籠 り   main diary mail reply  
act.09


朝起きると、身体の節々がきしんで所々満足に動かせなくなっていた。
応急処置として特に痛みを感じる箇所に湿布を貼っていき、のろのろと制服に着替えていく。
そのあと毎朝手伝っている簡単な朝食の手伝いも、おばあさんがやるようなもっさりとしたものになり、倫子さんと菜々子さんに心配されてしまう。
二人には「大丈夫」と返したがあまり大丈夫ではなかった。
今日は直帰すると決心しながら、これまでの倍くらいの時間をかけて登校していると、後ろから声をかけられる。


「あの、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です。お気になさらず……」


振り返ると長い三つ編みをふたつさげたセーラー服の女子がいた。竜崎桜乃≠セ。
彼女はオロオロしながら心配そうな顔をしてこちらを覗きこんでくる。
手で壁をつたってのそのそと歩く女子生徒に周りは敬遠して声をかけなかったのに、桜乃は声をかけた。
居候のギシギシとした怪しい挙動もスルーしていたリョーマ。「湿布くせぇ」と言ったデリカシーのない南次郎。彼らとは大違いだ。
その優しさを噛みしめながらゆっくり歩いて対応していると、元気ハツラツといった高い声が後ろから響く。


「なにやってんの桜乃?早く行かないと遅刻するわよ!」
「あ、朋ちゃんおはよう」


つややかな黒髪を高い位置でツインテールに結んだ女子が桜乃の横に並ぶ。
彼女は朋ちゃん≠アと小坂田朋香≠セ。
朋香は友人がなにに気をひかれているのか確認しようとし、桜乃の肩を軽く押しのける。
そしてその先にいた私の存在を確認すると、彼女の好奇心に満ちたネコのようなつり目が丸くなった。


「あれ、アンタ確かリョーマ様と同じクラスの……」
「あ、本当だ。えっと、苗字さん……だっけ?身体大丈夫?」


存在が周りから浮いていることもあるので、名前を知られていることにさほど驚きはなかった。
しかし同学年と分かるなり桜乃の敬語が一瞬でとかれたので、一応同い年認定されているらしい。
直近まで小学生だった彼女たちには理解しがたいだろうことは容易に想像できるが、心配してくれていることは確かなので正直に答えることにした。


「大丈夫。ただの筋肉痛だから……」


そう言うと、二人は不思議そうに顔を見合わせたのだった。




結局あのあと二人に「このままだと遅刻するから」と背中を押されて学校へ着いた。
着いた時間は確かに遅刻ギリギリで、あのままだと遅刻をしていただろう。
別に遅刻をしても問題ないと思っていたが、彼女たちの厚意は純粋に嬉しかった。

時間のこともあったので急いでいる二人へ満足に礼も言えず教室へ入ってしまったため、今度ちゃんとお礼を言おうと考えながら一限目の授業を受ける。
ただ、筋肉痛の影響は思ったより強く、昨日は普通にできていた板書すら、利き手の痛みにさいなまれて時間がかかる。
間休みは身体を少しでも休ませたかったため机に突っ伏して過ごし、お昼休みはお弁当を食べるだけでも時間がかかったので、二人にお礼を言えぬまま放課後になった。

二人が隣のクラスに入っていったところは確認していたので中を覗いてみたが、もう姿はない。
お礼はまた今度にしようと思い、カバンを持って校舎を出る。
筋肉痛がひどいため部活を休む旨を伝えようと男子テニスコートへ向かうと、既に練習は始まっていたのかみんな走り込みをしていた。
そんな中、コート内には腕を組んで立っている手塚国光がいた。
今履いている靴だとコートを傷つけそうなため、コートに入らず近くのフェンス越しに声をかける。


「あの、手塚部長」
「お前は確か……苗字だったな。竜崎先生から話は聞いている。お前もグラウンド20周だ」
「えっ」


すっかり忘れていた。
多分今日はリョーマに因縁をつけた2年の荒井がリョーマと試合をし、それを止めなかったレギュラー陣まで罰として走らされた日だ。
見たところ竜崎スミレもいないし、正直休みを言いにこなくても今日は逃げられたのではないか。
そう考えると自然と口元がきゅっと渋くなる。
それを認識してか手塚の眉間にシワが寄り、眼鏡の奥の瞳が鋭くなった。


「グラウンド40周!」
「ひえっ……」


渋い顔を見られてしまっただけで罰を2倍にされてしまった。
「理不尽な」と言いたかったが、口答えをしたらさらに増やされそうな雰囲気をしていたので、このまま素直に走るしかなかった。

青春学園のグラウンドはやはり1周が長く、昨日と同様1周目の時点で息切れをおこす。
そして今日もリョーマは『我関せず』といった態度を貫き、何度も涼しい顔をして横を通り抜けていく。
昨日もリョーマより明らかに遅く家に帰っても『関係ない』といった様子で話すらしなかった。
ちょっとくらい心配してくれてもいいのではと思ったが、期待しても無駄なのだろう。
だがもし、今日走らされる原因を作ったことをおくびにも出さなかったら、いつか彼の弁当を日の丸弁当にしてやろうと強く決意した。

