恋する厨房
ぱんっ!ぱんっ!ぱぱぱぱんっ!
「おい!チョコはまだなのか!」
「クラッカーさんのペースが早いんですよ!焦らせないでください!」
間髪言わずに凄い剣幕で巻くしたてられて、ぐぬぬぬっとクラッカーは口を結んだ。
早朝四時。ここはビスケット大臣、シャーロット・クラッカーの屋敷の厨房である。コックコートに身を包み、コック帽に長髪を収めた男の手拍子と叫び声が静謐な屋敷の中に響いた。そしてそれに負けず劣らず聞こえるのが、クラッカーの妻であるナマエの声であった。厨房の外では、執事やメイドたちが朝の給仕のためにパタパタと往来しているが誰も二人の様子を気に留めはしない。この屋敷ではすっかりお馴染みの光景である。すれ違いざまに「今日もお二人はお元気ね」と言葉をかわすのは、天気の話をするぐらい常套句となっていた。
屋敷の主であるクラッカーは昨年、妻を娶った。それがナマエであった。
ナマエは偉大なる航路に位置する小島の出身である。その島は一年を通して平均温度が二七度を超える夏島である。加えて湿度も高く、カカオが特産物である。国の経済はカカオ製品の輸出が主な財源となっており、香りと風味が豊かな島のカカオは世界中のパティシエ達を魅了していた。
当然、クラッカーの母親であり、大のお菓子好きであるシャーロット・リンリンがこの島を見逃す訳もなく。昨年脅しをかけて、島の安寧と引き換えに強引に島主に婚姻を結ばせた。そしてその白羽の矢が立ったのが、島主の一人娘であるナマエであった。名前を聞くだけで震えあがる四皇の提案に、軍事力をほとんどもたない島はなす術もなく。島民たちは政略結婚を強いられるナマエを気の毒に思ったが、等の本人は「適齢期なんじゃない?」とあっけらかんとしていた。
そして婚姻当日。ホールケーキ諸島にやってきて、初めてクラッカーと対面したナマエは自分の倍ほど体も年齢も違う彼をみて「よろしく」と手を差し出したのであった。クラッカーの顔がひきつっていようが、睨まれようが臆することない。実に肝の座った女であり、周りは顔色を真っ青にしたがクラッカーはナマエを一目で気に入った。そんなこと、一度も口にしたことはないが。
そしてそんな経緯から結婚した二人は、今日、厨房でチョコビスケット作りに勤しんでいる。この諸島には年に一度"愛の日"と定められた祝日がある。老若男女問わず、愛する人にお菓子を送るのが習いである。
「へェ、おもしろそうですね」
昨年は丁度ナマエが嫁いでから一月後が"愛の日"であった。故郷の島にはない祝日にナマエは興味を示し、クラッカーに提案したのである。
「せっかくですし、二人で何か作って売ってみましょうよ。私の紹介も兼ねて」
こいつは何を言っているのだ、と初めこそ眉根を寄せたものの、
「クラッカーさんの能力では、小さいお菓子を沢山作るのは難しいですよね?」
と舐められて、クラッカーの職人魂に火が着いたのである。
毎月諸島に大量に送られてくる故郷のカカオパウダーから作るナマエお手製のチョコレートと、クラッカーによって生み出されるビスケットのコラボレーション。リンリンが太鼓判を押したカカオのチョコレート、三将星のビスケットに島民たちが興味を示さないはずもなく。用意したチョコビスケット八枚入りの小袋百個は瞬く間に完売した。
そして何の偶然か、そのチョコビスケットを渡すと『想いが通じ合った』と言うまことしやかな噂が数日後には諸島中を飛び交ったのである。
「クラッカー様、今年も奥様とチョコビスケットを作るのですか?」
「昨年は買えなかったので、今年は絶対買って彼に告白しますっっ!」
という島民たちの言葉を耳にタコがいくつも出来るほど聞いた。
そして仕方なく、今年の"愛の日"が訪れる数カ月前にクラッカーはナマエに声をかけたのである。
「おい、今年もチョコビスケットを作るぞ」
「え?今年も?」
「これも大臣の務めだ。付き合え」
「それはいいですけど。貴方からそんなこと提案されるとは思っていませんでした。大丈夫ですか?また小さいビスケットを沢山作るんですよ」
「つべこべ言わず、カカオパウダーの手配を怠るなよっ!」
「わかりましたよ」
今年の製作数は昨年の三倍の三百袋。一袋八個入りなので、単純計算で二千四百枚のビスケットが必要になる。普段ビスケット兵や住居の外壁等大きなビスケットを生み出すことに長けているクラッカーにとって、小さなビスケットを生み出すことはやや神経を使う。かつ、職人気質な男なので、大きさが均一でなければ納得しない。
早朝三時から始まったチョコビスケット作り。手拍子は鳴りやむことなく続いていた。ナマエも前もってカカオパウダーを精練して作ったチョコレートを溶かし、ビスケットの上に伸ばしていく。チョコレートの美味しさもしっかりと味わってほしいので、厚めにチョコレートをビスケットの表面に乗せていく。クラッカーほどではないが、生まれたときから島のカカオと育ってきただけあって、こだわりはある。チョコレートの厚みを確かめながら、一枚一枚仕上げていく。
ぱんっ!ぱん!ぱぱぱっぱんっっ!
