憂鬱な背に口付けを

「こ、これは…」

ナマエはベティから拝借したドレスに袖を通して絶句した。
案件を片付けて、次の拠点へ移動するまでの束の間の休息。たまには少し贅沢して、良いレストランで食事でも…と恋人のサボと約束したのは昨日のこと。格式ばった、とはいかないまでも、いつものシャツとパンツスタイルで入店すると明らかに浮いてしまうようなレストラン。恋人からの提案が嬉しくて、ついつい一つ返事で「行くっ」と答えたものの、着ていく服もなく困り果てていたナマエに救いの手を伸ばしたのはベティであった。
ベティが「これならナマエにも似合うと思うよ」と広げてみせたのは、シンプルでクラシカルなロングワンピースであった。総レースで作られたワンピースは落ち着いた濃いブルーである。ノースリーブでこそあるものの、足も露出しないし、これぐらいのお洒落なら私もできるかもしれない。そう思って意気込んで借りたのはいいものの、約束の時間の三十分前。事務作業に時間をとられ、慌てて宿に戻り袖を通したナマエは固まった。
後ろのファスナーは何度試しても、腰でとまって上がらない。背中に部屋の空気がふれ、回した指は直接地肌に触れた。
これって、まさか。
慌てて鏡で確認すると、むき出しの背中が映った。不格好にブラジャーが見えて、誰も見ていないのにナマエは思わずその場にしゃがみこんだ。
ベティさ〜んっっ!!
どうしてちゃんと確認しなかったのか。派手好きのベティが、ただのシンプルなワンピースを寄こすはずがないと疑うべきであったとナマエは頭を抱えた。ベティにとっては「たかが、背中」なのかもしれないが、普段全く露出をしないナマエにとっては、恥ずかしさの方が勝ってしまう。
専用の下着もないし、替えの服を今から街に買いに行っても、約束の時間には間に合わない。何かせめて、この背中を隠すものを…とトランクを開けたと同時に、ガチャっと部屋の扉が音を立てた。
この部屋に、ノックもせずに入ってくる人物なんて一人しかいない。
持ち前の反射神経で振り返れば、ブルーのシャツに黒のジャケットをまとったサボが扉を開けて足を踏み入れた。普段ロングコートで隠れ気味の足は、今日は惜しげもなくその長さをみせつける。紳士な彼よりも男らしさを感じる装いに、ナマエは緊張を覚えた。
なんて素敵なんだろう。
呆けて見とれていたら、「へェ…」とサボも同じくナマエの姿をみて感嘆の声をあげた。
顎に手をあてて、足元からじっくりと見上げられ、ナマエはいたたまれなくなって咄嗟に腕を胸元で交差させた。

「何してるんだ?」

ナマエの不可解な動作に、サボは怪訝そうに眉を寄せる。
しまった、あからさまだったか。

「へ、いや、普段こういう服って着ないから。戸惑っちゃって。変じゃない?」
「よく似合ってる、綺麗だ」

彼らしい直球の誉め言葉に頬が素直に赤くなった。なんて単純なのだろうと、我ながら思うが、恋人からの誉め言葉に舞いあがってしまう。

「もっと、良く見せてくれ」
「へっ?」

にやけた顔を真顔にしたナマエを気にする素振りをみせず、サボは長い足を進めた。ナマエは慌てて後退するが、手首は容易に掴まれてしまった。

「何で逃げるんだ?」
「いやいや、逃げてなんていないよ」
「…逃げている理由ってこれだろ?」
「あっ」

むき出しのナマエの背中に、サボは線を引くように指を滑らせた。いつもの手袋は今日は身につけておらず、直接サボの体温を感じてナマエはこそばゆくて身を捩った。

「どうして、わかったの…?」
「どうしてって、丸映りだからな」

くつくつと笑いながら顎で後ろを指されて。なるほど鏡に背中が映し出されていることに今さら気が付いた。こんなことにも気が付かないなんて、ワンピース云々、間抜けな自分が恥ずかしい。顎を下げれば、サボはナマエのブラジャーのベルトに指をかけ、わざとらしく鏡越しに見せつける。

「よくお前に似合っているが、これはいただけないな」

指を離すとパチッと音をたてて、ブラジャーがナマエの背を跳ね打った。その音に羞恥を煽られてナマエの頬が先ほどよりもますます朱を帯び、火照りでじんわりと汗が滲む。
サボは時々いじわるで、ナマエが恥ずかしくなるようなことをワザとする。今も面白い揶揄う理由を見つけたと言わんばかりに、口元はゆるく弧を描き、ナマエの表情を覗き見ている。

「大方、ベティにでも借りたんだろ?」
「ご名答です…」
「頼む相手を間違えたな」

全くその通りのご意見で、ぐうの音も出ず黙ってしまう。サボにはこの経緯もすべてお見通しなのだろう。しょんぼりとしたナマエにサボはやりすぎたか?と困ったように微笑んで、頭を一撫でした。

「おれの為に着てくれたんだろ?」
「…そうだけど」
「ありがとな」

こめかみに口づけられ、ナマエは顔をあげた。申し訳なさそうに、眉がくっついてしまいそうなぐらいにわかりやすく凹んでいる。

自分のために慣れない服を着ようと試みてくれた。それだけで十分であった。背中を横切る下着も、彼女らしくて可愛らしいと思ってしまうのだから、おれも大概なのだろうとサボは思う。

「でも、こんな格好のお前を連れていくことはできねェな。今日はゆっくり部屋で過ごすか」
「それは駄目だよ。せっかく楽しみにしてたのに」

ナマエは肩を落とすが、サボは微笑んで、その肩に手を添えた。こういうときは、とびっきりの言葉をかけてやる。
「特別な場所じゃなくていい。おれは、お前と過ごせるならどこでもいいんだ」 
さらに髪を撫でられて、優しい彼の言葉にナマエは少し元気をとり戻したようであった。
レストランにいけないのは本当に残念だけれど、サボのいう通り、二人でゆっくりと過ごせるだけでも二人にとっては貴重な時間なのだ。場所など関係ない、といってくれた彼の言葉に安堵してあたたかい気持ちになる。
名を呼ばれてサボを見れば、彼は目を細めてナマエを見つめている。
「ここには、おれとお前しかいないんだ。その服、もっとよく見せてくれよ」
今日の予定が飛んだのは自分が原因であるので申し訳なく。着替えてしまいたい気持ちはあったけれど、恋人たってのお願いなので「いいよ」と頷いた。

「あっちにいこう」

サボは嬉しそうにナマエの腰に手を当てて近くのソファへエスコートする。
お洒落をして、好きな人にエスコートされる。それが例え宿の一室でも特別に思えるから不思議である。場所なんて関係ない。サボと一緒にいられる、それだけでこんなにも満たされるのだ。
ナマエは、手をとって、これから彼と過ごす幸福な時間を思って足を踏み出した。

瞬間、
パチっ
サボの指は、ブラジャーのホックをいとも簡単に外したのであった。