もう一度を所望します。

悪い魔法使いによって眠りについたお姫様は、王子様のキスによって目を覚ます。
小さいころに白ひげ海賊団に拾われた私に、サッチが与えてくれた絵本の物語。目を覚ましたお姫様はそれはそれは美しく笑って、王子様に熱い抱擁を交わすのだ。
その物語をサッチのベッドで読んでから一緒に眠りにつく。それは日課で、サッチはよくも飽きずに同じ本を何度も読めるなって呆れていた。飽きるわけない。だってこの王子様のキスは幼い私にとって何よりもすごい魔法のようで憧れだったのだ。

「ねェ、サッチ。キスってどんなの?」
「そりゃこの姫さんが泣いて喜ぶぐらいすげェもんよ」
「ふわふわしてるの?本当にこんな風にお星さまが飛ぶの?わたしも王子様に出会ったらキスしてもらえる?」

そんな純粋な質問を次々にしたのは何歳ぐらいのことだったんだろう。
そんなにキスをしてほしいなら、おれがしてやる!とふざけたサッチに頬っぺたにむにゅっと口を押し付けられて、そのゾワゾワとした感触にぎゃああと叫んだ私は、その夜マルコの部屋で寝かせてもらった。サッチが次の朝、廊下に正座で座らされてマルコに説教をくらっていたのはちょっと面白かった。

ある程度大きくなり酒場にも連れていってもらえるようになってから、初めてクルーが女の人とキスをするのを見た。キスで星が飛ばないことを知った時はショックだったけれど、キスを交わす二人はうっとりとお互いを見つめて幸せそうだった。サッチにあんまり見るもんじゃねェと瞼に手を置かれて遮られてしまったけれど、キスへの憧れは消えなかった。絵本はいまでも宝物である。紙がボロボロになった今も、大切に手元に置いてある。キスは私にとって特別なものなのだ。大好きな人に恋をした人に初めてのキスを捧げると決めていたのだ。それなのにこんなにもあっけなく、それを捧げることになるなんて一体誰が想像したんだろうか。


珍しく怖いもの知らずの海賊がモビーを攻めて来た時のことだ。モビーの前甲板に乗り込んできた海賊たちに、血気盛んに飛び出して行ったのは、最近盃を交わして乗船してばかりのエースだった。年齢が近いからとサッチに紹介され何かとつるむことが多い男である。

「おれが片づける!お前ら手ェだすなよっ!」

エースは自信満々に宣言した。騒ぎを聞きつけて集まってきたクルーたちも、相手海賊の力量をすぐに見極めて、エースになら任せて大丈夫だろうと見物し始める。なんなら酒を持ち寄って談笑するぐらい余裕の相手であった。エースは宣言した通り、炎を器用に巻き上げながら意にもせず敵を次々になぎ倒していく。見ていて爽快すら感じるエースの戦いぶりを、私は前方マストの物見台から文字通り高みの見物をしていたのだ。天気が良かったので、サンドイッチを作って日向ぼっこをしている最中であった。

「いいぞー!エース!」
「やれー!」

歓声に引っ張られて私も物見台から身体を乗り出して様子を見ていた。そしたら敵の一人が私の存在に気づいてしまった。明らかに見た目弱そうな女は負け率100%の無謀な戦いの形勢逆転の1発に見えたのだろう。男は皆の目を盗んでロープを登って私の所までやってきたのだ。台の手すりに男の手が見えた時、私は大声で叫んだ。あいにく男を殴る道具も持っていない。
私の声に気づいたエースは目を剥いて、「なんでお前そんな所にいるんだっ!」と言いたげに口をあんぐりと開けた。他のクルーたちもしかり。非戦闘員の私は戦闘が始まったら隠れるのが鉄則である。

「ナマエ!!飛べっ!」

エースは私に向かって叫ぶけれど、大海賊船のモビーはマスト1本でも巨大である。ざっと見積もって甲板から数十メートルはあるのだ。

「むむ、無理っ!!」
「いいから飛びやがれっ!!」

そう簡単に言われても、足がすくむ。登るのと飛ぶのでは怖さに雲泥の差があるのだ。
そうだマルコに不死鳥の姿で迎えに来てもらおう!とも思ったが、マルコはこの時オヤジの診察でこの場にいなかった。

