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涙
学院でまとまった休みが再び訪れた時、私はまた西流魂街へと戻ってきていた。
夜にようやく着いたため、目的の家の戸をひかえめに叩く。
それからしばらくして出てきた長老は、驚きはしつつも嫌な顔をひとつもせず笑顔で出迎えてくれる。
学院にはこんなあたたかい笑顔を向けてくれる人はいない。
その笑顔から『戻ってこれた』という安心感を覚え、鼻の奥がツンときて泣きそうになった。
「おかえり名前」
「ただいま、長老」
「寒かったろう?早く中へお入り」
「ありがとう!」
中へ通されると、肩にかけていた包みを畳の上へ置く。
そして草履を脱いで家にあがると、囲炉裏周りに敷かれた座布団へ腰を下ろした。
連日降っていた雨のせいか近頃の空気は肌寒くなっており、囲炉裏で燃える火は冷えた身体にとても染みた。
かじかんだ指先を温かい方へ向けていると、新しい薪がくべられる。
「どうじゃね、霊術院の方は」
「う、うん、結構順調だよ」
口端を上げ、笑顔をつくろって返答する。
それに長老は嬉しそうな声色で「そうかそうか」と満足したようにうなずきを繰り返す。
それに内心ホッとしたと共に、胸がかすかに痛む。
実際のことは口にしなければきっと彼にも分からないのだ。
知って欲しい気もするが余計な心配はかけたくはない。
このまま学院でのことは隠し通そうと決め、その気持ちを心の深い場所へしまいこんだ。
囲炉裏の中に新しくくべられた薪がパチリと爆ぜ、組まれていた炎の塔が灰の上へと崩れこむ。
かざしていた手は既にあたたまってきており、今度は背中を向けていると「のう」と呼びかけられる。
顔だけを向けると長老は長い髭をひと撫でしてポツリと言った。
「明日、叶の所へ行ってくれんか?」
「叶ちゃん?」
「ああ、お前と遊びたい遊びたいとよくわめいておっての」
「あんまり遊んであげられてないもんね……」
今までのことを思い返してうなだれる。
叶ちゃんには空腹に倒れたところを助けてもらったのに、私は学院に受かるため来る日も来る日も勉強と手合わせをしていた。
ようやく学院に受かって瀞霊廷に行ってからも、彼女が満足するまで遊んであげられた回数はそんなにない。
背中もあたたまってきたので体ごと振り向くと、困ったように苦笑いを浮かべている長老がいた。
その笑顔に、彼女が駄々をこねる様がありありと浮かんできて笑いがこみ上げる。
明日、朝一番に起きて彼女と遊んでこよう。
そう思うと、ひさしぶりに思いきり遊べるだろうことに心が弾んだ。
以前、集団で暴行してきた彼らはまだこの村にいるだろうが、私はあの頃とは違い白打も覚えて成長しているし、きっと手を出してこない。
学院に通っていることは相手の耳にも入っているはずなので安心して遊べるはずだ。
どんなことをして彼女と遊ぼうかと考えていたら突然戸が開き、見慣れた人物が中に入ってくる。
今日は普通に戸口から入ってくる珍しい日なのだと思い、小さく笑った。
***
「こんばんは、岩鷲くん」
見知った顔に少女は立ち上がって戸口まで歩いて行く。
途中、老人が何かを伝えたそうに手をさ迷わせていたのだが、久しぶりに会う友の姿に意識を飛ばしていた彼女にはそれを捉えられなかった。
少年の頭は入ってきた時と同じく垂れたままで、一向に顔を上げる気配はない。
以前から知っていた人物の明らかな雰囲気の差異に少女は戸惑いを覚える。
「どうしたの岩鷲くん」
「名前……」
「ねぇ、どうし」
どうしてか上手く回らない舌を動かして少女は事情を聞こうとした。
もしや体調が悪いのかと思い、支えようと肩に伸ばした手は渇いた音に拒否される。
一部うっすらと朱く浮かんだ小さな手の甲。
その痛みの余韻は腕にまで広がり、朱い部分は熱を持ちはじめた。
そんな突然のことに彼女は理解できず固まる。
その場には静寂が訪れ、重々しい空気がその場をおおうと、少年がまっすぐに閉じていた口を開く。
「消えろ」
「がんじゅ、くん?」
「俺は、死神が大嫌いなんだよ!」
「な、なんで?岩鷲くん前はあんなにお兄さんのこと」
「名前、そのことは」
老人が苦い顔で言葉を制止する。
これと周りの雰囲気で察したのか少女はつむごうとしていた口を閉じ、己が発した言葉を後悔した。
今日の態度の意味を知り、居心地が悪くなり視線を伏せる。
伏せた視線の先には握りしめられていた少年の小さな拳。
それは小刻みに震え、青く変色していた。
「兄貴は……死神に殺されたんだよ!」
少年は鋭い眼光で少女を睨み上げ、胸倉をつかむ。
つかんだ手の平からか、白の襦袢に血の赤が染みこんでいく。
突きつけられた事実と赤の痛々しさ、胸倉をつかまれ気道を狭められた息苦しさに彼女は眉を寄せた。
それを見て少年はつかんでいた胸倉を離し、突き放すように言い放つ。
「俺は死神が憎い。死神になろうとするやつも大嫌いだ!」
「……っ」
「だから……今後一切、俺様の目の前に現れるんじゃねぇ!」
憎しみがにじんだ形相。
彼の目尻は今にもこぼれ落ちそうなほどの涙をこらえ、震えていた。
そして一筋、涙が目尻から顔を伝うと乱暴に腕で目元をこする。
少女は崩れた襟元を引き寄せ首をさすっていたが、それに目を見開く。
いつも元気で強く、プライドの高い彼が涙するのをはじめて目にしたからだ。
「お前なんか消えればいいんだ」
「岩鷲!」
「分かったらもう二度とこの村へ……西流魂街へ来るな」
少年の口がつむぐ消え入るほどの声は、この場所では絶対的な輪郭をもっていた。
そこへ老人が少年をいさめようとするも、既に走りだした饒舌と激情は止められない。
思いが強いなら尚のことだ。
彼は歩を進め、腕を振り上げる。
平らにされた手は勢いをつけ、少女の頬を叩く。
ひりりと痛みだした感覚に少女の瞳からひとつ、雫が落ちる。
そして、声にならない小さな鳴咽を残し、少女は弾けたように外へ走りだした。
「岩鷲、なぜあんな酷いことをしたんじゃ」
「うるせぇ、死神は死神……良いも悪いもねぇんだよ」
「それでもまだあの子は」
「……長老、死神には気をつけろよ。いつ殺されちまうか分かんねぇからな」
「…………」
老人はそれ以上なにも言えなかった。
少年の横顔が、少女が走り去った後をとても苦しそうに見つめていたから。
なぜここまでこの子供達が苦しまねばならないのだろうか。
そう無常を感じ、老人もまた哀しそうに開いたままの戸に目をやった。
brake.
(こうしてまた悲しみが軋みはじめた)
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