ずっと、ずっと

「おおおおおれと、結婚してください!」

立ち寄った魚屋で突然両手を差し出されて、反射的にナマエは財布を握る手に力をこめた。
今しがた、これくださいと注文したばかりで、はいよ〜!と景気の良い声の後に続いた言葉がこれだったので、何が起こったのか一瞬わからなかった。
目の前には顔を真っ赤に染めた魚屋が、綺麗に直角に身体を折りたたんでお辞儀している。耳の端まで赤く、つむじから湯気すら上がりそうな男に気圧されて、ナマエは一歩後ずさって彼の言葉を頭の中で繰り返し飲み込んでいた。

結婚、結婚、結婚!?!?

漁師直売りだよ〜!という誘い文句に釣られて覗いた露店の男である。
上背があり、日によく焼け、仲間たちにも負けない隆々とした筋肉で引き締まった男は、謳い文句通り漁師なのだろう。しかし船の仲間よりもどこか清潔で爽やかに感じるのは、彼が島の男だからなのかもしれない。
十歳から海賊団の一員として船に乗り、四番隊の料理人として働いてきたナマエにとっては初めての甘い響きの言葉であった。
大海賊白ひげ海賊団はクルーの人数こそ多いが、船長である白ひげの意向で戦闘員の女は乗せない方針になっている。圧倒的に男の比率が高くとも、ナマエに浮いた話は今まで一度たりともなかった。成長を傍で見てきたクルーたちにとって、ナマエは家族であり、年頃の女に成長しようと十の少女のままなのである。
ナマエはナース達から度々恋愛譚を聞いては、恋への憧れを募らせていた。好きになって、告白されて、手をつないで、キスをして…そのあとはXXXX!と日々想像を膨らませていたら、いきなり結婚ときた。驚きはあるが、それ以上にナマエにとっては初めての恋愛経験であり、免疫のない頬はあっという間にニヤケて熱くなる。

「ええええっ、えっと…」

どう返事をしようかと困っていると、魚屋は「お願いします!」ともうひと押ししてきて、ますます言葉に詰まってしまう。

「兄さんやめといたほうがいいぜ。ナマエはおっかねェ。おれなんて、ちょっと摘まみ食いしただけで、包丁投げられたんだぜ」

ナマエの横に並び出て、代わりにそう答えたのはエースであった。四番隊隊長のサッチに頼まれて、ナマエの買出しに荷物持ちとして付き合あっていたのだ。
エースが魚屋に話したのは昨夜の船上での出来事である。
たまにはお菓子でも作るかと、ナマエは自分へのご褒美にアップルパイを焼いていた。りんごのコンポートを作って、パイ生地まで手作りである。手間暇かけてようやく完成し、少し余熱を冷まそうと置いていると、厨房にエースがやってきたのだ。歳の近いエースがナマエを話相手にと探しにくることは良くあることで、この日もエースの面白しろ話を背に聞きながら、片付けをしていたのである。

「いやァ〜、それにしてもこのパイ美味ェな!!」

ハフハフと息をしてエースが言うものだから、まさか!と振り返ればエースが既に半分以上アップルパイをさらってしまっていた。思わず片づけようと握っていた包丁が飛んだ。エースが咄嗟に炎に変わったので大事にはならなかったが、エースはそのあとこっぴどくナマエに怒られたのだった。

よりにもよって人のイメージを下げる話をするなんてっ!告白されていい気分になっていたのに台無しである。
違うんですと弁解しようと口を開く。しかしドン引きされるかと思いきや、魚屋はエースの言葉にも動じず手を差し出したままであった。ナマエの返事を今か今かと待つ額には、緊張で汗が滲んでいる。その緊張がナマエにも移り、人生で初めて告白された喜びとあいまって、頬は赤みを帯びた。

「おいおい、お前顔赤くねェか?」
「えっ、いや、違うのこれは…」
「……断るよな?」
「も、もちろん」

エースはナマエの顔をジーっと見つめて、眉間に皺を寄せている。声も心なしか低くて怖い。
事実ナマエは船を降りる気なんてこれっぽっちもない。過去に島で出会った男と恋に落ちて、そのまま船を降りた仲間もいた。けれどナマエは白ひげ海賊団が好きであったし、モビーは家族と過ごす大切な家だ。そりゃ恋愛に夢こそみているが、結婚など意識するにはまだまだ早いと思っている。
だか直球で向けられた初めての好意に舞い上がってしまっているのは事実であった。なるべく魚屋が傷つかないようにお断りしたいと思うのだが、上手い言葉が出てこない。

「何て断ったらいい?」
「無理だって言えばいいだろ」
「直球すぎない…?」

エースとこそこそ話していると、痺れを切らして魚屋がようやく顔をあげた。そして顔を寄せて話すエースとナマエを見て怪訝そうに顔を顰めた。

「お二人は恋人ですか?」
「滅相もございませんっ!!」
「な゛っ!お前なぁ…」

即答するナマエにエースは呆れたように苦い声を漏らした。反して魚屋はナマエの返事に「よかった」と安堵で顔を綻ばせ、再度綺麗に身体を折り曲げて手を差し出した。

「おれ、本気ですっ!!一目ぼれなんです!!絶対幸せにしますっ!!貴方を守ります!!」

畳み掛けるように一息に熱烈な言葉を並べられて、ナマエはクラクラと眩暈を覚えた。ナースの恋愛譚で出てきた憧れのセリフの応酬である。口元が緩み、流されそうになってしまうが気を引き締めて断りをいれる。

