丁重にお断り致します。
※社会人パロ
総務部の私は、サッチ部長に頼まれて営業部まで書類を運んでいた。もうすぐ終業時間。窓からみる空は少しずつオレンジ色に染まっている。今日も無事に定時退社を迎えられそうだと、意識は仕事から離れて、今日の夕食は何にしようかなんて考えていた。商店街の焼き鳥を買って帰るのもいいし、デパートでちょっといいお惣菜を買うのもありだ。冷蔵庫にビールと酎ハイをいくつか冷やしていたはず。ふふふんと鼻歌を歌っちゃうぐらい機嫌はすこぶるいい。
「私と付き合って」
さあ、この廊下の角を曲がれば営業部はもうすぐ!書類を渡してミッションクリア!というところで、凛とした意思の強い声が聞こえて私はぴたりと足と鼻歌を止めた。こ、これって俗に言う告白現場ってやつじゃないの?声に聞き覚えがあり、壁からスパイのようにこっそりと覗けば給湯室前に男女二人の姿が見えた。
(レイコちゃん!?)
声の主は、まさかの同期入社のレイコちゃんだった。私じゃ大人っぽくてとても挑戦できないような深い赤の口紅をつけた彼女が、自信に満ちた美しい笑みを浮かべて立っている。
『座れば芍薬立てば牡丹歩く姿は蓮の花』とう言葉がこれほど似合う人がいるのかと初めて彼女をみたときは驚いたものだ。その美貌は入社式の時から際立っており、同期男子の九割は彼女に恋をしていると思う。口紅とお揃いの深紅のタイトスカートから細く長くのびた足をクロスさせて立つ姿はまさに牡丹だ。
そんな彼女の心を射止めた相手なんて、気になるに決まってる。レイコちゃんは私の方を向いているけれど、男の人は残念ながら後ろ姿だ。でもこの長身で、黒のくせっ毛といえば、私の知る限り一人しか知らない。営業部のエースくんだ。
「付き合って、ってどういう意味だ?」
「はァ!?」
ええ!?私も思わず心の中で叫んだ。こんな間抜けな質問をするなんて。
「どういうって、恋人になってほしいってことよ!」
レイコちゃんは柳眉を釣り上げて叫んで怒っている。それなのに、告白された当人のエースくんは「ああ、そういう意味か」なんて悪気もなく、頭をかきながら笑った。
エースくんは営業部の同期である。人懐っこい性格で愛想がよく、新人のころから仕事でも大活躍。総務にまでその噂は届いたものだ。笑顔が眩しくて太陽のようで、彼の周りにはいつも人が集まる。男女とも魅了する人である。
私とエースくんの繋がりなんて、同期の飲み会で顔を合わせたときに少し話すぐらいの関係だ。彼は飲み会でも人気者で、彼の近くの席はいつも争奪戦なのだ。エースくんと下の名前で呼ぶのも、エースくんが同期の皆を平等に名前で呼ぶから、お言葉に甘えさせてもらっているだけ。連絡先も知らない。この会社に勤めていて、かつ同期でなければ、きっと一生接点なんてもたなかっただろう。
それにしても、レイコちゃんがエースくんを好きだったなんて!なんてお似合いのカップルなんだろう。高身長の二人が並んで歩く姿を想像すると、目が眩みそうになる。社内のビッグカップルの誕生。これは私すごい瞬間に立ち会ってるんじゃないの?自分が告白されたわけじゃないのに、心臓がバクバクと鳴り、私は固唾を飲んでエースくんの返事に聞き耳をたてたのだった。
「丁重にお断りします」
「ぶふっ!!!」
エースくんの予想だにしない返事に、思わず噴き出して、慌てて口を押さえてその場にしゃがみこんだ。ご丁寧に十五度の完璧な会釈付きでエースくんは言ったのだ!
「な、なっ、なっ!!」
レイコちゃんはアーモンド型の大きな瞳を更に大きく見開いて、口をわなわなと震わせる。髪も逆立ってみえるぐらいの形相でキッとエースくんを睨みつけた。
「私のこと好きなんじゃないの!?」
「いいや。そんな風に思ったことはねェな」
「何でよっ!二人で飲みにいったり、遊んだりしたじゃん!!!」
「あれは何でか他のやつが来れなくなったからだろ?」
うわあ…エースくん歯に衣着せぬ物言いだ。レイコちゃんの顔は真っ赤で屈辱を帯びている。美人って怒ると、変わらず美しいけどすごい迫力だ。これって修羅場ってやつだ。今私の存在がばれると何かしら飛び火がありそうで、私は息をとめてその場の空気と化することに徹することにした。
レイコちゃんほどの美人を振るなんて、エースくんどうかしてるよ。私が男ならこんなチャンス絶対に見逃さないのに!
