魅惑のK
かりっ あつあつ はふはふ じゅわ〜
一度食べたら止められない、止まらないもの何だ?
そう、今日の我が家の晩御飯は唐揚げである。
唐揚げには下味がかかせない。醤油に酒、みりんに塩。そして明日が休みをいいことに、たっぷりのすりおろしニンニクをいれた。今朝、仕事前に黄金比率の調味料に鶏もも肉を漬け込んだので、準備はばっちり。片栗粉をつけてあとは高温の油でカリッと揚げるだけである。
『今から帰るな』と一言入った連絡に『了解』と返事をしてから三十分。そろそろ家に着くころかな?と彼の居場所を推測して鶏肉を温めておいた油に投入する。油の温度は百八十度と完璧だ。パチパチジュジュジュと音を立てながら鶏肉が油の中に沈んでいく様は見ていて何とも気持ちがよい。
「ただいま」
タイミングを見計らったかのように玄関の扉を開けて入ってきたエースは、すぐさまキッチンに立つ私の姿をみて、ニッと笑った。「やっぱり唐揚げか!」と鼻をくんくんと動かして、小学生みたいに瞳を輝かせた。唐揚げの香ばしさは、換気扇を通ってアパートの外まで漂っているようである。
玄関を入ってすぐにダイニングキッチンに面した築三十年のこのアパートは、お風呂・トイレ・それぞれの部屋どこに行くにもまずこのダイニングキッチンを通らなければいけない。スーツの上着とリュックを床に放り投げた彼は、吸い寄せられるように音を立てる鍋に向かってくる。
そんなことは予想の範囲内だ。顔だけ振り返って、
「手ぇーっ!」
と強めに言うと、エースはわかりやすくちぇっと唇を突き出して風呂場の方に方向転換した(ちなみに洗面所は風呂場にしかない)。靴下を移動しながら脱いで、私が見張っているからか、いつもは脱ぎっぱなしにされて放置されていることが多いそれを洗面所まで持っていく。
おっと!そんなことをしていたら、パチパチパチと音を立てて黄金色に鶏肉が浮き揚がっていたので、私は慌てて菜箸で頃合いの唐揚げを掴んだのだった。吸収率抜群のキッチンペーパーを引いた皿に、できたて熱々の唐揚げをのせていく。ちょっとばかし揚げすぎたかもしれないけれど、出来上がりは上々だ。
ニンニクの香りが食欲をそそり、口の中で溢れてくる唾を嚥下した。冷蔵庫でキンキンに冷やしたビールを飲みながらすぐにでも食べたいところであるが、気持ちを抑えてボウルから次の鶏肉を掴んで再び油へと投入する。ジュワジュワジュワと泡を立てて沈む様子を眺めながら、次こそは最高のタイミングで取り出さねば、と唐揚げに集中した。それがダメだった。
抜き足、差し足、忍び足…と私の背後から腰の横を通って指が伸び、お皿のてっぺんの一番美味しそうな唐揚げを一つ摘まみあげたのだ!