「あの私、明日にはこの島を出るんです」
「そんな、おれ諦めきれません!大切にします!!」
「ですから私は船の料理人でして…」
「あなたが好きなんです!!」

こりゃダメだ。ナマエが断ることを察して、口を開けば聞きたくないと言わんばかりに言葉をかぶせられる。ナマエがハイと言うまでこの調子を続ける気だ。エースにどうしよう?と再度助け舟を求めて視線を送ると、何やってんだとあからさまに溜息をつかれた。
エースはナマエを一歩下がらせて、不意に魚屋の手を掴んだ。魚屋はハッと顔をあげるが、手を掴んだのがエースだと分かると分かりやすく肩を落として困惑したようにたじろいだ。

「悪ィな。こいつはダメだ。諦めてくれ」

エースが諭すようにいう。しかし魚屋はその言葉に爽やかな顔に目を怒らせて、エースを睨みつけた。

「あんたさっきから何なんだ!おれは彼女に聞いてるんだ!!」

エースの手を振り払って声を荒げる。ナマエは慇懃にしていた魚屋が急に声を荒げたので、驚いて思わずエースの背に隠れた。しかしエースは怒声にも怖気ることなく、いつもの調子で顔だけ振り返りナマエに問いかける。

「だってよ。ナマエ、どうすんだ?」
「ご、ごめんなさい。お気持ちはすごく嬉しいんですけど、無理です!!」
「そうだよな。ということで、諦めてくれ」
「そんなっ!!」

魚屋は飛び出して、エースの後ろに隠れるナマエの腕に手を伸ばした。しかしその手はすぐさまエースにピシャリと払いのけられ、同時にジッと音をたててエースの指先から炎が揺らめいた。ひいぃと声をあげて、魚屋は悪魔でも見たかのように尻もちをついて後ずさりする。

「こいつはダメだ」

魚屋を見下ろして、エースが低い声で言い放つ。
そして、いくぞとナマエの手を引っ張って歩きだし、ナマエは足をもたつかせながら後を追いかけたのだった。ごめんなさい、と振り返って声をかけたが、放心状態で瞬きすら忘れた魚屋には届くことはなかった。


「エースちょっと待って、歩くの速いっ!」
魚屋を離れてからエースは一向にナマエを見ずに歩き続ける。魚屋からは十分に距離が開いたというのに手を離してくれず、追う背中は曲がって不機嫌さがにじんでいる。

「…ああいう事言われると、嬉しいもンなのか?」

エースは立ち止まり、振り向かずに言った。ナマエは虚をつかれて瞬きを繰り返した。

「初めてあんなこと言われたから、ちょっと嬉しかったかな…」
「会ったばかりのやつに言われてもか?」
「あははは、舞いあがっちゃいましたネ…」

正直な感想であった。自分に好意を抱いてくれたことは素直に嬉しかった。
しかしエースは変わらず機嫌が悪く、何か思うことがあるのか黙り込む。いつもの彼なら「ナマエが求婚された!」と笑い話にしそうなのに今回は違うようである。握られたままの手に力がこもり、汗ばんだ熱がじれったかったがナマエはエースの言葉を待った。

「顔赤くされると焦るだろ」
「えっ?」

エースが振り返り言った。ナマエがその言葉に目を開くと、エースは言葉を続ける。

「お前には船にいてもらわねェと困る」
「降りる気なんて、これっぽっちもないよ」
「だったら、次はちゃんと断ってくれ」
「……うん、ごめんね。さっきはありがとう」

そう言うとエースは納得したのか「ん」と短く相槌を打ち、またナマエの手をひいて歩き始める。エースの背は機嫌が戻ってすっきりと伸び、ナマエは分かりやすいな、と口角を上げた。それにナマエが船を降りると思って臍を曲げていたというのが、少し可愛いらしく、同時に嬉しかった。

「……もしかして嫉妬だったり…?」

冗談めかしくいうと、エースが急に立ち止まったのでナマエは危うくその背にぶつかりそうになった。しかしもう一度振り返ったエースは生真面目に口を結んで、頬は赤く染まっている。

「そうだ。わるいかよ?」

そんな言葉が返ってくるなんて思わなかった。エースの赤が伝播するように同じように頬が染まり、ナマエは言葉を失った。エースは目を逸らさないし、相変わらず手は握られたままで、逃げだすことも隠れることもできずにナマエは俯いた。
エースと一緒にいてこんな空気に、こんな男女の空気になることなんて今までなかったものだから、戸惑って調子が狂ってしまう。

「またおれにも言わせてくれよ。魚屋が言った言葉」

頭の上に言葉を落とされる。

「それって…どういう…」

反射的に顔をあげて口にだせば、その最中にもつい先ほど魚屋が告げてきた言葉が一つ一つ思い出される。

―おれと結婚してください
―本気ですっ!!一目ぼれなんです!!
―絶対幸せにしますっ!!貴方を守ります!!
―大切にします!
―あなたが好きなんです

思い出せば思い出すほど、羞恥でますます頬は赤くなっていく。エースの口からこんな言葉がでるなんて想像できないのに、笑いとばせない。

「おれが言っても赤くなるのか」

ナマエの顔をみて、ケラケラとエースは声を上げて歯を見せて満足気に笑った。そして再びナマエの手を引いて歩き出す。
どんどんモビーが停泊する海岸まで近付いていく。
こんな手を繋いだまま船に帰っては仲間に揶揄われるのは必至なのに、離す気なんてこれっぽっちもないと指までしっかりと絡められて解くことなんてできない。二人の手の重なりは、まるで炎でも生まれるかのように熱い。ナマエはまだエースの言葉の意味を計り知れずに呆けたまま、彼の後をただただついていく。
けれど体中が熱くて熱くてたまらない。
魚屋の時より、ずっとずっと熱い。