あとで、の甘え時間

「それじゃあ、今回はおれとハックで対応する。コアラとナマエはこの手紙の件にあたってくれ。先に現地に入って情報収集を。後でおれたちも合流する」
「わかりました」

力強く頷いて、ナマエはサボから手紙を受け取った。その手紙はとある島の市民から送られた、貴族たちの横暴を赤裸々に告白するものだった。

「今回はバディよろしくね」
「うん、こちらこそ」

今しがた共有された情報をコアラと再確認し、世界地図を広げる。手紙に暗号でしめされた島の名前を偉大なる航路の線上でみつけ、大きく赤い丸印を付けた。
目的地は夏島。バルティゴとは気温差が大きい島だ。食料の確保や体調管理がつきもので、入念に準備をしなければいけない。二人で必要なものを相談し、辿るべき航路を思案していると、むずむずと視線を感じ、思わず地図から顔をあげた。視線の先には腕組みをしているサボがいて。サボは視線が交わると、ふっと笑って指をゆっくりと三回動かした。誰にも気づかれないない二人だけの秘密の信号に、とくんと胸がたかなる。それきり、何事もなかったかのようにすぐにサボはハックと打ち合わせを始めてしまったので、ナマエもコアラの話になんとか意識を戻した。
出発は永久指針が手に入り次第すぐ。構成員たちは優秀なので、早ければ明日。遅くとも二、三日で連絡がくるだろう。急いで準備しなければ、と大慌てでナマエは自室へ戻った。
サボが指信号で示したのは『あとで』の三文字。
二人きりで過ごさないか、という彼からのお誘いなのだ。


あれから、一時間が経過したころ。自室へ戻ったナマエは衣装棚から夏服をひっぱり出して、吟味していた。航路は穏やかな気候が続きそうだが、念のために上着を持っていこうとカーディガンを手に取ると「準備は順調か?」と声をかけて、サボが部屋に入ってきた。
『あとで』の時間が来たのだ、とナマエの胸は再びとくんと鳴った。
慌てて、カーディガンをトランクに押し込んで蓋をしめると、不意にぎゅうっとサボに後ろから抱きしめられた。彼女に体重を少し預けて、サボは甘えるように背中へ頬を押し付ける。先ほどまで卓越したリーダーシップをとって指示を出していた人とは思えず、笑ってしまうとサボは「どうして笑うんだ」といじけるように尋ねた。今回の『あとで』は随分と性急のようだ。
「とりあえず、座ろっか」と声をかければ、「ああ」と彼は頷いて、ベッドへの僅か数メートルの距離も手を繋いで移動する。サボは当たり前のように先に座って、「ん」とナマエに足の間に座るよう促した。言われた通りに座ると、サボは彼女のお腹へ手を回しその体をぐっと自身へ引き寄せた。

「嫌だ」
「離れたくない」
「なんで別行動なんだ」

とサボは他の構成員たちが聞けば耳を疑うような言葉を並べて駄々をこねる。指示を出したのは自分であろうに。皆には決して見せられない姿であるが、『あとで』の時間を何度も彼と過ごしているナマエにとってはお馴染みの光景だった。

「参謀総長殿のご指示ですよ」
「悪いやつがいるもんだな。おれとお前を引き離すなんて」
「いいえ。賢明な判断だと思います。ハックとお二人のほうが、より早く解決に向かうかと」
「おれの恋人は物分かりがよすぎて、少し寂しくなる」

市民のSOSはこのバルティゴに毎日世界中から届けられる。サボは参謀総長というだけあってここを拠点とすることが多い。しかしナマエは幹部補佐のため、一つ案件が片付けば、拠点に戻らずにまた別の幹部の元へ赴くこともある。このバルティゴで二人が顔を合わせることは稀で、まして二人きりで過ごせる時間は限られている。

