籠 り   main diary mail reply  
act.13
並木


「名前ちゃん、玄関に運動靴をおろしておいたから使ってね」
「えっ?!ありがとうございます……」


月曜日の朝、一階へ降りるなり倫子さんにそう伝えられる。
確認のため玄関へ向かうと、真新しそうな白い運動靴が一足おかれていた。
靴を用意させるほど気をつかわせてしまったことと、また自分のためにお金を使わせてしまった事実に軽くめまいを覚える。

当初は草履のような厚さで保護されていた足裏だが、昨晩は患部に薄めのガーゼを被せただけで済んだ。
決め手があるとすれば、昨日一日ベッドで休んでいたことだろう。
朝の手伝いをするためにアラームをかけていたスマホは寝ているうちに持ち出され、体に疲労が蓄積していたのかそのまま夕方までぐっすりだった。
『ゆっくり休んで欲しかった』と倫子さんたちに言われてしまったら元々ない矛も収めるしかない。

なにはともあれ、大事になってしまった靴擦れはまだ完治とは言えないものの、先週のように松葉杖とサンダルでの登校でなくてもよさそうだ。
申し訳なくはあるが今日から用意してもらった運動靴のお世話になりそうである。


「名前さん、ベーコンをとってもらえますか?」
「どうぞ菜々子さん」


お弁当のおかずを作りながら、朝食作りのお手伝いもする。
そして作り終わったおかずをお弁当箱につめ終わると、居間から流れるテレビ番組をBGMに倫子さんたちと朝食をいただく。
こうも余裕をもって朝をすごしているのはテニス部の朝練がないからだ。
居候先孝行としてリョーマのお弁当も作っていることを盾にすれば鬼の目にも涙≠謔しく、スミレに免除してもらえたのだ。
6時頃から始まる朝練への出発に間に合わせてお弁当を作っている他のご家庭の方々には申し訳なくあるが、背に腹はかえられない。

朝ご飯を食べ終わり、丁寧に食器洗いもすますとちょうど出る時間になる。
おろしてもらった靴で立つと初めて履いたはずなのに足に馴染み、とても心地よかった。
この体験したことがない具合に『高かったのでは』という思いが通学路を歩むたびに強くなっていく。
高かった場合はもう手持ちでは足りないくらいの額を払わせている計算に気が遠くなり、スミレに返す予定の松葉杖を落としそうになった。
働けない以上増えることはない残金で、どうしようもない堂々巡りを頭の中でしていたら学校の昇降口に着く。

周囲の注意がこちらにないことを確認して、リョーマの下駄箱を開いてお弁当箱をおさめる。
リョーマのお弁当は衆目の中で渡すのは流石にはばかられるので、本人の下駄箱の中に入れて渡すことにしていた。
そろそろ気温的にもこの方法がとれなくなることを思いながら、なんでもないような顔で今度は自分の下駄箱を開いて上履きに履きかえる。
置き場所のこともあるので始業前に松葉杖の返却を済まそうと職員室へ向かった。

職員室の中は朝礼や一限目の準備などをしているらしくせわしない。
そんな様子を尻目に派手な色のジャージを探してみると、その主はデスクでのんびりとお茶をすすっていた。
スミレの元へ行き心ばかりのお礼とともに松葉杖を返すと、足元に視線を落とすなり浮かべた笑顔とこぼした言葉のあまりの邪悪さにおののくことになった。


「ようやく今日から走りこみができるねえ」




本日も当たり障りなく全授業が終わり、すぐに放課後になる。
所属的に男子テニス部なので女子テニス部の部室を借りるわけにもいかず、男子テニス部の部室で着替えることも当然できない。
そんなちぐはぐな私の放課後の行き先は、女性教員用のロッカー室だった。
実は松葉杖で登校した初日に、保健室の先生から空いているロッカーを着替えの際に使ってもいいと許可をもらったのである。
入室する際、見かけられてしまった生徒からの訝しむ視線に気後れはするものの、人の出入りがほぼないココは心休まる安全地帯だった。