「おれが絶対に受けとめる!!」

エースが敵をなぎ倒しながらもう一度叫び、こちらへ向かって手を伸ばし、私は意を決して手すりに足を掛けた。食べかけのサンドイッチを男の顔面に投げて、ゔぉっと男が情けない声を上げたと同時に飛び降りたのだ。わああ!!っとクルーの叫び声が上がった。
エースは煙を激しく上げて炎の噴射の勢いに身体を任せてこちらに向かって上昇してくる。落下の勢いと風圧に目を瞑ると、エースの逞しい腕が私の身体を空中で捕えたのだった。温かい炎に纏われ予想していたような衝撃はなく、エースは私の背中へ両腕を回してかっちりと抱きとめた。そして落下の最中、驚いてエースを見上げる海賊にめがけて指を突き出した彼は高らかに火拳っっ!!とお得意の必殺技をくりだしたのだ。
さながら王子様がお姫様を救出するようで、私は彼の腕の中でどきどきと心臓を高鳴らせて、こんなに頼もしいやつなんだとエースを見ていた。
しかしその時、敵海賊の一人が降り落ちる炎に驚いて、銃をしっちゃかめっちゃかに撃ち放ったのだ。エースは「げっ、あいつ!」と私の頭をかき抱いて胸板に抑えつけ、その男へめがけて炎を再び放った。男は炎を受け、アチチッと叫びながら海に飛び込んだ。そして私とエースは空中でバランスを崩し、そのまま甲板に打ち付けられるように落下したのだった。幸いにも咄嗟にエースが背から炎を噴出させてくれたお陰で、それがクッションになり衝撃はなかった。しかし、それと同時にガリっと鈍い音と、カサつく感触を唇に受けたのだ。驚くほど近くに、目前にエースの顔があった。まつ毛が触れあいそうな距離でお互いに目を見開いて、数秒固まった。エースがごくりと喉を鳴らして口を僅かに動かすと、その感触と温度はより緻密に伝わって来て、私は慌ててエースの上から飛び起きたのだ。口元を抑えればうっすらと血が指の腹に付着した。寝そべった身体を起こしたエースの唇も同じ箇所が切れていた。エースが血を親指でぬぐって私を見た。お互いが「嘘だろ?」という顔をしていた。
「ナマエっ、」とエースが私に声をかけようとした瞬間、誰かがプっと噴き出した。

「「「アッハハッハハハハハハハっっっ!!!」」」

それを皮きりに見物していた皆が一斉に笑いを爆発させて、今起こった出来事を面白い事件だと囃し立てた。私はそれがどうしようもないぐらい悲しくて恥ずかしくなって、エースの言葉を待たずにその場を飛び出した。
絵本の中のお姫様がうっとりするようなキス。星が煌めくキス。ずっと憧れていたキス。
走りながらぼたぼたと涙がこぼれ始めた。
キスは、キスは特別な人としたかった。本当に恋をした人に捧げようと、大切にとっておいたのに、みんなの目の前で晒しものになった。
全くふわふわもしていない、カサつく唇だった。
わかっている。エースは私を助けようと必死だったってこと。事故だったのだ。仕方なかったのだ。だけれど、ぶつかる様に合わさった唇が痛くて仕方がない。

◇ ◇ ◇


やっちまった。口元についた血を拭って、ナマエを追いかけていた。
くそっ、あいつ足速すぎるだろ!かろうじて見えるナマエの背中を追いかけるが一向に距離は縮まらない。
オヤジと盃をかわし、白ひげ海賊団の一員となったおれは敵襲に我先にと飛び出した。おれの力を皆に見せつけてやりたかった。敵は手ごたえのねェやつばかりで、正直物足りない。おれの独壇場。手助けなんてのはいらねェ。もうさっさと片づけてしまおうと、視界に入ったやつから相手をしていると突然上の方から「ぎゃああああー!!!」と叫び声が聞こえた。
捕まってモビーに乗ったときから、一番聞いている声だ。聞き間違えるはずねェ、ナマエだった。姿が見えないと思っていたナマエがマストの上にいた。しかも敵がすぐそこまで迫っている。汚ねェ手で触るな!と怒りが爆発して、とっさにナマエに「飛べっ!!」と叫んでいた。
サッチに仲良くしろよ、と紹介された年の近い女。オヤジに負けて捕まったおれに毎日飯を届けにくるのがナマエだった。初めはナマエもおれも互いに敵意むき出しだった。飯をいらないと言えば、無理やり口につっこまれたし、フライパンで殴られたこともある。こんな女しらねェ!と印象は最悪だった。

