下ろす。その瞬間、その腕を華奢な手が掴んだのであった。
「二人とも。その辺りにしておきなさい!」
凛とした通る声が耳を刺し、二人はその手の主をみた。ルージュはやんわりとした手つきでエースの腕をおろす。そしてエースの手首を掴んだロジャーの手をパシっと軽く叩いたのだった。
エースがロジャーに突っかかって、それをルージュが制止する。これもまたこの一家ではお馴染みの光景であった。二人とも家族といえど、女にまで突っかかる性分ではない。エースは居心地が悪くなって視線をルージュからそらすが、ルージュは気にもせずニコニコと笑っている。
「二人とも落ち着いたかしら?」
「ルージュ、せっかくの倅との語り合いを邪魔する気か?」
「語り合うならもっと穏やかになさい。せっかく上等なお酒があるのに、貴方はいらないみたいね?」
「何!?どんな酒だ?見せてくれ!」
酒という言葉にソファから立ち上がると、ロジャーはキッチンへあっという間に消えてしまった。ロジャーの切り替えの速さには舌をまく。エースはあっけにとられて、くすぶる怒りは行き場を失った。ルージュはここぞとばかりにエースに詰め寄った。
「エース。これナマエちゃんの家にお願いね」
くすくす笑いながら、ルージュはタッパーをずいッと押し付ける。穏やかであるのに、有無を言わせない圧力を感じ、エースは黙ってタッパーを受け取ったのであった。この一家の影の支配者は、間違いなくルージュであった。
◇ ◇ ◇
おれとナマエが許嫁で、高校を卒業をしたら籍をいれるだって?何であいつに決められなきゃいけねェんだ!
立腹してぶつくさ言いながら、エースはナマエの家の玄関を開けた。合鍵は家同士で交換しているので、出入りは自由である。自転車が止まっていたので、ナマエは帰宅しているようであった。
リビングには誰もおらず、帰宅して茶でも飲んだのか。マグカップがぽつりと机に置かれていた。
キッチンに入って冷蔵庫をあけて、適当に開いているスペースにタッパーをいれる。冷蔵庫の中にはプリンが二つ。準備いいじゃねェかと手に取って、スプーンも食器棚から拝借し、ナマエの部屋へと階段をのぼる。
そもそもロジャーという男は適当な男で、何も考えずに頭をよぎったことを口にする節がある。冗談も多いし、何が本心なのか息子のエースですら掴めない男なのだ。その事を踏まえれば、さっきの突拍子もない許嫁云々も単なる揶揄いである気がしてくる。レイリーと決めたと言っていたが、大方それも嘘か、酒の席の悪ふざけだろう。
真に受けて、ばっかみてェ。と自分に呆れ、とんだ笑い話だと完結させた。
『おい、ナマエ。聞いてくれよ。笑い話だぜ。さっきあいつが、帰ってきてよ。何て言ったと思う?』
第一声、面白おかしくそう言ってやろうとナマエの部屋の戸に手をかけた。きっとナマエなら手を叩いて笑い飛ばしてくれるに違いなかった。
「おい、ナマエ。聞いてくれよ」
「えっ…エースっ!?」
「…は?」
エースの両目は、ナマエの姿をとらえると大きく見開いた。同じように口も引っ張られるようにあんぐりと開いた。
ナマエの体の曲線に沿うよう、美しくそれは流れている。背中が大きく開いて、腰の辺りから少し膨らみをもたせて、余韻を残すようにそれは流れていた。ナマエの部屋に馴染むことなく花が咲いたように浮き出るそれに目を奪われる。
「お前…なんで…」
辛うじて声に出せば、ナマエは狭い部屋の中でそれを纏ってクルリと回る。
特別な時にしか着ない衣装。誰がどんな時にそれを着るかなんて、流石のエースも知っている。
「どう、かな?」
少し恥じらい気にナマエに問いかけられ、エースはごくりと唾を飲んだ。見惚れてしまったのだ。
戸を開くと、純白のドレスを身に纏ったナマエが立っていたのであった。