「ああっ!」と叫んだときには、「あっチ」といいながらエースは頬を膨らませてハフハフと唐揚げを頬張っていた。
「美味いっ!!唐揚げはやっぱり出来たてに限るな」
「あああー!!」
エースは満足そうに舌鼓をうつが、その舌を引っ張ってやりたいぐらいに憎たらしい。
唐揚げは揚げたてが一番美味しいことなんて世界の共通認識だ。出来立てをつまみ食いするのが至福だということをわかって私は我慢していたのに、この男はぬけぬけとやってのけた。
直ぐにエースの指が、どれもう一個…と唐揚げに伸びたので、パシンっと叩くと「あ、痛ェ!」とエースは大げさに痛がってケラケラ笑い、冷蔵庫へと向かった。
やっと諦めた!?…と唐揚げに意識を戻せばまたいい色に色づいていたので慌てて鍋から取り上げる。また少しばかり揚げすぎてしまった!エースが邪魔さえしなければ!次こそは完璧な唐揚げを…と空いた鍋に鶏肉を入れると、今度は突然うなじにピタッと冷たい物をあてられて「ひゃ」っと私は叫んで肩を跳ねあげた。
「隙あり」
「ああ!」
やられた!エースの指は私が動揺した隙にまた唐揚げを一つ掴んで彼の口へと運んでいく。彼の手にはビール缶が握られていて、うなじにあてられた物の正体が分かった。プシュっとプルタブを上げて、エースが呷ればごきゅっと喉にビールが流れる音がする。ぷっは〜!とCMの俳優のように首を傾けて唸る姿が羨ま、いやいや、ますます憎たらしい。
「つまみ食い厳禁っ!」
と睨んでぶうたれれば、エースは反省の色を全く見せずに「ほら、お前も食べてみろって」と流れるようにもう一つ唐揚げを摘まみ、私の口にむにっと押し付けた。第一弾に揚げた物だったので、芸人の罰ゲームのようにアチチチチ!!とはならなかったけれど、まだそれは美味しい余熱を十分に持っている。こんな近距離でニンニクと焦がし醤油の魅惑に満ちた香り嗅いでしまっては、流石に我慢できず反射的にひと噛みする。立てた歯がカリッと皮を突き破って閉じ込められていた肉汁が溢れてくる。塩っ気のある濃いめの味付けがたまらなく、目を見開くと「美味いよなぁ!」とエースは自分が調理したみたいに得意げに笑った。これも飲め、とビールを差し出されて、喉に流せば極上のハーモニーだ。無限リピート確定である。
「美味しっ!今回の味付け完璧じゃない?」
「おう。完璧、完璧」
とエースはいつの間にかもう一つ唐揚げを頬張りながら頷いて親指を立てた。
一個口にしたのが最後。席にも着かず、ついつい指が伸びてしまう。他の人が見ていたら行儀が悪い!と怒られてしまいそうだけれど、私が唐揚げの美味しさに屈した今、二人だけのこの部屋に咎める人はいない。
お手製の梅酒まで引っ張り出して、かち割り氷にかければ、これまた唐揚げによく合うのだ。んん〜!と喉を鳴らして、エースにも飲む?とすすめたら、一口だけ口をつけて今はこれじゃねェなと言われた。
揚げても揚げても唐揚げはすぐに胃袋へ消えていく。仕事の面白ろハプニングを話しながら酒をお供に食べていたら、皿の上の唐揚げはあっという間に残り一個になっていた。酒の効果は偉大なり。
最後の一個をエースに譲って流しで指についた油を落とした。エースは唐揚げを口へ放り込むと、横着に指を舌でペロッと舐めた。
その仕草が酒のせいかなんだかエッチに思えて。ぽけ〜っと見ていたら、そのまま彼の顔が近づいて、くちびるにカプっと噛みつかれてしまった。キョトンと目を瞬かせれば、エースは口角をあげて笑う。
「に、にんにくが…」とワザと鼻を摘まんで臭がる素振りをして、キスを拒む言い訳が口をつく。しかし「お前も食ったじゃねェか」何をいまさらと顎を突き出され、それもそうかと直ぐに納得した。『ニンニクが臭くてキスやだぁ…♡』というような関係はとっくに通り越した仲である。いや、そんなこと今までにもなかったかな?
ビール缶をキッチン台に置いて、エースがもう一度顔を寄せてきたので目を閉じると、ピーピーピーと可愛らしいメロディーを奏でて炊飯器が鳴った。
残念ながら今夜のメインディッシュは空っぽで、皿には油をたっぷり染みこませたキッチンペーパーが残っているだけである。
貴方のお供はおりませんよ、と大遅刻で鳴いた炊飯器を見てケラケラ笑いながら、私たちは唐揚げ味のキスを再び交わすのだ。