「じゃ、おれはこれで」
しかしエースくんにはそんな想いは微塵もないようで、さぱっりと言ったのだ。
「ちょっと、待ちなさいよ、エースっ!!」
レイコちゃんが声を荒げて止めようとするが、「はやく仕事にもどれよ」とエースくんはその場を去り、営業部の方へ足音は消えていく。レイコちゃんはしばらくその場で呆然と立ち尽くしていたけれど、やがてコツコツとハイヒールを鳴らして私の前を通って去っていった。「レイコちゃん」と声をかけようとしたけれど、余りに怖い顔をしていたので出来なかった。空気と化す作戦は大成功?だったのか、レイコちゃんは私の存在なんて全く気が付きもしなかった。
二人が去って、静かになった廊下の壁にぐったりともたれかかる。当事者ではないのに、私もなんだかドッと疲れてしまった。
「ふう…すごい現場に出くわしてしまった…」
「おい、ナマエ。ばればれだぜ?」
「うわぁっ!!」
こつんと、軽く傷みを感じないほどの強さでバインダーで頭を小突かれた。嘘でしょうっ…と顔をあげれば、バインダーが退いて、今しがた去ったはずのエースくんが私を見下ろしていたのだった。
「よっ。営業部にようか?」
「マ、マルコ部長に渡す書類があって…」
「マルコなら今会議中だ。おれが預かっとく」
「…お願いできるかな」
まさか聞き耳をたてていることがバレているなんて思いもしなかった。冷や汗がでて申し訳なくなってくる。エースくんの方をまともに見れずに、書類を差し出した。
「いつまでしゃがんでんだ?」
「えっ、いや、あの」
社内一の美女の告白玉砕現場をみて、こっちは気まずいんだよ!
きょどきょどする私をみて、エースくんは何が面白いのかくつくつと笑う。そして彼は、私と同じようにしゃがみこんで、もう一度バインダーでこつんと頭を小突いたのだった。
「動揺しすぎだ」
「だって、まさかレイコちゃんを振るなんて思わないよ…」
私が正直に言えば、エースくんはそういうことかと納得したようだ。
「おれ好きな子いるから」
「えっ!そうだったの!」
「おう、内緒な?」
意外な告白に思わず彼をみれば、エースくんはシーっと人差し指を口の前に立て、その人を想ったのか幸せそうに笑った。
わっ、なんてまぶしくて素敵な笑顔だ。それは本当に恋している人の顔だった。
そっか、そういうことだったのか。レイコちゃんほどの人を振る理由がわかって、胸のつかえがフワッととれた。
「そういうことなら、エースくんの恋応援してるよ」
「さんきゅ」
エースくんはもう一度幸せそうに笑って、それはそれは自然に私の二の腕を掴んで立たせてくれた。
初めてエースくんに触れたので、どきどきしたけれど、エースくんには好きな人がいるのだからとすぐに打ち消した。
それにしても、エースくんに好きな人がいるなんて!彼が好きな人ってどんな人なんだろうと想像してニヤつく私の隣で、うんっと背伸びをしてエースくんは腕時計をみた。
「今日定時あがりか?」
「うん。そのつもりだけど」
「仕事終わりの予定は?」
「焼き鳥と高級お惣菜二択で悩んでる」
「ぷっ、何だよそれ」
「今日の晩御飯のお供だよ」
「そういうことか。おれなら焼き鳥だな」
「そう言われると揺らぐね…」
「焼き鳥美味い店教えてやろうか?」
「本当?」
「じゃ、十九時半に駅の改札な」
「え?」
「すぐ仕事終わらせてくるからよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ、エースくん!」
何だか話がおかしな方向にいったので、思わずレイコちゃんと同じ台詞を口に出してしまった。
私の自意識過剰じゃなければ、今彼は私をご飯に誘ってくれたみたいだ。秘密を共有した男女の中ってやつなのかもしれないけれど、好きな人がいると聞いた建前、それはちょっと申し訳なく思う。
「上手くいかなかったか」
ハハっとエースくんは舌を出して笑うと、バインダーを脇にはさみ爽やかなブルーのシャツの手首のボタンを外して肘までくるくると捲り上げた。そして胸ポケットからマジックを一本取り出して、私の目の前にずいっと差し出したのだった。