今日、走らなければならないのは昨日の4倍。
しかも昨日のようなジャージでもなく制服で走っているので、なおさら周囲の視線を集めた。
『着替えてこい』と言われても運動するつもりが更々なかったので体操服などを持ってきておらず、なおかつ借りる人間の検討もつかないのでどだい無理な話だ。
自分なりに走ってはいるが、既にノルマを走り終えたレギュラー陣たちがテニスコートで練習をはじめているのが見える。
対してこちらは半分もノルマがいっていないのに靴ずれをおこした足は一歩進むたびに痛みが増し、元々遅かったスピードが落ちてきている。
このままだと夜遅くなるであろう帰宅時間を予想してため息をはいた。

ノルマの4分の3をやっと走り終えた頃には空が暗くなりはじめており、男子テニス部も解散して帰宅していく部員がちらほら見える。
ここまでくると感じていた脇腹の痛みも、靴ずれの痛みも、喉が焼けるような痛みも麻痺したのか感じなくなっていた。
すると一瞬、視界がかすむような感覚を覚え、流石に水分をとろうと水飲み場へ向かおうとした。


「………水……っ」


しかし、それは既に遅かったらしく、水飲み場に着く直前で足元から崩れ落ちた。
崩れ落ちる際、とっさに受け身をとろうとしたが思ったように身体が動かず、頭部を殴打する。
そして意識が途絶える直前、驚く誰かの声を聞いた気がした。


***


部活動を終わらせる号令をかけた後、所用が残っていたので生徒会室で作業をしていると教師に呼び出された。
何事かと思えば、同じテニス部員が倒れたとのことだ。
誰のことかと思いながら保健室へ運ばれたことを聞き向かうと、新入部員の苗字が窓際のベッドで寝かされていた。
既に走り終えて帰ったものと思っていたが、そうではなかったようだ。
保健室の先生から経緯を聞くと、制服のままグラウンドを走っていたら水飲み場の前で倒れ、頭を殴打したらしい。
考えられる主な原因は脱水症であり、その転倒による外傷は頭部のたんこぶと激しい靴ずれ。
そう話を終えると、先生はため息まじりに聞いてきた。


「手塚くん、女子にグラウンド40周って本当なの?」
「竜崎先生から他と変わらず接せと言われましたので」


正直に答えると保健室の先生は眉間をおさえる。
確かに全体責任とはいえ、男子と同じく追加した量は彼女にはキツすぎたのだろう。
こちらは他の部員に指示を出さねばならかったのもあり────いや、すべては詭弁だ。
注意をあまり払ってやれず、走り終わっていないことにも気づいてやれなかったことは事実であり、過失だ。
思い返すと昨日の走り込みの時点で彼女は遅れていた話が耳に入っていたというのに。
少しでも気にしていれば防げたであろうことを思うと、自身の至らなさが情けなくなり頭が痛くなる。


「これは俺の監督不行届きです。俺が彼女の家まで送り届けます」
「送るって言っても保護者の方にももう連絡を入れてるし……」
「お願いします」


頭を下げて頼むと先生は困惑気味に「まあ先方も徒歩でくるみたいだから……」とのことで、苗字の住所を教えてもらった。
地図を用意してもらい、学校からの道順を覚えると同時に帰宅のための準備を手伝ってもらう。
保健室は外での負傷にも対応できるよう外からも入れる構造になっていたので、その裏口から帰れるよう自身の靴を用意する。
それから気を失っている苗字を背負い、先生から彼女の荷物を受け取ると、裏口から外へ出た。
外に置いた靴をはきながら先生に苗字の靴を足にかけてもらい、先生へ礼を伝えるとそのまま校内を後にした。

しばらく歩いてみて分かったが、荷物の重さに加わり意識のない人一人を背負って移動するのは思ったよりも身にこたえた。
しかしこれはケジメでもある。
軽くかけた彼女の靴も落とさないよう少し前屈みになりながら歩き、覚えた家までの順路を進んでいく。
太陽は既に沈んでおり、藍色の空にぽつぽつと灯った電柱の明かりが道を照らしていた。
そして彼女の家まであと半分を過ぎた辺りで、前から歩いてきていた作務衣の男に声をかけられる。


「あれ?名前じゃねぇか」
「あなたは……名前さんの親御さんですか?」
「あー、まあ、立場で言えばソイツの保護者だな。ここまで背負ってくるのキツかっただろ?お疲れさん」
「いえ、そんなことは……」


気まずそうな顔をして保護者と言い直す男に返事をする。
男はそれに苦笑いをひとつすると「代わるぜ」と言って背中側へ回り、背負っていた苗字を抱き抱えた。
抱き抱えた際に落ちた靴を拾い、足にかけ直そうとすると彼女の足の裏全体にガーゼが被せられていることに気づく。
外傷の事実を目の当たりにし、罪悪感が更にこみ上げる。
なるべく患部に触れないよう、つま先に靴をかけると直角に頭を下げた。


「この度は申し訳ありませんでした」
「いーって、いーって!こいつの体力が馬鹿みたいになさすぎて馬鹿だったから起きたんだろ。災難だったな」


怒られると思っていたため、軽く受け流されたことに肩透かしを食らう。
男性にまだ渡していなかった苗字の鞄をとりあえず目の前に出すと「サンキュ」とヒョイと受け取られた。
それから二言三言、言葉を交わすと「お前も早くウチへ帰れよ」と言われ、あっけなく別れた。
言われた通り帰路につくことにしたが、あまり晴れた気はしない。
実際目にした処置の範囲からして、苗字は明日からしばらくは満足に歩けないだろう。
これからは依怙贔屓ととられるかもしれないが、年上として少しは彼女に気を配ろうと心に誓った。





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