微睡に、溶ける。

冬の朝、人間は皆猫になると思う。
消し忘れたアラームが鳴って薄っすらと目を開けるとカーテンの隙間から日の光が入り、朝を知らせる。
失敗した。今日は有給をとっているから、起きる必要なんてなかったのに。
ピピピピピと規則正しく鳴り続けるスマホを手探りで見つけ、まだ焦点も十分にあっていない目で画面をタッチした。布団から出た手が部屋の冷たい空気に触れ、慌てて引っ込める。そして布団の中でまた猫のように体を丸めて。その温かさに、じんわりと、そのうち、またウトウトと瞼が重くなってしまうのだ。冬の二度寝を避ける事なんて不可能にも思える。

うつらうつらしていると、バタンとドアが閉まる音がして、ナマエは耳を傾けた。
のそ、のそと気だるい足音がする。同居人は珍しく起きているようだった。
築三十年の2DKのアパートは玄関をあけるとすぐにダイニングキッチンに面している。洋室一部屋と和室一部屋、トイレ、浴槽。どこに行くにしても必ずダイニングキッチンを通らなければいけない。
八畳の小さなダイニングは唯一エアコンが備え付けられている。
大方、彼も寒さに耐えかねて、暖をとりにいったのだろう。
そうだ、それなら暖房が効いた頃を見計らって私も起きようかな。
と布団に顔を沈めたところ、予想に反してナマエの部屋の扉がガチャっと音を立てた。

「まだ起きねェのか」
「‥‥」
「おーい」
「‥‥」

ノックもなしに入って来たエースに、ナマエは一度狸寝入りをすることにした。「歩くとこねェな」とぶつくさ言いながら、机とベッドで殆どのスペースが埋まっている部屋を進んで彼は枕もとに立つ。それは貴方の部屋もだろ、と内心言ってやりたかったが布団の温かさからは抜け出せそうにない。
起こしにきてくれた彼には悪いけれど、もう少しだけダラダラさせてもらおうと決めた。さあ、早くダイニングに戻って、部屋を温めるんだと念を送っていると、いきなり布団がガバッと捲られた。冷気が入って、ナマエが「わっ」と小さく叫んだと同時にギシっとベッドが悲鳴をあげる。

「ちょっと奥行けよ」
「…こちらシングルベットでございます」
「お邪魔します」
「え、聞こえてる?」

無視してエースは布団に潜り込むと、動かないナマエを壁に追いやるように押す。そしてその腹に手を回して後ろから包むように抱きしめた。
シングルは大人二人が寝るには勿論狭い。ナマエの体に添わせるよう、彼も体を丸めてぴったりとくっつくと、なんとか二人の体は収まった。
「やっぱ布団はあったけェな……」としみじみ言いながら、彼のつま先が自分のそれに触れたとき、あまりの冷たさにナマエの肩は跳ね上がった。体温を奪うみたいにスリっと擦りつけて、喉を鳴らしてエースは笑う。

「スリッパ履いてなかったの!?」

顔だけ振り返って抗議しても、「どっか行っちまった」と彼はあっけらかんとして言った。
絶対に脱衣所にあるでしょうと思いつつ、エースが楽しそうに笑っているのでもう何だかどうでもよくなる。顔を元にもどして目を閉じれば、エースは構って欲しそうに首元に顔を埋めた。少しだけ、くすぐったい。

「起きねェのか」
「んー、もうちょっと」
「でかけるんじゃなかったのかよ」
「あったかいお茶いれてくれたら起きるよ」
「自分でいれろ」
「えー。じゃあ、せーので一緒に出ようよ」
「おう、いいぜ」
「じゃあ、いくよ。せーの!」
「「 ‥‥‥‥‥ 」」

案の定布団はピクリとも動かない。沈黙にどちらが最初に耐えかねたのか。
ぷっと吹き出したのをかわきりに、あっははは!と大口を開けて笑いあう。
やっぱりね。この心地よさから抜け出すなんて出来やしない。
二人分の体温でどんどんと温かくなる布団の中は天国だ。エースは少し体温が高めで、それがより一層心地よい。どうやら眠気が移ってしまったみたいで、ふわああと大きな欠伸が耳元で聞こえる。人間様の三大欲求には、せっかくのお出かけの約束も敵わない。

「もうちょっと寝よっか」
「おー」

エースはごそごそと体勢を整えて、一番安心する位置を見つけたのか動きを止めた。
ナマエは腹に回った彼の手に、手を重ねて、もう一度目を瞑る。
ああ、今回はちょっと、本当にだめかもしれない。うとうと、うとうとと少しずつ意識が遠のいていくと、先にスーっと後ろから寝息が聞こえてきた。
いや、寝るの早すぎない?
重々に知ってはいることだが、毎度彼の寝入りの早さには驚かされる。
くふふと、口元が緩んだけれど、眠気で声は出なかった。
(おやすみ、エース)
今日は天気も良さそうだ。さぁ、今日はどこへ行こうか。そんな話題が飛び交うのは、しばらく先になりそうだ。今はただ、この心地よさに身をまかせて。
息をすっと吸い込んだと同時に、ナマエの意識は微睡の中に溶けていった。