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帰省
通廷書が発行され、手元に届いたのは一年の学年末に入った頃だった。
学年末は進級の試験があり、勉強や予習などに追われて忙しく、流魂街へ帰ることはすぐにできなかった。
そうしてなんとか進級が決まった後、年度の切り替わりにまとまった休みがあったので、その日を使ってやっと村へ帰れることになった。
授業で少しだけ習った歩法もあり、門まであんなに時間をかけて歩いた行き≠ェ短くなったことに感動する。
こんな私でも成長できているのだという自信がわき、勉強に対するモチベーションが思わぬところで上がる。
村へ帰ると長老と、倒れていた私を見つけてくれた少女──叶ちゃんが出迎えてくれる。
その日の内に岩鷲くんも村へ来てくれ、みんな進級のことも含めて喜んでくれた。
「……ってことがあって」
帰ってきた時間が遅くだったので積もる話はまた明日にしようと長老が決めると、次の日、岩鷲くんへ溜まりに溜まったことを話す。
学校で習ったことや、寮の広さや面白い教師のことや、野菜を育てていること。
そんな当たりさわりのない日常的で平凡な内容を告げていく。
陰口や貴族たちのことも勢いで言いそうになったが『私は元気で過ごしている』ことだけを伝えたかったので口をつぐんだ。
そして前に起きた鬼道の実技授業の出来事についても話すと楽しそうに目を細めた。
「へぇ、ずいぶん楽しそうじゃねぇか……っと!」
上段を蹴ろうとして跳ね返される足。
足を跳ね返されると無防備になったお腹に拳を叩き込まれそうになる。
みぞおちを狙って風を切っていた彼の腕をすんでで受け止め、うしろへ流す。
息を整える必要もあったため、どちらからともなく後ずさって距離をとった。
今日は岩鷲くんと話をしながら、鍛錬並びに白打の練習として久々に組み手をしてもらっていた。
視線を外さないまますり足で間合いをゆっくりと詰めていく。
攻撃可能な範囲ギリギリに入るとどちらからともなく走りこみ、胴体を狙う。
が、相手はそれを予測していたのか片足を地面に離さないまま後ろに回り込んできた。
「石波!」
「え……うわっ!」
ダンッと足踏みをする音が聞こえたかと思えば、急に足元のバランスを失った。
尻餅をつき、岩場だったはずの足元とお尻の下が細かい砂へと変わっていたことに気付く。
目の前に手刀が丁寧に突き出されると「俺様の勝ちだな!」と彼は笑った。
また負けてしまった。
降参の印に両手を上げれば、腕を握られ砂の中から引き上げられる。
肌に張り付いた砂が気持ち悪い。
服や髪やらに付いた砂埃を岩鷲くんに手伝ってもらいながら払う。
全部を払い終えると彼は自信たっぷりにニカリと笑って、頭をポンと叩いた。
「まあまあ強くなったな。また今度戻ってきたら相手してやるよ」
「おーい、名前ー!岩鷲ー!」
「おねぇちゃーん!叶ともあそぼー!!」
すると遠くから長老と叶ちゃんの呼ぶ声が聞こえてきて、二人で顔を見合わせて笑うとその方向へ走って行った。
岩鷲くんと組み手をして叶ちゃんと遊んだ翌日には、瀞霊廷へ向けて帰ることになっていた。
長老へは夜、少しだけご飯をいただきながらこれまでのことをたくさん話した。
まだ話し足りない気もするが、通廷書が手元にあればいつでも帰れる。
そう考えれば後ろ髪を引かれる思いがあるものの、村を出るまでに時間はかからなかった。
習った歩法を使い、流魂街から帰った足で秘密の場所へと向かう。
野菜が枯れていやしないだろうかと不安に思いながら早足で体を向かわせる。
しかし着いたその場所にあったのは生き生きとする生命ではなく、無惨にも踏み荒らされた跡だった。
「……っ」
思わず用意していた水が手から落ち、地面にこぼれる。
