act.05
してやれること
やっと見つけた彼女は傘もささず、雨の中でひとり佇んでいた。
どのくらいそこにいたのか推測できるほどずぶ濡れの衣服から、彼女には雨風をしのげる場所すらないのだと思い知らされた。
そして家に連れて帰ってきた次の日、当然ながら彼女は高熱をだして寝こんでしまう。
軽い気持ちで『出ていけばいい』と言った手前もあり、あまり罪悪感を覚えない自分でも今回は良心が痛んだ。
それに彼女────名前の風邪の原因である"家出"の理由をなんとなく察知したであろう妻からの叱責の視線も加わり、熱が下がるまで生きた心地がしなかった。
そんな状況で妻にそこら辺にいた名前を代わりに連れてきたなんてことも言えず日々も過ぎていき、アイツが自分なりに日常を過ごすには問題ないようになった。
だが『心ここにあらず』と言ったように、気がつけばその目はどこか遠くを見ていることが多い。
ホームシックと言えば聞こえはいいが、それ以上の深いなにかがその瞳に写っていることは俺でもなんとなく分かった。
なにか元気づけられることがあればいいが、いいものが思い浮かばない。
俺が今してやれそうなことといえば、金を出すことと、もうひとつ。
「名前、裏でテニスの相手してくれや」
「……布団を干さないといけないので」
「手伝いは明日でもできるだろ?俺は今打ちてーの」
「でも……」
「でももヘチマもねーよ。ほれ、行くぞ」
そこから去ろうとする腕を掴み、外へ連れだす。
家の裏手側へでて寺に通じる石階段を登りだすと、分かりやすく息の上がる声が聞こえだした。
振り返ると顔を下に向けながらゼェハァと肩で息をしている名前。
風邪は完治しており、そこそこ力を使う家の手伝いもしている程度には動けていることから、元々の問題なのだろう。
あまりの体力のなさにこれから運動ができるのか心配になり、声をかける。
「登り始めてすぐなのにそんなへばって大丈夫か?」
「……大丈夫じゃ、ないです……」
その返事が二重の意味に捉えられ、からかおうとしていた軽口が叩けなくなってしまう。
それからは無言のまま登り終わるのを待ち、息が十分整ったのを確認すると「ついて来い」と寺に設けたテニスコートへと案内する。
コートに着くと既に用意していた予備のラケットを手渡し、反対側のコートから軽く下打ちでボールを飛ばす。
名前は飛んできたボールに反応して難なく打ち返してくるので、そのレベルに合わせて打ち返してやる。
フォームや体の反応からしてテニスをそれなりに経験していたことがすぐ分かった。
ただ、前回のことを踏まえて『お前テニスやってただろ』と詮索するようなことを直球で聞けるはずもなく、今度は左右に揺さぶりをかけてボールを追わせることにする。
ボールを追っている時の目は、ちゃんとここを視ているようだ。
「階段ですぐへばってた割にはマトモなの打つじゃねーか!でもまだまだだな」
自分は一歩も動かないまま名前を左右に走らせていると、流石に体力が尽きたのかラリーが終わる。
それでものろのろとボールを取りに行こうとする背中に「無理すんな」と声をかければ、膝に手をついてその場にへたりこんだ。
限界は思ったより遅かったが、やはり息子とやっている時と比べると全然物足りなかった。
まあ今回は自分の欲求より、名前をどうにかすることだったのでそこは後でリョーマを絞ってやればいい話である。
名前の最初に会った時の生気が満ちていた瞳を知っている限り、家に帰れるようになるまでには何かに打ち込ませた方がいいだろう。
しかし俺がまともに教えられるのはテニスしかない。
幸い、コイツがテニスを経験したことがあるのなら尚更だ。
ボールを追っているときの瞳は確かに生気が灯っていたのだから、きっとこれが最善策だ。
「今度お前のラケット買いに行くぞ」
「そんなっ、私には……必要、ないっ、です……」
肩で息をしながら喋る、ぐずりだそうとする子供のようなそれに、有無を言わせないよう笑って頭を無造作に撫で回す。
抵抗もできず撫で回される間、ゼェゼェと荒い息を吐く名前だけを残し「水取ってきてやるよ」と言い残しその場を去る。
階段を登り終えて息を整えていた時間を考えるとしばらくはその場を動けないだろう。
家へ戻ると台所へ向かうより先に、廊下にある固定電話からとある人物へ久々に電話をかけることにした。
「なあばあさん、ちっと頼みたいことがあるんだが……」
瞳の奥
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