ドラッグストア♡ラバー

俺は山田。『ドラッグストア・トニートニー』アルバイト歴三ヵ月。大学に入学して人生で初めてアルバイトを始めた。初めは緊張でぎこちなかったけれど、三ヵ月経てばアルバイトにもそこそこ慣れるもので、初めはこんな数覚えられねぇ!と思っていた商品も自然と覚えて案内もそれほど不自由なく行えるようになった。化粧品はかわらず難解なワードばかり並んでちんぷんかんぷんだけど、導入液やら化粧水やら、とにかく女は大変だなあってことはわかる。
二十一時。仕事を終えた会社員の帰宅客が多い時間帯だ。みんな疲れた顔をして店に入るなり、大体はカップラーメンか酒のコーナーに吸い寄せられていく。
社会人ってそんなに大変なのかよ?ああはなりたくねェな…と俺は自分の将来の姿をみているようで少し不安になる。

「いらっしゃいませ〜」

ウィーンと自動ドアが開く音がして、品出しをしながら反射的に入り口を見ると、常連客がスマホを片手に入ってきた。

「おー、今着いた。じゅーなんざいね、じゅーなんざい」

"エースさんだ"
エースさんは俺に気が付くと、片手をあげて「よおっ」と顔を揺らして挨拶して買い物カゴを手に取った。彼も仕事帰りだろう。ネイビーのスーツに白いシャツの第一ボタンを外してネクタイを緩めた姿は相変わらずかっこいい。私服ではエースさんはゆったりした服を好むようなので、俺より頭一つ背の高い彼のスーツ姿を初めて見たときは、ああこれがギャップってやつかと女でもないのに興奮してしまった。
俺が何で一顧客の名前を把握しているのかというと、エースさんは俺がレジ打ちデビューを果たした時の最初の客だったからだ。お局パートのおばちゃんにスパルタ研修を受けて、なんとかレジに立つことを許された俺は、斜め後ろにおばちゃんの刺すような監視を受けながらデビューを果たしたのである。少しでも間違えれば直ぐにおばちゃんが飛んでくる、何とも頼もしいけど恐ろしい布陣である。

「お願いします」
「い、いらっしゃいませ〜!」

上ずった声でお辞儀をして迎えれば、派手なアロハシャツを着た目つきの悪い男が立っていて俺はビビった。「お願いします」と今丁寧に言ってカゴを置いたのは、本当にこの人かと疑った。

「あら〜♡いらっしゃい♡」

ところがだ。後ろから高い猫なで声が聞こえて、驚いて見ればおばちゃんが体をくねらせていた。斜め後ろで見守るのはどうした?おばちゃんは俺の横まで出てきて上目づかいで客を見ている。いやいやいやいや!あんたそんな声出るのかよっ!自分の息子ぐらいの年齢である客にめちゃくちゃ色目使っているじゃねーかとおったまげたもんだ。
そのアロハ男さんこそ、エースさんだった。
「ああ、あんたか」とエースさんは俺の前では仏頂面のおばちゃんにも屈託のない愛想の良い笑顔を見せた。見た目とは違って、怖くない人であることを俺はすぐに悟った。
おばちゃんに関しては目が♡に完全になっていて、なるほど、この人がおばちゃんのお気に入りの客であることは良くわかった。おばちゃんの態度に引いて棒立ちしていると、おばちゃんはキッと俺を睨みつける。

「ほら、あんた、何ボーっとしてんのよ!」
「えっ、あ、はいっ!」
「いいっていいって。研修中だろ?」
「もう優しんだから〜♡甘やかしちゃだめよ♡」
「プレッシャーかけるなって。ゆっくりでいいからな。お願いします」

彼がそばかすのある頬を上げてそう言ってくれたお陰で、俺は落ち着いてレジデビューを問題なく勤めたのだった。

「おばちゃんキツイかもしれねェけど、頑張れよ」

と会計を終えた時にまで声をかけてくれて、この一回のやり取りですっかり俺は彼のファンになってしまっていた。男らしい見た目でがたいも良くて、優しさまで兼ね備えているなんて、この人かっこよすぎる。兄貴と呼ばせてほしいと思った。
エースさんはそれから俺を見かける度に「どうだ?慣れたか?」と何かと気にかけて声を掛けてくれるようになった。俺はそのやり取りが嬉しくて、金を稼ぐだけの手段であったアルバイトが少し楽しくなったのだ。
そんな俺の憧れであるエースさんには、とっても素敵な彼女さんがいる。
シャンプーコーナーで彼女さんを初めて見かけた時は、超どストライクのタイプで思わず見惚れてしまった。進学し恋人デビューにも夢を見ていた俺は、彼女こそ運命の人だと思った。何とかお近づきになりたいと下心ありありで、近くの棚で品出しをしていたら「お、いたいた」と声がした。聞き覚えのある声がしたなと思えば、スーツ姿のエースさんが現れたのだ。当たり前のように彼女のカゴを手にとり、空いた手を繋ぐ。俺たち店員に向けてくれる笑顔よりも、何倍も柔らかい彼の笑顔をみて、俺は二人が恋人同士であることを悟り、秒で失恋したのである。
少し悲しかったけれど、二人は嫉妬もできないぐらいお似合いで、俺は彼女の彼氏がエースさんで良かったと思った。「エースお帰り」と彼女さんが名前を呼び、このとき俺は憧れの客の名がエースさん≠ナあることを知ったのだ。