「あれでも可愛い所あんだよ。夢みてるとことかな」

サッチやマルコは口を揃えていったが、信じられなかった。「夢ェ?」と尋ねると、「これは勝手に話したらナマエにどやされる」とうやむやにされた。まあそれはさほど気にはしなかった。だけど二人のいうとおり実際ナマエに好意を持ってる奴は多いようだ。

「可愛いよな」
「はっ…!?デュース本気で言ってんのか?」
「ああいう子がいると船が明るくなるじゃねェか」

医務室でデュースにナマエの小言を言ったら、そう返ってきたので驚いた。そりゃ初めてナマエを見たとき外面はかわっ…悪くねェとは思った。4番隊だけあって、作る飯も美味い。最初の印象は最悪とは言え、一番この船で話をしているのはナマエだった。
オヤジに反抗的な態度をとり続けるおれに、今までの冒険の話をきかせろと懲りもせずに来た。あまりにしつけェから少し話してやると、ナマエがゲラゲラと楽しそうに話も聞くもんだから、おれも調子にのって話こむようになった。その姿はちょっとルフィに似ているなと思ったので、泣き虫だった弟の話をすると「すごいね、そのこ!」と手を叩いて笑ったもんだ。ナマエは物心がついたころからこの船に乗っているらしく、島のサバイバル生活が珍しいようだった。
ナマエの笑い声は広い船の中でもよく響く。何が楽しいんだかわからないが、とにかくよく笑うやつだ。医務室の扉を開けると今もナマエの声が聞こえてくる。甲板に出ていたサッチに話しかけて、肩を震わせて笑っている。サッチはもちろんナマエが餓鬼だったころからの付き合いだ。風呂に入ったことも、一緒に寝たこともあるんだぞ〜と何故か自慢気に話されたことがある。ナマエがバカ笑いしているなんて珍しいことでもねェ。わかっているのに、最近その姿をみると苛立つのだ。

「見すぎだバカ」

デュースに小突かれる。

「見てねェよ!」
「はいはい、いいねェ若いってのは」

ったく少し年上だからって揶揄いやがって。と言った矢先、やっぱりナマエを目で追っている。サッチがナマエの頭に手をやるのが面白くない。それを気にもせず、笑い続けるナマエが面白くない。腹が立つ理由がよくわからない。



「いいから、飛びやがれっ!!!」

2度目の呼びかけにナマエはようやくマストから飛び降りた。男にサンドイッチを投げつけたときは、やるな!と関心して口笛が出た。炎を巻き上げてナマエを空中で受けとめ、絶対に離してたまるかと思った。諦め悪く銃を打つ野郎に火拳をお見舞いしたところ、情けねェことにバランスをくずして咄嗟にナマエの頭を抱え込んで背中から炎を吹き出した。大した衝撃もなく着地して安堵したが、同時に唇にジリッと痛みと柔い熱を感じる。なんだぁ?と目を開くとナマエが泣き顔でおれを見下ろしていた。ナマエの口にもおれと同じように血が滲む。
まさか、いや、まさかだよな?もしかしなくても、今のはやっちまったのか?
名前を呼んだが、野郎どもが馬鹿笑いを始めてかき消された。ナマエはますます目に涙をためて逃げ出したのだ。

