プラトニックジャンパー

高校三年の冬。卒業を間近に控えた日。私とエースはキスをした。正確にはされた。
いつものように、エースの部屋でゲームをしていて、私はうたた寝してしまったのである。熱い気配を感じて、目をうっすらと開けば、エースの顔が真ん前にあった。エースはしまったと瞳を大きくしたが、私が「なっ」と短く声をあげると半ばやけくそに唇を塞いだのだった。
ファーストキスだった。そしてそれは、"幼馴染"として保ってきた均衡が崩れた瞬間であった。

家が隣同士の、同い年の幼馴染。親同士の仲がいいこともあって、私とエースは小さいころから一緒に育ってきた。毎日顔を合わせて、遊んで笑って喧嘩して。お互いの家に転がり込んで、ご飯を食べたり小さい頃は風呂に入ったり一緒に寝たり。
学友たちは私たちを『夫婦』だと散々に揶揄ったけれど、私とエースは他人同士が繋がる夫婦というよりも、血の繋がった兄弟のほうが近かった。
しかしそう思っていたのは、私だけだったと。このキスで思い知ってしまった。その事実に、頭が金槌で打たれたようにぐわんと揺れた。
調子にのったエースが舌をいれようとしたので、私は火事場の馬鹿力でその体を引き剥し、尻もちをついた彼を放って部屋を飛び出したのである。
あれから、一年が経過した。エースとはキスした日以来、一度も口をきいてはいない。

「げ」
「おっ」

そんなエースと再会したのは、真冬の地元の駅であった。
高校時代の女友達と久々に遊んだ夜で、気分は上場。終電で帰る彼女を駅に送り届け、「今から帰る」と家に連絡をして、顔をあげたとき、見覚えのあるシルエットが改札向こうに見えたのだ。
エースは高校を卒業したと同時にアルバイトでお世話になっていたオヤジさんの会社に就職した。それを機に彼は一人暮らしを始め、物理的にも私たちの距離は開いてしまった。引越し前に、ウチにも挨拶にきたようだが私は留守だったので会えていない。
ラインや電話がくることもなく、私も意固地になって自分から連絡はできずにいた。十八年の付き合いはこうも簡単に終わってしまうのかというほど、あっけない別れであった。
けれど一緒に過ごした十八年。こちらは遠目でみても、その人がエースであるとわかってしまった。
それは彼も同じであったのか。素っ頓狂な声をあげた矢先、こちらに駆け足で向かってくる姿が見えて私も咄嗟に踵を返したのだ。

「きゃーー!!」
「待てって!!」
「何でいるのよ!!」
「逃げんな!!」

B級恋愛映画のようなやり取りをしながら、駅のロータリーに沿って必死に足を動かして逃げる。しかし学生時代運動部の助っ人に引っ張りだこになっていた彼にかなうわけもなく。秒でリーチを詰められて、腕を捕られてしまった。ぜェぜェと息を切らしているのは私だけだ。
一向に振り向かない私にしびれを切らしたエースに強引に手をひかれ、私は一年ぶりに、彼の顔を見たのであった。
高校三年の頃よりも、背が伸びて体つきも大きくなって、少し日に焼けたように思う。懐かしいその姿に、逃げたい気持ちとは裏腹に目の奥がジンとして咄嗟に顎を下げた。一年も口を聞かなかったのに。そんなこと今までなかったから何を話せばいいのかわからない。久しぶりとか、他人行儀な挨拶しか浮かばず口を閉ざす。しかし、彼は言い切ったのだ。

「おれは謝るつもりはないからな」

その言葉に弾けて顔をあげれば、エースは私を一直線に見ていた。主語のない、突拍子もない台詞だが、それがあの日のことをさしていることなんて嫌でもわかってしまう。
あれから一年。私は、度々あの日のことを思い出した。何なら、今日も散々「エースくんとはどうなの?」と尋ねられて、鮮明に思い出したばかりだ。何のこと?とすっとぼけても、エースはきっと手を放してくれないだろう。この男は真っ直ぐで、融通なんて効かないのだ。いや、他の人には効いてたかもしれないけど。私には決してプリンを譲ることなんてなかったし、自転車を二ケツする時も絶対じゃんけんで率先して漕いでくれることなんてなかった。
私たちはいつも対等だった。身体つきがかわったって男女の隔たりなく一緒にいたのだ。でもエースはそれを否定する。あの日のキスをなかったことにはしないと言うのだ。

「…エースって私とえっちなこと、したいと思うの?」

あの日以降、頭をよぎってずっときけなかった言葉を細い声で口にすれば、腕を掴むエースの力が強まった。恐る恐る彼を見れば、エースは予想に反してブっと笑いを爆発させた。ゲラゲラと顎を上げて笑うものだから、私は頭の上にハテナマークを沢山浮かべて間抜けな顔をしてしまった。

「悪ィ。まさかそんな聞かれ方するとは思ってなかった。はははっ!」
「なっ何笑ってるの…!私は悩んで、真剣に聞いてるのにっ…!」
「おれはしたい」
「きゃー!何言ってんのよ!」
「何だよ聞いたのはお前だぜ?お前はどうなんだ」
「……そんなこと考えたことないもの」
「あれから一度もか?」
「……」
「考えてんじゃねェか」
「そりゃあんなことされたら、考えるよ!」

エースとキスをする、セックスをする。そりゃ、何度か考えたけれど。恥ずかしく途中で想像をやめての繰り返しだった。ずっと私にとってエースは幼馴染であって家族であったのだ。恋人になるなんて。わからない、というのが正直な気持ちだった。
けれどこの一年、私の頭を埋めていたのは間違いなくエースで。傍にいないというのが、不思議で、寂しかったのだ。咄嗟に逃げたけれど、今日会えたことは嬉しくて。馬鹿みたいなこのやり取りが懐かしく、楽しくて、愛しくて泣きたくなる。
そしてエースは容赦なく、まだ気持ちの整理がつかずあたふたする私にとどめを刺すのだ。

「おれはお前のことずっと女として見てる。そろそろ、幼馴染ってやつやめねェか」

いつになく真面目な低い声で、エースは腕を掴んだ手を滑らせて私の手をとった。小さいころに何度も繋いで今さら恥ずかしがる理由なんてないのに、どくんと心臓が脈打った。
これから、私たちの関係がどう変わるのかなんてわからない。わからないけれど、その可能性は『0』だとも言い切れず、私はエースの手を躊躇いながらも握り返した。
無理やりだったくせにキスもして、なんなら舌もちょっと入れた。セックスだってしたいといった。その癖に、たった手を繋いだだけで、エースは心底嬉しそうに笑うのだ。その笑みにもう一度どくんと心臓が鳴って、私の中のエースが"幼馴染"の彼でなくなったことを知らしめたのであった。