act.15
追加練習
「苗字!こっちに来な!」
コートの中で球拾いをしているとスミレに呼ばれる。
最近は手塚とジョギングをしているおかげか、走り込みの周回遅れが減ってきていた。
素振りもそのおかげで早く終わり、他の1年生たちに混じって球拾いまでするようになった。
ラケットの上に積んだ、拾ったテニスボールをカゴの中に入れて、こちらを見るスミレにおそるおそる近寄る。
直接呼び出されたことにいい予感がしないので、とりあえず上目遣いで温情を求めた。
「あの、走りこみ追加とかは勘弁してください」
それに対し、スミレから怪訝そうな顔を返される。
走りこみが早く終われるようになったとはいえ、走るのが好きになった訳ではない。
しかし相手の様子から呼び出された目的が走りこみ追加ではないらしいことを察し、安堵の息をもらす。
安心していると頭をつかまれ「あっちを見な」と向こうのコートを見るように強制される。
その先には色とりどりのコーンと、出されるボールを打ち返していずれかのコーンに当てていく青学レギュラーのメンバーたち。
「あんたもあの特別練習に加わりな」
「え"っ」
突然の命令に喉からダミ声が出る。
あの練習内容がなんなのかは知っていた。
ただ、今まで走りこみとアホみたいな回数の素振りと球拾いしかしていなかったのに唐突すぎるのではないか。
そう非難しようとしたが、背中を力いっぱい叩かれ、ちょうど空いた手前のコート上へと押し出される。
「色を塗ったボールをその色のコーンに当てる練習だよ」
対面のコートにスミレが入るとラケットを構えだす。
指定されたコーンに打ち返して当てるだけでも十分難易度が高い。
そして飛んでくる硬式テニスボールの溝に塗った色を見分けることもこれまた難易度が高い。
どちらかひとつだけでも成せれば偉いことなのに両立してできる訳がないだろう。
『絶対無理!』という気持ちを前面に押し出し、首と手を左右に素早く振ってスミレに抗議する。
「いやいやいや、ハードル高すぎません……?」
「10球中1球も当てられなかったら走りこみ!早く配置につかなくても走りこみ追加だよ!」
(暴君すぎる……)
"配置につかなくても走りこみ"。
そう言われて動かない訳にはいかず、所定の位置らしき真ん中に立つ。
今まで以上の横暴さにうっすらと涙がにじむが、手心もなく打たれたボールを追いかけるしかなかった。
黄色や赤色はボールの色に埋もれてあまり分からなかったが、濃いめの青色は思った以上に分かりやすく感じた。
「青?」
「赤!?」
「黄色?!」
ただし、それで同じ色のコーンに当たるかは別物である。
色の判別に気をとられて、当てるはずのコーンにまで飛ばすことはできないでいた。
色の判断に困った時なんて、ひょろひょろとトンチンカンな方向へと飛んで隣のコートまでいく有様だった。
それを遠まきで見ていたレギュラーメンバーが苦笑いを浮かべて話をしているのが見える。
「こりゃ見ちゃいられねーな、いられねーよ」
「色はまあまあ当たってるけどコーンに全然かすりもしないにゃあ」
(溝だけの色とか細すぎて見にくいって!)
自分でもわかるレギュラー陣との格差に泣きそうになる。
今はサービスラインとベースラインの合間でバウンドするボールを追いかけて打ち返していく。
サービスラインより後ろにある、ど真ん中の位置には黄色のコーン。
そしてサービスライン上の右端にあるのは青色のコーンで、その反対側の左端は赤色のコーン。
とりあえず打ち返していっても、そのどれにもボールが当たることはなかった。
その中でも早く色判別ができた時にしたローボレーだと、コーンに当たりそうな惜しい瞬間があったことに気づく。
とにかく、ワンバウンドしてから返すストロークのコントロールが苦手なのだと自覚はできた。
ストロークはだめかもしれないがボレーならできるかもしれないと、残り2球になったところで声をかける。
「あのっ」
「なんだい」
「前衛じゃダメですか……?」
こわごわと挙手をして提案する。
それを挑戦的ととったか、スミレは不敵な笑みを浮かべた。
「ほーん、それならやれるって言うのかい?やれるもんならやってみな!」
勢いよく打たれるボールを正面に構えたラケットで打ち返す。
色自体は判別がつかずにいたが、9球目にしてようやくコーンに当たった。
正解だったのかを調べるために乾がボールを拾いに行くと、色が違うのを見せられ「残念」と言われてしまう。
しかし希望はあった。
今まで当たらなかったコーンにボレーでようやく当てることができたのだ。
そのことを感慨深く思っていると「次いくよ!」とスミレの声で現実に引き戻される。
「最後の一球だよ!ホレッ!」
「黄色!」
最後の一球をトスされた瞬間、時間が遅く感じる。
最後に投げられたのは黄色のボール。
さっき直撃して最初の位置からずれてしまった黄色のコーンに当たるよう、ラケットの傾きを調整する。
そしてこっちに飛んでくるボールに勢いをつけて打ち返す。
打ち返したボールはさっきと違って確実に当たってはいなかったが、バウンドをした際に脇をかすってコーンを揺らした。
「かすった……!」
「……まぐれとはいえ当たっちまったのはしょうがないね」
打ち返したボールの色が間違っていないことを確認すると残念そうにつぶやかれる。
そのスミレの不服そうな顔に、どれだけ走りこみをさせたかったんだと渋い気持ちになった。
少しくらい無理難題を達成した喜びに浸らせてほしかったものだ。