「おい、こっちに百枚置いておく!」
「了解です!大丈夫ですか!ちょっと息あがってません?」
「バカめ。おれがこれ如きで!貴様こそ手が震えているんじゃないか?」
「そう見えるなら、ビスケットが完成したら手伝ってください。はい、頑張って!打って、打って!」
「貴様!!おれの能力を馬鹿にしているのか!?」
「うわっ!唾が飛ぶからあっちいってくださいっ!」
要らぬやり取りで体力を消費していると、二人を指摘するものはいない。
一度は執事たちも手伝いを申し出たのだが、クラッカーに「余計な事はするな」と一蹴された。ナマエは「えー。ちょっとは手伝ってもらいましょうよ」と嘆いていたが、クラッカーは聞く耳をもたなかった。執事たちは二人の様子をみてクスクスと笑い、それ以来声はかけてこない。やけにこそばゆい視線を向けられたのは、何だったのか…
ぱんっ!ぱん!ぱぱぱっぱんっっ!ぱんっ!!
「できたぞ!これで、ラスト百枚だ!」
「じゃあ、クラッカーさんこのボウルお願いします!私の反対側から乗せていってください!」
「おれに命令するな!…おい、分量は!?」
「スプーン二杯でお願いします!!」
クラッカーは能力と神経を酷使して体力を消耗しているのだが、ナマエはお構いなしだ。全くこの女は…とぶつくさ言いながらも、ボウルから香るチョコレートの香りは芳しく鼻孔をくすぐった。こっそり味見したチョコレートは絶妙なバランスで甘さと苦みを兼ね備えていて、なるほどクラッカーのビスケットとよく馴染みそうであった。思わず口角があがるが、むずがゆい視線を感じてクラッカーはハッと咄嗟に口を結んだ。恐る恐る視線を運べば、ナマエはクラッカーの方をみて、ニヤリと誇らしげな笑みを浮かべている。
「どうです?美味しいでしょ」
「悪くは…ないっ。いいから手を動かせ」
「クラッカーさんもでしょう!?」
「ああ、そうだな。終わりは近い。手を休めるなよ」
「了解です!」
広々とした厨房は二人しかいないはずなのに熱気を帯びている。二人はつりそうな腕を叱咤しながら、けれど決して手を抜くことなく一枚一枚チョコレートを乗せて伸ばしていく。
このビスケットは島民たちの想いを乗せるのだ。二人で完成させるからこそ、その想いはより乗るように思えた。作業台のナマエは左から、クラッカーは右からチョコレートを乗せて。二人の距離は少しずつ近づいていく。このチョコビスケットもこうやって誰かの距離を縮めるのかもしれない。
ナマエを横目で見れば、ナマエは真剣な眼差しでチョコレートを乗せている。そして満足の行く出来になると、「よしっ」と頷いた。その姿に口元がまた緩んでしまいそうになり、クラッカーは慌てて視線を逸らした。そして、最後の一枚にナマエはチョコレートを乗せて、丁寧に伸ばした。
ふう、っと息を吐くと、勢いよく隣に並ぶクラッカーを見た。歓喜のあまり、息をのんで口元が震えているようだった。クラッカーは手をナマエへ差し出す。ナマエはその手を数秒見つめて、がしっ!と力強く両手で掴んだ。
「…できました!完成です!」
ぶんぶんと小さな手でクラッカーの手を振り回すが、今日だけは好きにさせてやることにした。
時刻は九時を回っている。十一時に島の中心街で発売を予定している。クラッカーが厨房の電伝虫を手に取ると、すぐさま執事たちが厨房の扉を開けて現れた。そして所狭しと置かれていたビスケットはあれよあれよと言う間に運ばれていってしまった。本当は包装まで二人でしたかったのだが、販売の時刻に間に合わせるにはやむを得ず執事たちの力を借りることとなった。ナマエは「みんな相変わらず仕事が早いですね」と感心して笑っている。
クラッカーがコック帽を脱ぎ、作業台に置いた。一つにまとめられた髪がぱさりと落ち、ナマエもそれに習って帽子を脱ぐ。そして続けてコックコートを脱ごうと手を伸ばすと、「おい」とクラッカーに呼ばれナマエは顔を上げた。目の前にはどこから取り出したのか、薄紫に白い水玉をあしらった可愛らしい小袋があった。作業台に手をついて、クラッカーは身をかがめナマエの表情を覗く。
「なんです、これ?」
「黙って受けとれ」
「私がもらっていいんですか?」
「そうだと言っているだろ」
それならば、とナマエは袋を手に取り、遠慮なく袋に巻かれた黄色のリボンに手を伸ばした。そして袋の中を覗き込んで、瞬きを数回するとそれを胸に抱き締める。
「これ、クラッカーさんお手製ですか?」
「ああ」
「私だけに?」
「……ああ、そうだ」
気にくわなかったのかと見れば、ナマエはいつになく、しおらしい態度で。その上、頬を薄桃色に染めてふふふと顔を綻ばせるものだから、クラッカーの胸は年甲斐もなくドキっと大きく高鳴った。
「とっても嬉しいです。大切に食べますね!」
「っ、好きにしろっ!」
「ごめんなさい、私何も用意できてなくて。今度とっておきのチョコレートを用意しますから」
「勝手にしろ」
ナマエがこの三日三晩カカオパウダーからチョコレートを作っていたのは知っている。チョコレート自体を故郷から取り寄せてもよかったのだが。チョコレート作りからやりたいとナマエは譲りはしなかったのだ。
「クラッカーさん」
「何だ」
「抱きしめてもいいですか?」
「っ、そんなこと聞くな!」
ナマエの急な要求にクラッカーは虚をつかれて声を荒げる。そしてコートを脱ぎ、そっぽを向いて扉へ向かってしまう。しかし長い髪を揺蕩わせるその背中は隙だらけで、足取りも些かゆったりと見える。今ならナマエでも三将星と呼ばれる男から一本とれるような気がした。
それは、つまりOKってことですか?全く本当に素直じゃない人だ。
ナマエは胸に抱いた自分だけのビスケットをもう一度抱きしめる。そして彼の背に向かって、全力疾走したのである。