スポーツ用の装いに着替えながら、これからすることを思うと自然とため息がこぼれる。
スミレが朝に言った通り、走りこみができるようになったということは今日からまたあのキツい目にあうということだ。
体操服の上にジャージを着込んでロッカーを閉じ、ラケットを手に重い足どりでテニスコートへと向かう。
久々に走ることになる今日は一体何週遅れになるのだろうか。

既にテニスコートは2・3年生が練習前の軽いラリーで占領しており、1年生たちはコート外にまばらに立っていた。
その様子を眺めながらコートの出入り口から離れた場所でラケットを立てかけ、準備体操をはじめる。
私がそうしているのを見てか、1年生たちは次々に準備体操をはじめていった。

それから手塚が遅れてテニスコートへ入ると、集合をかけて地獄の走り込みがはじまる。
久々に走らされるのもあり、1周目が終わる頃にはもう身体はヘトヘトだった。
息も絶え絶えに走っていると、レギュラー陣やその他諸々の人たちに周回遅れとして追い抜かれていく。
流石に何度目かのこの光景に慣れたのか、彼らからは去り際に「ファイト」と声をかけられるようになった。
中には煽りの方向性もあったが、どちらかといえば同情のほうが多く感じられた。
1年生の集団からも週遅れでなんとか走り終わると、既にはじまっている素振りの後列へのろのろと加わる。


「ハッ!」
「どうしたの苗字さん」


勢いよく気がつくと隣にいたカチローが驚いた顔で話しかけてくる。
一瞬かもしれないが、素振りの最中にいつの間にか意識を失っていたようだ。
このことがバレたら走りこみがさらに追加されるかもしれない。
心配そうにこちらを見るカチローに周りに気づかれないよう、これまでのことを小声で確認してみる。


「今までの私なんか変じゃなかった?」
「え?別に変なことはなかったと思うけど……」
「そっか、ありがとう」


不思議そうな顔で返答するカチローに安堵の息を漏らす。
カチローからすれば特に違和感はなかったらしいので本当は問題があるのだが、問題はなかった。
問題はなかったのだ。
そう自分を言い聞かせて他の1年生が球拾いのためテニスコートに入った後も、残って素振りを続けた。
一人でやっているので流石にまた気をやってしまわないよう、気を引き締めて素振りを続ける。
ようやくノルマを終えて利き腕のストレッチを行っていると、手塚がテニスコートから出て近づいてきたかと思えば声をかけてきた。


「苗字」
「どうかしましたか手塚部長」
「今週の日曜日、暇はあるか?」


突然の問いに体が固まる。
手塚からなぜ日曜日の予定を聞かれるのかそれらしい理由が見当たらない。
表情からも読めない意図に「えーと」と次の言葉へ繋ぐための声をとりあえず発する。
日曜日は部活動が休みなので午前中から越前家の手伝いをするとして、時間があるとすればお昼時を過ぎたあたりだろうか。
意図はわからないが、答えない理由も特にないのでひかえめにぼかして答える。


「午後からなら……」
「それなら2・3時間ほど俺に時間をくれないだろうか?」
「え、あの…はい……」
「では、このことは追って連絡する」


まるでいつもの連絡事項のようにそう言うと手塚はテニスコートの中へ戻っていった。
肯定の返事を流れで軽くしてしまったが、言葉少なく言った『追って連絡』の手段は一体どんな手段なのだろうか。彼のことだから普通に呼び出されるのだろうか。
謎が残る出来事の連続に頭の処理が追いつかず、腕のストレッチ途中で固まったままの自分が結果としてそこに残される。
そしてこの終始を見ていなかったであろう荒井がフェンス越しに声を荒げた。


「苗字!素振り終わったんならサボってないで球拾いにこい!」
「は、はい!」




それからしばらく過ぎた土曜日。
その日の部活動から帰って部屋で休んでいると、階下の倫子さんから呼ばれた。
一階に降りると「手塚さんからよ」と受話器を渡された。電話を取ったのがリョーマや南次郎じゃなくてよかったと心から思う。
代わった電話口でも手塚はいつもと変わらず、淡々と明日の待ち合わせの時間と場所を伝えてくる。
伝えられた内容を口頭で繰り返し確認を終えると、付け加えるように「運動できる格好でスポーツドリンクとタオルを持ってきてくれ」と言われた。
言葉少ない手塚なのでそのまま電話を切りそうな空気だったが、ひとつ気にかかってしかたがないことを聞いてみる。