「あの…」
「連絡先、教えてください!」
九十度に身体を完璧に直角に曲げてエースくんはお辞儀をする。私は完全に虚をつかれて、ぽかんとしてしまった。エースくんはもうひと推しと言わんばかりにマジックをホラっと突き出してくる。
「ダメか…?」
普段は見上げてばかりの彼に、上目遣いで見られるのは新鮮でキュンとしてしまった。彼が犬ならば、シュンと耳が下がっているだろう。
「頭あげてよっ!」
「ナマエが連絡先を教えてくれんなら」
「えぇ!?それはズルいよ!」
私の連絡先ごときで彼に最敬礼をさせ続けるわけにもいかず、仕方なしにマジックを受け取ってサラサラと彼の逞しい腕に携帯番号を書いたのだった。
マジックのキャップをしめると、エースくんはようやく体を元に戻してくれて、まじまじと腕を眺めて嬉しそうに微笑む。
「ナマエは基本定時上がりか?」
「繁忙期以外はそうだけど…。ちょっと、エースくん。恋の応援はするっていったけど二人でご飯とかはやめた方がいいと思うよ」
「ん?何でだよ?」
「万一エースくんの好きな人に見られでもしたら大変じゃない!」
もしかしたら彼は想い人と両思いかもしれないのだ。私なんかと誤解を招いたら申し訳ない。
「それは問題ねェと思うけどな」
「あるよっ!」
「そうか?だってよ…」
エースくんは無言で自分の顔を指さした。
"エースくん"
私は理解したと頷く。
次に私を指さした。
"私…?"
もう一度私が頷くとエースくんも『うん』と大きく頷いた。そして、「まだ、片想いみたいだけどな」と白い歯をみせてはにかんだのだ。
「えっと、あの…」
彼のジェスチャーに困惑する私の上に、終業を告げるチャイムが鳴り落ちた。
「また、連絡する」
エースくんはポンと私の肩を軽やかに叩くと、踵を返して廊下の角を曲がっていってしまう。慌てて追いかけようとしたけれど、チャイムが鳴り終わると同時に、「おつかれ様」とどこからともなく挨拶が聞こえ、定時組が忙しなく退社を始める。残業確定組も一息休憩だと各々部屋を出てきて、人気者のエースくんはすぐに皆に捕まってしまい私は声をかけるタイミングを逃してしまった。エースくんは先輩と肩を並べて営業部へ帰ってしまう。部屋へ入る前に私へ振り向いて、じゃあなと手を振ってその姿は消えたのだった。
そしてそれと同時に、
「よっしゃー!!」
と営業部の部屋から、彼の嬉々とした叫び声が聞こえて私はますます困惑した。けれど、同時にじわじわとつま先から体が熱くなってきて。
まさか、そんなことないない。と自意識過剰な考えを打ち消すために頭をふって、総務部へ小走りで戻ったのだった。
「どうしたよ?随分顔が赤いな」
部署へ帰るなり、早々にサッチ部長に突っ込まれて、走ったからだと微妙な嘘をついた。部長以外は皆足早に定時退社したようで、総務部はひっそりとしている。
「お前も早く帰れよ〜」
「…ありがとうございます。そうさせていただきます…」
そわそわと気持ちが落ち着かないまま、パソコンの電源を落として退社の準備を始めた。ポケットに入れたペンを戻して、名札も外して。最後に机の引き出しにしまっていたスマホを手に取ると、タイミングよくバイブレーションが鳴った。
"焼鳥 改札十九時半OK? エース"
とだけ書かれたメールに、心臓は飛び跳ねる。さっきは有耶無耶にして誤魔化したけれど、私がお誘いを受けていることは間違いないようで。ただいま時刻は十八時半。どうやら彼は少しばかり残業らしい。
いやいや。まさかね。きっとね。違うよね。
「お断りします」と一言送るだけでいいのに。一時間の暇つぶしのために、駅前の本屋にいこうとか、カフェ行こうとか考えてしまう自分がいる。
「ナマエ、ニヤけてるぞ〜」
「えェ!?そうですか!?」
サッチ部長に緩みきった顔を指摘され、私はついつい浮ついた間抜けな返事をしてしまったのだ。