act.12
片足のスイング
練習にうちこむ少年少女たちの声と音が響く青春学園。
私はそのテニスコート横にある開けたスペースで一人、素振りをしていた。
無心に頭の中で数を数えながら手にしたラケットを振っていく。
以前できた靴ずれが治ったわけではなく、今も身体を動かすたびに地面を擦る足の裏はじくじくと痛んでいる。
日曜日に治りそうな兆候を見せていた靴ずれは1試合分、松葉杖をつくのも忘れて立ち見続けていたせいか少し悪化した。
痛みが和らがず、月曜日に念のため保健室の先生へ見せれば『最低一週間走ることはNG』と言われた。
そのことをスミレに伝えるが『走ることは無理でも素振りはできるだろう?』という無茶振りで片方松葉杖、利き手はラケットというスタイルで素振りの練習を言い渡されてしまう。
走り込みがない替わりか、通常より増やされたアホみたいな回数に感情を無くして今に至る。
はじめは片足を上げたまま松葉杖を軸にしてスイングをすると体勢が崩れそうになっていたが、何百回か過ぎた頃にはそこそこ安定しはじめてきてしまった。
スミレのスパルタさと自身の適応力に若干ひきながらも身体を動かしていると、テニスコートの方がドッと騒がしくなった。
突然の大音量で数百回のカウントが飛びそうになり、肝が冷える。
何事かとテニスコートの方をうかがうと、騒ぎから逃げるように誰かが走っていた。
そうして出入り口から出てきたのはラケットを手にした深い緑色のブレザーを着たモジャモジャ頭。
呆気にとられていると、彼──切原赤也≠ニ目が合う。
「え、なに?アンタ松葉杖つきながら素振りしてんの?青学マジヤバくない?!」
彼は私が素振りをしていたと推測するなりこちらを指さして笑ってきた。
自分の記憶だと切原が青学に来たのは柿ノ木中学校との練習試合へ行くために乗ったバスを寝過ごし、終点の青学前に着いたからだったはず。
それは日曜日の朝に起きることだったのにどうして平日の今、起きているのだろうか。
不可思議な出来事に首をひねっていたがミクスド≠ニいう要素すら原作にはないので大元がなによりも狂っていたことを思いだす。
ここは多分夢なのだからごちゃごちゃと原作を追体験しているのだろう。
そう一人で勝手に納得していると、切原が笑いながら持っていたラケットを背中のバッグへおさめる。
その際、一冊の本がバッグの中からポロリと落ちた。
「逃げようとするな切原ー!」
「うわっ、やべっ!」
「あの!本!」
声を張って呼ぶも、切原は振り返ることなく校門へと走り去っていく。
そんな健脚のスピードにこんな足で追いつけるはずもなく、とりあえず落ちた本を拾いあげる。
ついてしまった土や小石を払いながら重厚な表紙のタイトルを確認してみると、それは少し子供向けの洋書のようだった。
英語が苦手な切原の所持品でないことは確かなそれのページをめくると、最後のページに「Seiichi Yukimura.」と丁寧にマジックで書かれていた。
どうやらこれは現在入院しているであろう幸村の私物らしい。
となるとなんとかして本人へ返してあげたい気持ちが強くなる。
しかし、立海陣がこれから青学にくることはほぼないだろうことと、確定で会えるのが約二ヶ月後の関東大会であることを考えると悩んでしまう。
テニスコートの出入り口付近で本を返す方法について頭をひねっていると誰かに肩をたたかれる。
『長居しすぎたか』と我に返りその手の主を確認すると、笑顔の竜崎スミレがそこにいた。
サボっていた罰として、今日やらなければならない素振りの回数が追加されてしまった。
元々おかしかった回数が一般目線からすると規格外への昇格を果たした。
松葉杖をつきながら素振りをすること自体が無茶振りであるのに全く容赦のない仕打ちに、半分泣きそうになりながら必死にラケットを振る。
一日で終わらせられるのか分からず気が遠くなったが、部員が解散して1年生が後片付けを終えて帰りはじめた頃になんとか達成することができた。
その結果、ラケットを持っていた腕が満足に持ち上がらなくなり、夜ご飯を利き手じゃない手で握ったスプーンでいただくことになる。
途中、心配してくれた倫子さんから提案されたご飯を『あーん』で食べさせてもらう件は流石にお断りした。
次の日の放課後。
昨日酷使した脇腹の筋肉のきしみに耐え、駅のプラットフォームに立っている。
もう筋肉痛が常のような状態になってきている我が身を憐れみながら定刻通りにきた電車へ乗りこむ。
空いていた端の席に座り、松葉杖を抱き込んで向かいの車窓を眺める。
火曜日は青学テニス部が休みなので諸手を挙げて存分に休みたかったが、今日は神奈川県の立海大附属中学校へ行くことにしていた。
