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だいすき
学院は活気であふれている。
数人が一カ所に集まり、面白おかしそうに談笑している。
教室はもちろんのこと、廊下にまでその明るい声色たちはあり、誰もが笑顔でいた。
この建物内を探しても笑顔でないのはきっと私だけである。
存在していないと言われればそうかもしれない。
しかしどんな意味であれ、私はたしかに彼らの中で存在している。
その証拠に、今日も私の周りは嘲るようなささやきが絶えない。
「──が、……と」
「嘘だろ……」
「あんなやつが……」
鋭い視線が四方八方から突き刺さってくる。
悪意に満ちた矛先を向けられる原因の詳細は知らない。
だが、今回もなにかしら彼らの気にさわることをしたのは理解していた。
時が経つにつれ彼らの怒りが強くなってくる様子から危険を察知し、教室からでていく。
ただあてもなく廊下を逃げるように早足で歩いていると、廊下の角から人影が急にでてくる。
それを認識できたものの突然のことに体は反応しきれず、飛び出してきた誰かと思いきり衝突した。
「あたっ!」
「ごっ、ごめんなさい……」
「うわ、苗字かよ……こっちくんな!」
ぶつかった男子は謝罪の言葉をさえぎり後ずさる。
その顔は私の顔を見るなり、わかりやすく不快そうにゆがんでいた。
そして彼はぶつかった部分をいやそうに何度も何度も念入りにはたきながら、逃げるように友人と反対方向へと去っていく。
そしてわざとこちらに聞こえるような声量で、まるでひそひそ話をするような感覚で話し合う。
「あぶねー。もうちょっとで斬り殺されるところだったわ」
「北流魂街のやつっておっかねえよな」
「だよなぁ」
ここに来てようやく分かったことがある。
尸魂界にきた時、手に握られていた『紙切れ』の意味を。
あれに書かれていたはずの番地こそが私のいるべきであった本当の場所。
長老や叶ちゃんがいる西流魂街ではない別の地区───北流魂街。
いつの間にかなくなっていたその紙切れの行方は知らないが、長老は地区が違うことをきっと知っていたのに私を匿ってくれたのだ。
知識を教えてくれたのはもちろんのことだが、彼には感謝をしてもしきれない。
岩鷲くんとのこともあり、今となっては表だって会いに行くことはできないが、いつか恩を返せたらとそう思う。
しかしなぜ彼らは北流魂街だから≠ニ区別するように言うのかそれはまだ分からなかった。
流魂街出身の人は私以外にも少なからずいるはずなのに、なにがどうして場所が少し違うだけで差別するのだろう。
それに、私以外知るよしもない本当はいるべきだった場所≠彼らは知っているのか。
答えが出ようのない疑問に頭を抱える。
そして視線から逃れるように無意識に歩いていたら、いつの間にか寮の自室前へ着いていた。
持っていたカギで扉を開け、流れるように中に入りこむ。
「ただいま」
それに対する返事はないことを承知で、帰宅の挨拶をつぶやく。
草履を脱いで部屋に上がると、一人部屋である小さな窓際へ視線を移した。
そこには青々とした沢山の葉が生えていた。
以前荒らされた畑から少しでも生命が残っていそうな茎を根っこから掘りかえし、鉢に植え替えたものを寮へ持ち帰っていたのだ。
土には更に肥料を混ぜ、毎日の水やりと日が当たる窓際へ置くようにしていたら、炭になっていた部分からまた茎が生え、葉が生えた。
今となってはそんな時があったとは思えないほど、現在は生き生きと育っていた。
時間はかかったが、今度こそ実がなりはじめており、このままいけば収穫できそうだった。
「君たちもがんばって生きているんだよね」
撫でるように実に軽く触れる。
その振動で、朝にやった水の露が緑の葉から滴る。
少しだが、それが嬉しさから光って見えたような気がした。
***
ある日の午後。
その日の少女は誰が見ても分かるほどに機嫌がよかった。
いつものうつむき気味に暗さを帯びていた顔とは違い、とても嬉しそうな顔をしている。
周りはその理由が分からず「気味が悪い」といつも以上に雑言をささやき合うも、少女は気にならないのか講義に集中していたようだった。
彼女は前にいる講師の話を聞きながら、黒板に書かれていることを書き記していく。
そんな折には通常、することはないであろう笑い声まで漏れていた。
そして講義の終わりを知らせる音が鳴り、講師は書物を整理しはじめる生徒達に聞こえるよう、大きな声で言った。
「来週は魂葬の実習を行いますので忘れないように」
少女はそれ以外のことが楽しみだったのか、筆記用具と教材をまとめるなり教室を去っていった。
去った後しばらくは教室内の雑言が止まなかった。
***
落とさないようにと大事に抱えた袋。
袋の中身は今朝、育てていた植物から初めて採れた作物だ。
明日は休みがあるため、これをこっそり長老の家へ持って行こうと西流魂街の村へ向けて歩いていた。
持っていけばきっと喜んでくれるに違いない。
そう思うと顔がほころんでしまうのもしかたなく、足取りは軽やかなものだった。
西の門が近くなってきたので持っていた通廷書を見せようと懐から取りだした時、あたりの空気が一気に重くなる。
「な、なに?」
「この霊圧……虚≠ェどこかに出た」
突然起きた異変に困惑していると隣に立つ西流魂街側の門番、兄丹坊さんが答える。
ホロウ
初めて聞く単語ではないにしろ実際に会ったことはない存在。
だが、身体の感覚から頭がソレだと知らないはずなのにそうだと訴えてくる。