「ん?何だって?もう一回言ってくれ。ふぁいんふれぐ、らんす、しえる…ん?」

エースさんは今日は仕事帰りのお使いのようで一人である。電話の相手は恐らく彼女さんだ。

「そんな長い名前覚えらんねェよ。ふぁいん、ふれぐらんす、しえるうぉーみんぐ、ふろーらる。ふぁいんふれぐらんすしえるうぉーみんぐ…」

彼女さんに『復唱して!』と言われたのか、エースさんは棒読みで呪文のように新発売した柔軟剤の名前を繰り返している。男らしい人がキラキラとした魔法少女並みの商品名を口にしているのは、ミスマッチ感が否めなく傍からみるとなかなかに面白い。
エースさん絶対わかっていないでしょ?もうこれは声を掛けて案内するべきだなと思ったところ、

「山田くん‼レジ応援‼」

とお局おばちゃんに呼ばれて、俺はなんやかんや未だにおばちゃんが怖いのでその声に従ってしまった。
レジへ向かいながらチラ見すると、電話を終えたエースさんはまだ「ふれぐらんすしえる…」と唱えながら柔軟剤コーナーに向かっていく。
あっ、エースさん!新商品なので、エンドに置いてあるんです!あっ、エンドってわからないか。エンドって通路に沿って置かれた棚のことでっ〜‼と俺の心の声は届くことなく、エースさんは棚から適当に柔軟剤を一つ手に取ると眉をぐぐぐと顰めてパッケージをみている。

「ふぁいんふれぐ…ん、何だっけか?やべ忘れた」

ん?今あの人なんて言った?何となくそんな予想はしていたけれど、最初のワードで駄目だった!鶏なの?あんだけ復唱してたのに、三歩歩いたらそこまで忘れちゃうの?
顎に手を当てて一応考える素振りはしているけど、あの人絶対わかってないよ。
エースさん、ファインフレグランスウォーミングフローラルブーケは通路沿いのクリーム色のやつですっ‼
念を送っても、やはりエースさんは気付かない。そして何を思ったのか手に取った柔軟剤を棚に戻すと、彼は青色のクマのキャラクターでお馴染みの定番の柔軟剤を見つめた。純粋無垢な可愛らしいクマが両手をあげてパッケージの中で笑っている。

「…これでいいか」

うおおおい‼それF●Faだから!ファインフレグランスウォーミングフローラルブーケ何一つかすっていないから!どうせクマと目があったとかわけの分からない理由で選んだに違いない。すみません彼女さん、俺じゃ力になれませんでした…と心の中で膝が崩れ落ちた。

「山田くんっ‼」
「はっ、はいっ‼」

お局に急かされて俺は慌ててレジに入りエースさんの姿を見失ってしまった。
レジは帰宅客で長蛇の列だ。勤務している従業員総出で(といっても三人)でレジを開放するが、なかなか列はなくならない。無言でカゴを置いて肩を落としたサラリーマンたちの顔をありがとうございました〜!と次々に営業スマイルで見送るが、「ありがとう」と返ってくる声は少ないし、返ってきても小さいものだ。おい、皆元気だせ。
怒涛にレジをこなして、ようやく落ち着いてきて、そろそろ品出しに戻れるかと思ったときである。

「よぉ、ちょっとは上達しかた?」

疲れとは縁遠い声がして顔を上げれば、やはりエースさんであった。エースさんだって同じように仕事をしているはずなのに、疲れを感じないのかいつも余裕があるのだ。

「チっ!」

え?何今の?横から突然舌打ちがして見れば、お局おばちゃんが客に愛想を振りまきながら視線だけを俺に向けて睨んでいた。まさかエースさん獲られたって思ってる?エースさんの対応をしたかったようだが、商品量やレジ打ちのスピードも違うしこればかりは運である。そこまであんたに気なんて使ってられるかよ〜!俺はおばちゃんをスルーすることにした。

「もうすぐ研修バッジがとれるんっスよ!」
「そりゃすげェな!おめでとう」

く〜!直球で褒めてくれるエースさんは、やっぱりかっこよくて素敵だ。こんな人が上司なら最高なのに。
けれど彼のカゴを引きよせた俺は、「アハっ☆」と声が漏れ出てきそうな笑顔のクマのパッケージを見て固まった。お前はファインフレグランスウォーミングフローラルブーケじゃなくてF●Faだ。大間違いだ。
そうだ今こそエースさんに教えるチャンスじゃないか!そう思い立ってF●Faを手にとったところ、俺は更に固まったのだった。
ゴムの箱が五箱、クマの純粋無垢な顔の下から現れたからだ。
それもバリエーション豊かに最薄を謳うものから、イチゴ味やら、突起がついたものやらホットジェルやら。
彼女も出来たことすらない俺にとっては、未知の世界である。五箱!?一箱十枚として五十回!?いや、エースさんは筋肉質だし、体力おばけっぽいし、これぐらい買うのは当たり前なのかもしれないが。彼女さんは大丈夫なのか。エースさんにすっぽり収まってしまうほどの体の小ささで、五十回も…。そういや来月は大型連休があったけ。そこで使うのかな…?
彼女さんをこれだけ抱きますって宣言しているようなものなのに、エースさんは全く恥ずかしがる様子もなく堂々としている。俺なんて恥ずかしくてネットで買ったのに!使う予定はないけど買ったのに…!そんな所もかっこいい。