水をさされたので喜ぶ気分にもなれず長めのため息をはくと、次の番だったのか後ろにいたリョーマに「邪魔」と言われてしまう。
言われた通りすごすごとフェンス側へ引き下がると、球拾いをしていたカツオたちと目が合う。
彼らは笑顔で親指をたて、サムズアップを見せてくれる。
その行動に『褒めてくれるのは君たちだけだ』と落ちこんでいた気分が少しだけほっこりした。
ふと、今回の罰はただの走りこみだったが次は乾汁≠ネのではと脳裏をよぎる。
できれば気づきたくなかった可能性に身震いがおきる。
時期はわからないがたしか対ゲーム形式での罰なので、どうしようもなさそうなことだけは理解できた。
このままだと辛酸のような仮想の乾汁の味がしそうになり、それを払拭しようと隣コートの球拾いにそそくさと戻ると、カチローたち三人から小声で褒められた。
堀尾は少し自慢も交えていたが、褒めてくれたことはただただ嬉しかった。
特別練習から時間がしばらく経ち、空はオレンジ色に染まる。
手塚がコートから校舎の時計を確認すると、部員に集合をかけた。
全員が集まって落ち着いたころ、明日は部活動が休みだということと、ほか諸連絡を伝えていく。
そしてすべてを伝え終わると一拍おき、解散の号令をかけた。
「それでは解散!」
「「「「お疲れっしたー!!」」」」
『お疲れ様』を言うなり全員が散り散りになる。
2年生や3年生はコートの外へと直行する中、1年生はコートに落ちているボールを拾っていく。
青春学園男子テニス部では1年生は雑用も兼任することになっているため、備品やコートなどの整備が残っていた。
とりあえず周りの様子をうかがい、まだ誰もやっていないポールネットを緩めていく。
そして全部を緩め終わったころ、誰かがまとめて持ってきていたコートブラシを手にとる。
心を無にしてコートをブラシでならす作業をしていたら、同じく反対側のコートをならしていた堀尾が話しかけてくる。
今、上級生たちは部室で着替えているので手を止めたりしていなければ流石に怒られる心配はない。
なのでこの時間は1年生がおしゃべりしたりして和気あいあいともする時間だった。
「思ったんだけど、苗字っていつもどこで着替えてんだ?」
「女性教員のロッカー室」
「へー」
なんの気なしに聞いてきたのだろう堀尾の質問に答えると、生返事が返ってくる。
反応がよくてもそれはそれで複雑な気分になるので別にこれでいいだろう。
他の人もコート整備を分担してくれていたのでブラシでの作業は終わり、出口に一番近かった堀尾がブラシを集めていく。
あとはその片付けが終わるのを待つだけという時、部室でまだ着替えていなかったのかレギュラージャージ姿の不二がフェンス越しに話しかけてきた。
「苗字さんって帰りは一人なの?」
「一人ですけどどうかしましたか?」
「帰り支度もあるし、学校から出るの結構遅いでしょ?」
「はあ、まあ、そうですね……」
不二がなにをしたいのかわからず、逃げ腰気味に返す。
まるで『一緒に帰ろう』なんて誘いがきそうな流れである。
だが彼の好感度をそこまで稼いだ要素が自分では見当たらないので、少し薄気味悪さを感じた。
そんな中、備品の片付けが終わったことを堀尾が告げると待機していた1年生がまばらに散っていく。
すると不二は突然、コート出口の渋滞を避けているらしきフェンスに寄りかかっていたリョーマへ視線を投げかける。
「ちょうど帰る方向が同じみたいだし、越前が送ってあげたら?」
「え……嫌っス……」
「……一人で帰れますから大丈夫ですよ」
突然話題を振られたリョーマは嫌そうに断った。
その態度に若干ムカついたが、気持ちを押し殺して『一人で大丈夫』だということを強調する。
それに不二は面白いものを見たような笑みをひとつすると、自身を人差し指でさしながら言った。
「それじゃあ僕が送るよ。いいかな?」
「いやそれは申し訳ないといいますか、なんといいますか……」
「…………送るっス」
「そう?ならよろしくね越前」
一応は想像できていた誘いにたじろぐ。
「待たせるのも悪いし…」と断る言い訳を述べているとリョーマが間に入ってくる。
最初は『なんで俺が』という不服そうな顔をしていたが、居候という事実を知られれば更に面倒なのを察したのだろうか。
それに不二は満足そうな笑みを浮かべて「苗字さんまたね」と言って部室へ入っていく。
リョーマの方を見ると、帽子を深くかぶりなおしていて表情は確認できなかった。
どちらにしろ、リョーマともども不二にからかわれた感はぬぐえなかった。
あれからリョーマとは無言で別れ、校舎のロッカー室へ戻る。
体操服を脱ぎ、汗拭きシートで全身を拭き終わると制服へと着替える。
多少髪も整えてロッカー室から出ると、茜色の空に藍色が混ざりはじめていた。
本当にリョーマが送ってくれるのか疑わしく、バックレられることを念頭に置きながら校舎からでていく。
それらしいところに人影が見当たらなかったので『やっぱり帰ったのか』と思っていると、校門の外でリョーマが校門の壁によりかかっていた。
向こうもこちらを認識すると機嫌が悪そうな顔になり、一言。
「遅すぎ」
悪態をつくのはいつもと変わらないものの、視線をよこしてから歩きだしたので後ろについて歩く。
初めてリョーマと帰るいつもの道は、なんとなく新鮮に感じた。
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