そしてその存在が感じられる方向にまさかと嫌な予感が頭をよぎり、後ろから聞こえる制止を振りきって走った。
しばらく走ると、ある一帯が夜だというのに明るくなっているのが見えた。
さらに距離を縮めれば、その明かりはたくさんの家が火に包まれているためだと分かる。
目的地であるそこに着くと家がごうごうと燃えあがる音だけしかない。
記憶の片隅にあったその場所とは違い、人の気配すら感じられなかった。
驚きで止まっていた足を一歩踏みだすと、液体が足元ではねる。
下に目をやると惨事の様子を一面に写した水面があり、鉄の濃い臭いが鼻をかすめた。
「血……」
そう認識すると膝が狂ったように笑いだす。
私は目の当たりにした惨劇の痕に立ちつくし、この世のものではない音を聞いた。
動物でも人間でもない咆哮。
声のみでも分かる大きな霊圧。
初めて感じる見えないものに背筋が凍った。
すると意識していないのに目が勝手に動き、家よりはるかに大きい化け物を捉らえる。
「おね、ちゃ……」
「かなえ、ちゃん?」
呂律が回らない舌ったらずの声。
聞き慣れていた声の方向に視線が動く。
聞こえた位置は化け物と同じところで、思考がそこでとまった。
化け物は腕がいびつにいくつか生えており、その腕のひとつに目がとまる。
その大きな手に、とても小さな身体が握られていた。
彼女の手足は折れているかのように力なくぶらりと垂れ、揺れていた。
肩で荒い息をする幼い少女の口からは血がこぼれ、着物は赤に塗れている。
ぷつん、と頭のなにかが切れる音。
化け物が大きな口を開いて襲いかかろうとする瞬間、手は腰に差していた浅打へ伸ばしていてなにかを叫びながらそれに向かっていた。
気がつくと私は全身赤に濡れ、小さい身体を腕に抱いていた。
無我夢中でなにが起きたのか、なにをしたのか全く覚えていない。
ひとつ分かるのは化け物はもうここにはいない≠アとだ。
その証拠に、来た時には見なかったはずの人が遠まきに集まってこちらを見ている。
異質なものを見る複数の視線。
いくらか前に燃え盛っていた火はくすぶりながらも、その瞳の中の畏怖を灯していた。
呆然としながらも、冷静に周りを観察している自分に気持ちが冷える。
それでも辺りを見渡すことはやめられなかった。
他の家もそうではあるが、長老の家があったはずの場所を見るとガレキだけになっている。
そして、遠まきにこちらを見ている人の中にも彼の姿は見えない。
その事実にきづくと身体が強張った。
すると、腕の中にいた少女が苦しそうに身じろぐ。
「おねえちゃん」
「叶ちゃん……」
「かなえ、お姉ちゃんと、遊びたくてね」
「うん」
「でも、おうち出たらおっきいオバケがいて、みんなが倒れてて……」
「うん……」
腕の中にある少女の温度が低くなっていくのを感じる。
小さな手を強く握っても少女の手が温かくなる様子はなく、そのまま冷たくなっていく一方だった。
化け物───虚≠フ鋭い牙に貫かれたか、風穴のあいた脇腹からは絶え間なく赤が流れていく。
片方の手で抑えても止まるなんてこともなく、ただ指の隙間から無情にもこぼれる。
まただ、また私は無力だ。
この傷を治してあげることもできない。
この少女を温めてあげることもできない。
そう思うと鼻の奥がツンとして目頭から涙がこみあげる。
血を吐きだして咳きこみながらも、言葉をつむいでいく腕の中の少女に涙はこぼれ落ちた。
「かなえ……隠れようとしたんだけど、オバケにみつかっちゃったの」
化け物が被っていた、今は割れた仮面にまで赤が染みていく。
もう辺り一帯は誰のものか分からない赤一色に染められていた。
頬を流れていく涙が、血の気の引いた少女の頬で一粒跳ねる。
それでも少女の身体は着実に、失うように透けていく。
なにかを言おうにも声がでてこない私の頬に、彼女は空いていた方の手を添えると、目を細めて柔らかく笑う。
「こわかったけど、名前お姉ちゃんに会えて……よかった」
「叶ちゃ……!」
つかんでいた柔らかい手の感触がなくなる。
小さな身体を構成する輪郭は淡い粒子となって流れていく。
それを集めて掻き抱こうとするも、腕の間からその粒子はすり抜けて空へとのぼっていく。
消えていく中、可愛らしい唇は「だいすき」と声もなく言葉をつむいでいた。
腕に感じていた重みも既になく、残るのは血に塗れたこの身体だけ。
虚空を抱えるようにしても、彼女の重さを感じることはもう二度となかった。
どれくらいそのままでいたのか分からない。
ただ、いつの間にか降りだしていた雨が血を洗い流していた。
家だったものが燃えてくすぶっていた火は、それで完全に消火されたのか辺りには炭の塊ばかりが残る。
遠まきにこちらを見ていた人たちももう誰一人としていない。
おぼつかない足でふらりと立ち上がると、遠くに見えるいくつかの人影。
私は近づいてくるそれを尻目に、寮への帰路へ着くことに決めた。
夜闇を仰いでも雨が降り続けるだけで、もう淡い粒子は漂っていない。
そう考えると、また涙が無意識に流れ落ちた。
「あっ、君……!」
「一体どうしたん?」
「い、市丸隊長!今、院生の服を着た者がいたので呼び止めようとしたのですが……」
「ほっときい、どうせ関係ないんやから」
「ですが」
「新入隊士やからってそない肩肘張っとると、これからやっていけへんよイヅルくん」
「は、はあ」
bye-bye.
(少女が大事そうに抱えていた袋は、地面の上で中身共々つぶされていた)
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