昨日の今日ではあるし筋肉痛もキツいが、テニス部の練習や毎日の生活に追われているといつか忘れてしまいそうな気がしたので覚えているうちに行動へ移すしかなかった。
実際、昨日なんて一緒に置いていた片方の松葉杖がなかったら本を野ざらしで放置していたところである。
それに、平日の立海なら練習中のテニス部員がいるはずなので一人捕まえれば確実に本を返せるはずだ。
そう昨夜画策したはいいものの、立海の場所を知らないので何の気なしにスマホで『立海』と検索すれば立海大附属中学校のホームページがヒットした。
呆気にとられながらアクセスにある最寄り駅名を控え、青春台駅からのルートを乗換案内機能で検索する。
最寄り駅までの乗り継ぎの少ないルートが確定するまでそんなに時間はかからなかった。
検索結果通りの電車を乗り継いでいき、ようやく着いた立海大附属中学校の最寄り駅。
青春台を出た時にはまだ昼の青だった空も、今は夕方へ移り変わるために色が薄くなっていた。
スマホで検索した駅から立海大附属中学校へのルートをしばらくたどっていると、それっぽい校舎が見えてくる。
校門前に着くと、ちょうど正面から特徴的なくせっ毛が歩いてきていた。
向こうもこちらに気づいたのか目を丸くさせる。
「あれ?もしかしなくても青学の松葉杖じゃん」
昨日今日とはいえ、ちょっとだけしか見ていなかった存在をよく覚えているなと面食らう。
いや、呼び方の通り松葉杖をつきながら素振りをしていた姿が印象的だったからか。
こんな単純明快かつカオスな状況であったことに自嘲が思わず漏れると、不思議そうな顔を切原にされる。
彼と積もる話も特にないはずなので肩の荷を早く下ろしてしまおうと早速本題に入ることにした。
「昨日、本を落としてたので返しにきたんですよ」
「え?マジ?ただそれだけで来たの?」
切原は「お前真面目だな〜」とニヤニヤしながらこちらをからかう。
そんな彼の軽い挑発をスルーし、片方の松葉杖に体重をかけてカバンから件の本を取りだす。
それを見た途端、切原の浮かべていた笑みが失せ、血の気のない真顔になると「ヤベエ」とだけつぶやかれた。
地面に落ちた時のショックでめりこんだ小石の凹みと、ついた擦り傷の箇所を注視していることからコレはやはりそれなりに大切なものだったらしい。
『それなら大事に下の方に納めておけばいいのに』と思っていると、腹の底にまで響くような声量が耳に届く。
「なにをしとるんだ赤也!」
「ゲッ!」
切原はその声にビクリと肩を揺らすと、素早く身体をひるがえす。
声の人物から私が見えないよう身体の影で覆った行動はすぐに合点がいった。
赤也の背後から声の方向をのぞき見てみると、やはりそこには黒い帽子をかぶった男子生徒が大股でズンズンとこちらに歩いてきていた。
真田弦一郎≠セ。やはり夢でも中学生とは思えない厳つい顔つきだ。
そう失礼なことを考えながら切原の背後で二人のやりとりを静観してみることにした。
真田はそれなりに近づくと私の存在を認識したのか、肩越しにこちらを怪訝そうな顔で見つめてくる。
「誰だその女子は。近くでは見ない制服だが?」
「あ〜、えっとお〜……」
切原が真田の圧から逃げるように視線を逸らしながら口を濁す。
突然手に持っていた本を背中でグイグイと押されたかと思うと「とりあえずしまっといて」と小声で言われる。
『この本が真田に見つかると怒られるからだな』とお約束のような展開を理解し、カバンの中に本をしまう。
切原はそれを確認するなり、真田に近づいて身振り手振りを使って話しはじめた。
「いやー、なんかこの人病院に行こうとして迷子になってるみたいでぇ!どうせなら部長のお見舞いに行くついでに案内してやってもいいっスか?」
「……ふむ、まあいいだろう」
切原がでたらめについた嘘八百も、こちらが松葉杖をついている様子から納得したのか真田がうなずく。
そして少し柔らかい声色で「ついてくるといい」と声をかけてくると踵をかえして歩きだした。
その行く先を見ると柳やジャッカルなどの立海のレギュラー陣が固まって立っていた。
会話から察するに、これから幸村のお見舞いで病院へ行くのだろう。
本を返してそのまますぐ帰ろうと思っていたのに大変なことになってしまった。
もし素性を知られればスパイだのなんだのと非難されかねないので、説得力を持たせてくれたスミレの松葉杖に感謝。
「それにしても赤也が善行を積むとは珍しいこともあるものだ」
切原とともに立海陣のところまで行くと、それを確認して歩き出した真田が感慨深そうにつぶやく。