後もう少しで収穫できそうだった実や、咲きほころうとしていた蕾はなにひとつ残ってはいない。
踏み荒らされた複数の足跡がある地面に散らばり、潰れ、炭と化していた。
地面にあった黒焦げた実に指先が触れると形は崩れ、灰になって風と共にどこかへと流れていく。
「ひどい……」
目頭に熱いなにかが込み上げる。
折れてはいるものの、まだ少しの息吹が残っている茎に私はそっと手を添えた。
すると今の気持ちに似た、どことなく重さを帯びた空気が頬を撫でていく。
多分これから雨が降る。
雨の直前に漂うホコリのような特有の匂いが鼻孔をくすぐり、その予感を助長した。
空気も水分を含みはじめたのか、髪が多少重く感じられる。
風により乱れた髪型を指ですいていると、どこからか低いうめき声に似たものが聞こえる。
気味が悪いと肩をすぼませ寮へ戻ろうと足を向けた時、低いうめき声が獣の鳴き声に変わっていることに気づいた。
声の方向に顔を向ければ、黒く大きな塊がこちらに直進していた。
「ふごーっ!」
「い、いやあぁぁ!」
背後から迫りくる光ったふたつの目。
その目は完全に私へ狙いを定めていた。
狙われていることを理解した私は逃げようと駆けだす。
後を追いかける物体は、よくよく見れば動物らしく上向きの鼻、尖り出た二本の牙、背中にある黒い三本線。
それに「フゴッ」という詰まるような荒い鼻息が聞こえてきた。
猪≠セ。
人間以外の形をした魂魄を初めて見た。
『尸魂界にも動物がいるんだ』なんて思っていたら黒い影が覆いかぶさる。
空を仰げば大きな巨体が空に舞う情景。
それが猪の腹だと認識はできたが、足が思うように動かない。
逃げられないのを自覚し、潰されるかもしれないことを覚悟すると、荷物を抱えてしゃがみこんだ。
「危ねぇ!」
途端、誰かの声がして強い風が吹きつける。
砂利と草履が激しく摩擦する音が鼓膜をかすっていく。
ハッと目を開けてみると、目の前には黒い着物を着こんだ胸板があった。
見上げれば着物と同じく黒色の髪があり、長い襟足が砂埃混じりの空になびく。
そして、心配そうな顔でこちらを覗きこんでくる。
くっきりとした下睫毛と顔立ちが、仲の良いとある人物を思い起こさせた。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫……です」
「怪我とかしてねぇか?」
全身の確認をし、首を縦に振る。
背中には腕がしっかりと回されており、荷物ともども彼に抱えこまれていた。
ただ『こんな状況に陥った原因はどうなったのだろう』とぼんやりと考えていたら、男の後ろから大きな影がぬっと現れ、鋭い眼光を放つ。
驚いて男の着物にしがみつけば男は異常に気が付いたのか「ん?」と後ろを振り返った。
「本当悪ぃな、今日はボニーちゃん気ぃ立ってるらしくてよ」
俺のせいだわ。
そう言いながら男はピンクのリボンで結ばれた茶色のたてがみを撫でる。
猪はそれに気分がよくなったのか、その手に甘えるように頭を擦り寄らせ鼻を鳴らした。
「アンタ、霊術院の生徒だよな?俺これから用事があるんだけど一人で帰れるか?」
猪からの重圧におされながらコクコクと頷く。
男の人はそれに満足すると「じゃあ気をつけてな」と頭をぐりぐりと掻き混ぜるように撫でて笑った。
『笑った』───そのはずなのに、顔は空と同じように曇っていた。
今すぐにでも雨が降りだしそうで、この人には晴れが似合うだろうにと胸が苦しくなる。
目の前から男の人と猪が去った時、泣き崩れるかのように雲が慟哭をはじめた。
rain cried.
(今頃あの人も泣いているんだろうか)
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