「あの手塚部長、この連絡先は一体どこから……?」
「今度配られる部活の連絡網からだ」
「えっ」
「ん?……ああ、苗字の緊急連絡先は竜崎先生の意向で俺だけしか知らない。安心してくれ」
「あ、それならよかったです」


まだ配られていないとは言え、電話番号からしてリョーマと同じなので連絡網に表示されていたら大惨事だ。
思春期の彼らに対してそこら辺の配慮はしてくれていたスミレにそこそこ感謝する。
だが、電話をかけて開口一番に『越前です』と言われたにも関わらず呼び出したということは手塚も私が越前家に居候していることを知っているのだろう。
これもスミレの配慮として手塚にだけは知らされていたのかもしれない。
そう自身で脳内補完しながら「それではまた明日」と締めに入った手塚に挨拶を返して電話を切った。




次の日。
いい天気だったので午前中は布団干しと朝昼食の手伝いで費やされる。
倫子さんには午後から出かける予定があることを伝えると「昨日の手塚くんとデート?」と面白そうにからかわれた。
やんわり否定しておいたが、外出の時はいいにしても運動しに行くには邪魔にしかならないカバンしか持っていないことにふと気づく。
倫子さんも昔スポーツをしていたからあるかもしれないと、藁にもすがる思いでたずねてみた。


「あの倫子さん、ボディバッグってありますか?」
「?あるわよ?」
「それ借りてもいいですかね?」
「えっ、本当にデートじゃないの?」
「運動しに行くんです……」
「Oh dear.それなら確かいいのがあったわね」


そう言って奥の部屋へ入っていくと探す音がしばらく聞こえる。
「あった」という声のあとに部屋から出てくると、いい大きさのボディバッグを手渡してくれた。
快く貸してくれたことに礼を伝えると手塚との約束の時間が近づいていること気づく。

自室へ戻ると『運動できる格好で』と言われていたので学校の体操服とジャージに着替える。
昨日夕方に伝えられたので目立たないウインドブレーカーなどを買いに行く暇もなく、苗字がガッツリ書かれている学校ジャージだ。
まさか学校の部活動と南次郎の気まぐれ以外で運動するハメになるとは思ってもみなかった。
付け焼き刃ながらも個人情報保護として苗字の部分をガムテープで覆う。
そして倫子さんから借りたボディバッグにスポーツドリンクとタオルとスマホを入れて越前家を出た。

指定された時間に約束の場所である公園に着くと、ウインドブレーカーを着た手塚が既にいた。
なんとなく検討はついている。
ついてはいるが挨拶をそこそこに済まし、最終確認として本人に聞いてみる。


「あの手塚部長、今日はなにをするんですか?」
「もう理解しているかもしれないがジョギングだ」
「ですよね〜……」


せっかくの休日にまで運動をすすんで行うなんてつぐつぐ真面目な男だ。
それにしてもジョギングに私を誘うのは流石に効率が悪すぎではないかと思いながら顔色をうかがう。
手塚はいつもと変わらない涼しい顔をしている。
そして部活の時と変わりない調子でこれからの予定と指示を出してきた。


「今日はこの先の川沿いにある並木道を走ろうと思う。その前に準備体操をするぞ」
「わかりました」


返事をしたものの準備体操がいつものものしか思いつかない。
ジョギングだから間違いはないと思うが、あまり思いつかないので途中から手塚のマネをしていると指導が入った。
効果の説明とともに指導する横顔を眺めながら『真面目だなあ』と言葉に従う。
そして準備体操が一通り終わったら「行くぞ」と言って走りはじめた手塚の背中についていく。
走りこみで抜かされる時にしか見ない彼の背中を改めて間近で見ると広くて大きい。
そんな手塚が先行しているのもあってか、向かい風の抵抗はほぼなく、走りやすかった。

公園からでて少しすると、言われた通り川沿いの並木道に入る。
暖かい気候の中の木漏れ日と吹き抜ける風は相まって気持ちがいい。
道幅もそこそこ広くなってくると、手塚が速度を落として横に並んでくる。
改めて思えば走りこみの時のように距離が離れることはなく、こちらに合わせて走ってくれているようだった。
これだと彼には遅くて物足りないのではないかと思うが、ジョギングだからいいかと酸素が足りなくなってきていた頭ではあまり考えないことにした。
ふと景色の中で過ぎっていく並木に目を向けると、横から声がかかる。