それを聞いたほかのレギュラー陣はこちらに少し視線をやり、隣の切原を見ると笑いを漏らす。
中でも、前の方を歩いていた仁王と丸井が愉快そうに反応する。
「明日は槍の雨が降るな」
「もし降るんならアメはアメでも食べられる飴の方がいいぜぃ」
「その言い方はひどいっスよ〜!俺だってそういうことくらいしますって!」
切原が反論とともに仁王と丸井の間に割り込む。
そのあとは二人にちょっかいをかけられ可愛がられる切原を見て、全員軽口を叩いて笑い合う。
そんな和気あいあいとした彼らの後を追って松葉杖をつく私の隣には柳生がきてくれた。
彼はわざわざ歩く速度を緩めてこちらに合わせてくれている。流石紳士だ。
前の集団に混じって喋る切原に『自らついた嘘の建前はとれよ』と思うが、切原だからしかたないのだろう。
それに比べて、肩にかけていたカバンを「それだと大変だろう」と持ってくれたジャッカルや「無理せず自分のペースで進んで下さいね」と横で声をかけてくれる柳生。
自分が行った訳ではないがこんな優しい二人を騙しているという状況に心が少し痛んだ。
道中チラリと見てくる柳に内心ビクビクしながらも、何事もなく病院へ着いた。
そのまま待合室で番号札をもらうフリをして別れようとしたが、なぜか切原に背中を押されてあれよあれよと言う間にどこかの病室前へ連れて行かれてしまう。
目の前の病室の表札には『幸村精市』の文字。
これには流石に血の気が一気に引いた。
「いや、あの、流石に病室は……」
「いーっていーって、遠慮すんなよ!」
「切原君、松葉杖の人の背中を押すのはやめたまえ!」
後ろで制止する柳生の声も聞かず、ぐいぐいと背中を押される。
『これは誰だって遠慮するでしょ!』と思いながら抵抗していたが転倒してしまいそうになり、しかたなく前へ進む。
前のめりで入ってしまった病室の中を見ると、窓辺から外を眺める人がいた。
逆光でよく見えないが、表札からして個室なのは分かっていたのであれは幸村なのだろう。
一連の騒がしさでこちらを振り向いたであろう幸村のシルエットに切原は笑顔で話しかける。
「聞いてくださいよ幸村部長!コイツ片方で松葉杖つきながらラケット素振りしてたんすよ!超ヤバくないっスか?!」
「……帰ってくれ」
「……え?」
"知っている"幸村とは違う、あまりにも険悪な雰囲気に身体が一瞬でこわばる。
逆光に目が慣れてくると、幸村が全然笑っていないのがわかった。
その感情のない瞳に射抜かれると息がつまる。
思わずその恐ろしさに後ずさると、後ろにいた切原にぶつかった。
見上げると切原も幸村の反応に驚いていたようで、表情が固まって呼吸も止まっていた。
そんな中、なだめるような声色で柳が距離をつめるように近づき幸村に声をかける。
「精市」
「帰ってくれと言っているだろう!」
ガシャン!
窓辺に飾られていた花瓶が腕に払われて床に落ちる。
花と水と花瓶の破片がリノリウムの上に散る様と、幸村の見たこともない表情を見て言葉を失う。
怒りをまるで刃物のように剥き出した"知らない"幸村精市に心臓がバクバクと鳴る。
あからさまな幸村の拒絶に、先に正気を取り戻した仁王やジャッカルに引きずられて切原たちが出ていく。
そして私も少し焦ったような柳生の腕に促されるがまま病室から出た。
「…………」
「…………」
病室の前で全員が沈痛な面持ちでたたずむ。
しばらくその場に留まっていたが、誰かが「行こう」と言い出すと誰からともなく歩きだした。
まるでお通夜状態の立海メンバーについていきながら、彼らと自分だけの空間になったエレベーターの中で声をかける。
「あの、なんかすみませんでした……」
「……いや、こちらもすまなかった」
なんとか絞りだしたような声で柳がそう答える。
行きの時は盛んだった会話はそれ以降なく、無言のまま一階につく。
柳が「我々はこれで」と言って全員を引き連れて玄関口へ向かっていく。
同時にジャッカルからは思い出したように持ってもらっていたカバンを返してもらった。
「足、お大事にしてください」
「……ありがとうございます」
帰る間際まで優しい言葉をかけてくれた柳生に『そちらも』とまでは流石に返せなかった。
立海メンバーが病院から出て行くのを見届けると、とりあえず手近な椅子に座り込む。
病室で起きたことが勝手に脳内再生され、しばらく放心状態になる。
幸村の表情が瞼に焼きついて離れない。
心に突き刺さったような感覚が強烈で、全てがぼんやりと感じられた。
記憶もそこからは曖昧で、いつの間にか越前家へ帰ってきている状態だった。