「…すっげェですね」

F●Faのことなんてすっ飛んだ俺は心の声を思わず口にした。
あ、やべェと思って口に手を当てると、エースさんはキョトンとして口をへの字にしている。こんな男女のプライベートのことなんて、店員が口にするなんてご法度なのに。
しまった、やっちまった。
しかしエースさんは、そんな俺にフッと笑ってみせた。

「好きだからな」

へっ?エースさん…今…。
ゴムを見られた時は堂々としたエースさんは、ふにゃりと顔を破顔させていた。
加えて、「あいつにはこんなに買い込んでるの秘密にしといてくれよ」と人差し指を口元にたてて言うもんだから、俺は今日もエースさんのギャップにやられて首を縦にぶんぶんとふることしかできなかったのである。
「きゃ♡」と横のレジのお局おばちゃんも被弾したようだが、もうどうでもよかった。おばちゃん、あんたじゃだめだ。エースさんは彼女さんのことが好きで好きでたまんねェんだって、恋愛経験皆無の俺でもわかる。俺はこれから二人の愛をより育む五つの箱を丁寧に目隠し紙袋にいれたのだった。

「ありがとう。じゃあな」

と爽やかに言ってエースさんは会計を終えた。台に移り、彼女さんから持たされたのか不似合いのカラフルな花柄のエコバッグをとりだした。俺もエースさんの会計でレジが落ち着いたので、休止中の札を立てて品出しへと戻る。

「いらっしゃいませ〜」

ウィーンと自動ドアが開いてまた反射的に声をかけた。パタパタと駆け足で店に入ってきたのは、エースさんの彼女さんである。彼女さんはTシャツにゆったりした肌触りがよさそうなワイドパンツ姿で、家でエースさんの帰りを待っていたことが窺える。
俺の姿をみるなり彼女さんはペコっと頭を軽く下げて微笑んでくれる。ああやっぱり今日も素敵な人で、エースさんと似ていて、エースさんはこの人だから好きなんだろうなぁなんて思った。俺があそこですよっと台を指させば、彼女さんはその先にエースさんの姿を見つけた。そして、これまたやっぱり先ほどエースさんが笑ったように、柔らかく目を輝かせて微笑んだのだ。ありがとう、と頭をもう一度さげてエースさんに駆け寄っていく。

「わっ!」
「うおおっ!びっっくりした」

彼女さんがエースさんの背中を叩くと、肩を跳ねさせて彼は驚いた。けれどそれが彼女さんだとわかるとニヤケが押さえきれず、エースさんの背中から幸せなオーラが溢れだす。

「ちょっと嫌な予感がしたから来ちゃった」
「何だよ、嫌な予感って。ちゃんと頼まれたものは買ったぜ」

嘘つけ!と俺が思ったのと同時に彼女さんはエコバッグを覗いて声をあげた。 
   
「あっ!やっぱりまたF●Fa買ってる!」
「こいつと目が合ったんだよ」
「そんなわけないじゃない!」

ほら、やっぱり予想的中だ!そんな訳のわからない理由だろうと思った。またってことは、エースさんがF●Faを買って帰ることは今回が初めてじゃないようだ。慣れっこなのか、彼女さんは諦めモードでF●Faをバッグに戻した。

「これ何?」

と彼女さんが次に手に取ったのはまさかの紙袋だ。エースさんは「やべ」って顔を一瞬したけれど、彼女さんが袋を開けようとしたので、観念した。
身を屈めて彼女さんの耳元でこそこそと喋る。そしてそれと比例して彼女さんの顔は仮装大賞の点数のごとくポポポポポポと赤くなったのであった。
恥ずかしさを誤魔化すためか彼女さんはエースさんの背中をバシバシと勢いよく叩くけれど、エースさんはケラケラと幸せそうに笑った。拗ねた彼女さんの腰を抱いて、ピタッと体をくっつけて。離してと少しだけ彼女さんは抵抗したけれど、すぐに仕方ないなと諦めて二人は仲睦まじく自動ドアを通っていく。
もう美味しくいただかれちゃってください。
二人で愛に溺れちゃってください。
あー、羨ましいぜ。まだ俺の大学生活は始まったばかりで、彼女もいなけりゃ将来の進路も何も決まっていない。でも毎日仕事に疲れてカップラーメンと酒を買って帰るだけの将来は嫌で、エースさんみたいに素敵な彼女を作って余裕のある男になりたいって思う。
俺はその決意と、二人の幸福な未来への願いを込めて、寄り添う背に向けて言うのだ。

「ありがとうございました〜。またのお越しをお待ちしております〜」