「寂しくないのか?」
「それは、寂しいよ」
「もういっそおれの専属補佐にするべきかな」
「そんなこと、絶対にしないくせに」

そうサボは言うけれど、彼が公私混同は絶対にしないことをわかっているので軽くあしらう。子どものように駄々をこねているけれど、ナマエが「じゃあ、行かない」と言えば彼は「行け」というだろう。革命軍が成そうとしてることは世界をひっくり返すほどの大事で、お遊びじゃない。参謀総長を務める彼が緩んでは、組織は崩壊する。それを二人ともわかった上で関係を続けている。だから、これはいつも離れ離れになるときのお決まりの、ほんの戯れ。二人きりの時だけは、互いの立場から心の中にしまう気持ちをはきだす。それがこの『あとで』の時間なのだ。決して皆にこんな姿をみせない彼だからこそ、ナマエは存分に甘やかしてやりたいと思う。

「次は夏島だったな。あまり露出の多い服は止めてくれよ」
「着ませんよ」
「電伝虫には出てくれ」
「もちろん、出ますよ。サボも、要件だけ言って切らないでね」
「お前のは切らないだろ?」
「そう言われれば、そうかもしれないね?」

くすくす笑いながら、ナマエはお腹に回った彼の手に重ねるように手を添えた。肩から顔を覗かせたサボと眼が合って、それが合図みたいに二人とも口を閉ざして、甘い空気が漂う。柔らかい彼の前髪がおでこに触れて、目を瞑れば、"プルプルプルプル"とタイミング悪く胸ポケットから可愛らしい声が聞こえ、唇は触れる寸前でピタリと止まった。サボは少し残念そうに「どうぞ」と頭を傾ける。お言葉に甘えてナマエがそれをポケットからとり出すと、嬉しそうに淡い黄色の電伝虫は喋り始めた。
『あ、ナマエちゃん?ちょっと今いいかな』
溌剌としたコアラの声が聞こえ、サボは口を結ぶ。伝えられる内容にナマエは相槌をうち、時折彼の抱きしめる手に力が加わるのを感じた。そして"ガチャ"と電伝虫が会話を終えて目を閉じれば、サボはまるで呼吸を止めていたみたいに息を吐き出し、ナマエの肩に項垂れて、グリグリと額をこすりつける。無理もない。ナマエも同じ気持ちだった。

「…永久指針が手に入ったって言ってたね」
「ほんと、皆優秀で困るな」

皮肉っぽくサボは言うが、その言葉には感心が含まれていた。助けを求める市民の元へいち早く駆けつけることができる。仲間たちのなんて頼もしいことか。
けれどそれは、この『あとで』の時間が早くも終わってしまうことを意味していた。出発は今日中。項垂れた頭を撫でてやれば、眉を下げて「潮時だな」と彼は笑う。そして先ほど触れなかった唇をもう一度寄せて、ゆっくりとナマエのそれに重ねた。この唇が離れればナマエはコアラと合流してしまう。できるだけ、ゆっくりと、呼吸が続く限り重ねていたいと思う。できるならこの甘い唇に舌をいれてもってナマエを感じたい。けれど、そうしてしまえば、朝まで彼女を離せなくなってしまうことは必至だった。

唇が離れ、もも色に頬を染めたナマエが手を撫でると、一本一本名残惜しそうにサボの指は解けた。ベッドから立ち上がりウンと背伸びをしたかと思えば、ナマエはトランクを開けて慌ただしく荷造りを再開している。サボは目を細めてその様子をみつめる。本当に頼もしい。自慢の部下であり、恋人だ。そんな彼女だからこそサボはナマエと共にありたいと思う。
離れたくないと駄々をこねていたのは一体誰であったのか。ベッドから軽やかに立ち上がると、サボは衣服を整えた。
「ナマエ、無茶はするなよ」
「うん!いってくるね。サボも気をつけて」
「ああ。おれも出来るだけ早く合流できるように頑張るよ」
そう答えて彼女の部屋をあとにする。男の顔は、既に、参謀総長"サボ"の顔をしていた。