「あはは!やっちまったー!」

いつものおれならそう皆と笑い合ったかもしれない。けどおれはすぐにナマエの後を追いかけていた。うまく言えねェけど、絶対にこのままにしちゃいけない気がした。



ようやく後甲板まで走りぬけ、立ち尽くすナマエの二の腕をつかんだ。
全力疾走で息が苦しい。名前を呼んでも振り向いてくれないので、仕方なく隣に立つと、ナマエがボタボタボタボタさっきより涙を流していてぎょっとした。

「いや、違うの、、さっきは助けてくれて、ありがとね!」

懸命に声を絞り出している強がっているのが余計に堪える。泣くほど嫌だったのか。事故とはいえしてしまったことは悪かった。でもおれは、おれは、嫌だとは微塵も思わなかった。ここで謝ったら、完全になかったことにされる。それは絶対に嫌だ。

「さっきのことだけど「あ!あれ?ほら、事故だし!!たまたま運悪くぶつかっちゃっただけだし!!なしなし!全然、全然私は気にしないから!!大丈夫だから」

おいおい、いきなり『なかったこと宣言』かよ。涙をぬぐいながら食い気味で言葉をさえぎられ、無性に腹がたってくる。ナマエはもう話は終わりだとばかりにおれを見ない。冗談じゃねェ。

「おれはなかったことにしねェ」
「え?」

肩をつかむと、ナマエが目をまん丸くして声をあげたが、このまま「そうだな!じゃあな!」とは言えない。

「おれは嫌じゃなかった」
「な、なに言ってんのよ!!
「だから嫌じゃなかったって」
「同じこと繰り返さないでよ!第1エース、キスってわかる?キスってのは好きな人とするもんなの!」
「バカにすんな!それくらいわかってらァ!!でもお前として嫌じゃなかったんだから、どうしようもねェだろ!」
「ななな、何言ってんのよ!!それじゃまるで、まるで…!!」

ナマエは何か言いたいことがあるのか、口を震わせる。トマトみたいにみるみる真っ赤になるナマエにたまらなく触れたくなった。かわいいと思った。肩に手をやると跳ねあがってカチカチに固まる。

「もう1回だ」
「はぃ?」
「ちゃんとしたやつを、もう1回する」
「意味わかんない!私は王子様のキスをするんだってば…!」
「何だよ王子様のキスって」
「王子様のキスは…こう、星が飛ぶような、、甘い感じのやつでっ…!!」

ナマエは身振り手振りで説明するけど、全く意味がわからない。だいたい誰だ?その王子様ってやつは。急に出てきた野郎の名前に、ますますいらついてくる。

「よくわかんねェけど、多分おれの方がいい気がする」
「その自信どこから湧いてくるんですかねェ!?」
「いいからもう1回だ。本気で嫌なら後からぶん殴れ」
「勝手すぎるでしょっ・・・・!」

なかったことにするなんてふざけた事が言えないように、小せェ唇を覆うように重ねてやった。肩を強張らせ、まあまあな力で胸を叩かれたが、離してやんねェ。
やっぱり嫌じゃない。おれはナマエとこうすることが嫌じゃない。触れていると少しずついらだちが収まる感覚がある。
唇を離したら100%ナマエの鉄拳がとんでくるだろう。無理やりしてんだ。拳は避けずに黙って受け入れよう。ぜってー痛ェんだろうな。ナマエのやつ、初めて会った時から確実に力をつけてやがる。
それでも、そうわかっていても、おれはもう一度ナマエとキスをしたいのだ。






あとがき
お互い好きになる前のお話でした。エースに無理やりキスされたら滾る!!という不純な動機からかきました。本当はもっと人気のないとろこに引っ張って壁ドンからのちゅ〜とかさせてあげたかったんですが、若いし、まだ恋というのがはっきり自覚なく、直感的に生きてるエースがかわいいのでこうなりました。このキスのあと二人はどうなるんでしょうね。きっとフライパンどころじゃないぞ。包丁飛んでこないように気を付けてね。
事故から始まる恋。うまくいくといいですね。
そしてASLオンリー開催おめでとうございます!最高のイベントですね。
みなさんの大好きな推しを浴びて、浴びて浴びまくってくださいね〜〜!!
主催者様、サークル主様、参加してくださった方々。本当にありがとうございました。

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