「今は散ってしまったが、桜が満開の時は見物客が沢山いてな」
「桜、ですか」
「ああ」


並木の上の方を見上げる。
今はほぼ葉桜だが少しだけその名残が見える。
たしか学校にもいくつか植わっていて、入学式の時にも桜の花びらが舞っていた気がする。
ここでも桜吹雪が舞っていたに違いない桜並木を想像し、もったいないことをしたという気持ちがわきあがる。
当時は道を覆い尽くしていただろう薄い桃色の花びらだったものは茶色に萎れ、道の端にたまっていた。
それを認識すると、最近まで自分のことばかりでまわりの変化を認知していなかったことを思い知らされる。
そしてここにきてからもうそこまで経ったのかというどこか焦りに似た気持ちが浮き上がった。


(いつになったら私は帰れ起きれるんだろう)


萎れた花びらから目を逸らし、舗装された道に視線を戻す。
浅い息を繰り返して息を整えてはいるが、暖かい気温でじんわりと汗がにじんできていた。
軽く走っているつもりでも喉の奥は少し痛くなってきている。
もう息があがってきたであろうこちらに気づいたか、手塚が口を開く。


「キツくなったら遠慮せず言ってくれ」
「ありがとう、ございます」


それからしばらくして限界になり、休憩を申請する。
手塚はそれに『もうか?』と言う素振りもなく、近くでベンチを見つけるとそこで休憩をとらせてくれた。
川の近くのベンチだったので、耳をすませば聞こえるせせらぎが心地良い。
ドリンクを飲んで一息つくと、手塚と口下手な父親との会話みたいに短く簡単な会話を少し交わした。
聞かれた内容は「学校はどうだ?」とか「授業はついていけてるか?」とかだ。
あまりにもそれが中学生の手塚らしすぎてちょっとだけ笑ってしまった。

そんな感じの休みをいくつかはさみながら並木道を途中で折り返し、走りはじめて約3時間後には最初の待ち合わせ場所へと戻ってきた。
自分は汗だくだったが、手塚はいつものような涼しい顔のままである。
『やはり手塚には物足りなかったはず』と思いながらラストスパートで乱れた息を整えていると、ドリンクを飲み終わった手塚が話しかけてくる。


「もし苗字が迷惑でなければこれからの日曜日、一緒に走らないか?」
「私がいることで部長の足を引っ張ってしまっていると思うのですが……」
「部員の面倒も見れずに部長は名乗れないと俺は思っている」


逃げ腰の返しに毅然とした態度で返す手塚。
"面倒をみる"という表現から、自分のあまりにもな体力不足を問題視して今回計画してくれたのだろう。
汗をほぼかいていない様子からも、彼一人ならば同じ時間で3倍以上は走りきっていたはず。
きっと部活動の走り込みだけでは足りないと、あくまでも体力増強のために休憩に否応なく応えて速度まで合わせてくれたのだ。
中学3年生にそこまでさせてしまった自身の至らなさに改めて恥ずかしさを覚える。
それにここまでしてくれる彼の誘いを一体誰が断れようか。
私には降伏する以外の選択肢はなかった。


「……部長が迷惑でなければよろしくお願いします……」
「ああ」


いつもの平坦なトーンで返されたが、手塚の顔が少しだけ満足気な表情をしている気がした。
それに毎度居候先にかけてしまうのはマズイと思ってくれたのか、携帯番号を直接交換することになった。
思わぬところでこれからの日曜日の予定と、手塚の携帯番号を得てしまった。
その夜、自室でスマホの連絡先一覧をなんとなく眺めてみる。
中でも異質だったのはやはり、マンガのキャラクターとして認知していた手塚のフルネーム。


(現実にあったらただの痛い人なんだろうなあ)


なんて思いながら少し心地よく感じる体の疲れと、ふかふかになった布団に身を任せて目をつぶる。
明日の放課後は先週よりもマトモに走れる気がなんとなくした。





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