その感覚は寝て起きても残ったままで、その日の授業や練習──何に対してもぼんやりとしたままで身が入らなかった。
そしてまた次の日の木曜日。
この日も青学テニス部の活動はお休み。
流石に今日は休もうとしたが、どうしてもあの時の幸村が忘れられず、また神奈川行きの電車へ乗ってしまう。
カバンの中身は火曜日からほぼ変わっておらず、幸村の本はずっと入れっぱなしだった。
とりあえずなんとか覚えていた病院名をスマホで検索し、最寄り駅までたどり着くと検索ルートを頼りに歩く。
すると、道中に花屋を見かける。
花を見るとまたあの時の幸村が頭の中でフラッシュバックする。
それでも、彼がガーデニング好きだったことを思い『ないよりはマシかもしれない』とオススメされた小さなガーベラとかすみ草を3本ずつ注文する。
店員さんはそれを丁寧に小さな花束にしてくれると「きっと喜んでくれますよ」と言ってくれた。
その言葉に元気づけられたのか、花屋をでてからの足どりが少し軽くなった気がした。
いつもより軽く感じる松葉杖をつきながら目的の病院に着く。
あの日のことを思い出しながら、ざわざわとした待合室を横切ってエレベーターへ乗りこむ。
目的の階で降りるとそこは壁づたいに歩く患者たちや、お見舞いに来ただろう人、看護師が行き交っている。
点滴を刺しながら歩いている人もいたため注意しながら幸村の病室へ向かっていると、目的の病室から人が出てきたのが見えた。
後ろ姿ではあるがあの少しクセのついた長めの髪型はきっと幸村だ。
どこかへ行くつもりなのか遠くなっていく背中に、少し焦って距離をつめる。
すると後ろから近づいてくる存在に気づいたのか、幸村はこちらを振り返った。その顔に覇気はない。
「あれ?君は……」
「あの……えっと、お渡ししたいものがございまして……」
前回の幸村がどうしてもチラつき、ついギクシャクと堅苦しい敬語を使ってしまう。
しかし前の、感情まで失った瞳ではないことに胸をなでおろす。
こわごわと彼に近寄り、廊下の壁によりかかりながらカバンから洋書を取りだす。
それに幸村は一瞬だけ目を見開くが、すぐに苦笑を浮かべる。
本を手渡すと、複雑そうな表情をして表紙にできた凹凸をなぞるように撫でた。
「これ、赤也に貸してたやつだね。落とすなんてしかたない奴だな」
切原に出会ってからまだ一年とはいえ、彼のことをよくわかっている。
落としたのはこちらの可能性があるかもしれないのにそれを見破るのは流石である。
幸村は本の状態を一通り確認し終えて「持ってきてくれてありがとう」と言うと、本を大事そうに抱えこんだ。
そして少し逡巡する様を見せた後、一呼吸おいて苦笑を浮かべる。
「それにしてもこの前はみっともないところを見せちゃってごめんね」
「いえ、そんなことは……」
あまり深く触れてはいけない話題の気がして視線を床に逸らす。
病室と違わぬリノリウムを見ると、上に散らばった花と水と陶器の破片が想起された。
いたたまれない気持ちで口をつぐんでいると院内の雑踏が遠く感じる。
しばらくは無言で雑踏のみが間に流れていたが、なにかに気付いたらしき幸村が「あの」と声をかけてくる。
顔を上げて向き直ると、幸村は戸惑いの様子を見せながらも人差し指でなにかを指さした。
「もし俺の勘違いじゃなければその花束、もらってもいいかい?」
指の先には肩にかけていたカバン。そのまた奥側だ。
なるべく前から見えないように後ろ側のポケットへ花束をさしていたのだがバレたようだ。
小さい花束を手にし、おずおずと手渡せば幸村は「ガーベラか」と消え入りそうな声でつぶやく。
そして花に少しだけ顔を寄せると、泣きだしてしまいそうな笑みを浮かべた。
「君とまた会えたら、今度はちゃんと笑顔で会いたいな」
『今も笑顔ですよ』と答えたかったが口がうまく回らなかった。
なにか気の利いた言葉をかけることもできず、タイムアップというように遠くから幸村をフルネームで呼ぶ声が聞こえてくる。
幸村はその声の方向に顔を向けた。
向く時に一瞬だけ、瞳に光が灯っていなかったように見えた。
「ああ、もう検査の時間か」
「その……無理しないでくださいね」
「……ありがとう」
『頑張って』と無責任な言葉をかける訳にもいかず、曖昧な言葉をかけてしまう。
幸村はそれに顔を見せず答えると、身体をひるがえして声の方へ向かって行ってしまった。
彼の顔はうつむいており、どんな表情か見ることはできなかった。
今起きていることは多分夢のはずなのに心臓がざわざわして騒がしい。
こんな彼は知らない≠ニ。
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