籠 り   main diary mail reply  
act.19


梅雨が思ったより早く明け、時季的には夏になった。
これから暑くなるであろう朝日の下、涼しい風を感じながら通学路を歩く。
よぎっていく景色を横目に伸びをひとつして、肩にさげているカバンを持ちなおす。
スクールバッグの中はお弁当箱ふたつとジャージとタオル、あとは小物で比較的少なく、軽かった。
学校には生徒個別のミニロッカーがあり、そこに教材諸々を入れてきているので毎日の荷物が少なくて助かっていた。

ミニロッカーのない学校に通っていた頃を思い出すと、古傷のように肩がうずく。
むずむずとした感覚に、カバンを提げていない方の肩を回せば、手の甲に大粒の水があたった。
周りを見渡すが、どこかの家庭から水やりの水が飛んできた訳ではなさそうである。
ほかに考えられるとしたら、空。

空を見上げてみても雨雲らしい雲はない。
それに、朝出かける前に見たスマホの天気予報の降水確率は0%だった。
つまり完全に油断して家をでた今、手元に傘はない。
学校のロッカーに念のため入れておいた折りたたみ傘が脳裏をよぎるが、必要なのは今だ。

しかも今いる地点は学校と家の中間。
念のためを思って早足で向かいはじめると、ポツポツと顔に水滴があたりはじめた。
それからは秒もたたずに土砂降りへと変わる。
降る雨のあまりもの密度に、目の前の景色が見えなくなるほどだ。
目に見えていた登校中の学生たちも、唐突な土砂降りに悲鳴をあげる。
しかし、そんな情けない叫び声たちをもかき消すほどに雨は勢いよく降るのだった。




ゲリラ豪雨に襲われ、ようやく学校へ着いた頃には全身ずぶ濡れだった。
カバンで頭を防御していたが、結局守れたのは頭頂部だけ。
カバンのみではバケツをひっくり返したような土砂降りには到底勝てなかった。
そんな大暴れをしていたゲリラ豪雨は今、土砂降りだったのが嘘かのように小雨へと変わっている。
昇降口から見える調子のいい雨の様子に腹が立ち、恨み言をつぶやく。


「ほんと最悪……」


タイツもまんべんなく濡れてしまったので上靴もはかず、下駄箱にずぶ濡れの靴を投げこむ。
肌に張りつく衣服やタイツ───その不快感に眉を寄せた。
そして今日一日、学校ジャージで授業を受ける様がありありと思い浮かぶ。
もう一度ため息をついて外へ視線を向けると、折りたたみ傘をさして歩く海堂が目に入った。
グラウンドの方面から来ているので朝練後の部室からでてきたのだろう。
そのままそそくさと去ることもできず、海堂が軒下にくるまで待って挨拶をした。


「海堂先輩、おはようございます」


海堂は話しかけてきた私に気づいて視線をよこすと、ギョッと目を見開く。
それから驚いた視線はそのままに、ずぶ濡れの我が身を上から下まで見て口を開いた。


「……はよう。傘持ってこなかったのか」
「あははははは……」


ごまかすように乾いた笑いを返す。
海堂はなかば呆れたように鼻を鳴らすと、折りたたみ傘の水気を飛ばして丁寧にたたむ。
そして傘を手にさげると、不意にカバンへ手を突っこんだ。
しばらく中を探っており、タオルを出してきそうな腕をそこで制す。


「あ、タオル持ってきてるんで大丈夫で……」


そう言いながら自分のカバンの中に手を入れるも、乾いた布の感触がしない。
どれだけ漁っても小物以外には濡れた布の感触だけだ。
雨で含んだものとは違うだろう嫌な水分が背中を伝う。
いつまでもカバンの中を探ったままの私を、海堂は訝しげにギロリと睨んだ。


「おい、苗字」
「あは……保健室行ってきま〜す……」


ごまかすように笑いをひとつしてその場を去ろうとする。
つま先立ちで床に敷かれたスノコの上を小走りし、廊下へあがる。
それから別れの挨拶として海堂に頭を下げようとすると、少し複雑そうな顔をした海堂と目が合う。


「……ジャージくらいは貸してやる」
「えっ」
「もうずぶ濡れのやつらが借りて予備もないと思うぞ」


そう言うなり海堂はこちらのうしろに目をやる。
視線をたどると、ずぶ濡れの人が小走りで保健室の方へと向かっていた。

改めて言われてみればゲリラ豪雨に遭ったのは自分だけではない。
降ってきた時間的にも、この様子なら先に学校へ着いた人がもう何人か保健室へ行っているだろう。
もう一度海堂の方を向くと、カバンから学校ジャージの上下を取りだしている。
その姿はまるで神様のように思えた。


「ちゃんと洗ってお返しします本当にありがとうございます助かります」
「フン、風邪ひかれたら困るからな」


差し出されたジャージを両手で受け取り、もう一度礼を伝える。
それに対して海堂は気恥ずかしそうにすると「早く行け」と、ことを促す。
その言葉に甘え、後日返すことを伝えて別れた。

髪から落ちる水滴でジャージを濡らしてしまわないよう、両腕を伸ばしたまま保健室へと向かう。
そうして保健室へ着くと、中には既にずぶ濡れの人が何名かいた。
女子は他へ誘導しているのか、濡れ方が軽度な人以外見当たらない。
男子はパーテーションの向こうで着替えているのか、雑談に花を咲かせていた。
朝から忙しそうな保健室の先生に話しかけると乾いたタオルとハンガーを渡され、女子更衣室で着替えるように言われる。
言われた通り女子更衣室に入ると何名か着替え中で、部屋中の視線を浴びた。

誰かの視線を少し感じながらも、びちゃびちゃになった衣類を脱いでタオルで体を拭く。
タオル一枚だけなのでまだ肌がしっとりしているがそのうち乾くだろう。
そして海堂に貸してもらった学校ジャージを着て、濡れた制服と髪を手洗い場で絞った。
濡れた制服は更衣室で干すようで、既にいくつかかかっている物干し竿に制服をかけたハンガーを吊るしておいた。
そして自身のクラスへ向かっている途中、ジャージの袖の余りが二回り以上長いことに気づく。


(サイズが大きいというか腕が長いというべきか……)


明らかなオーバーサイズのそれに、不可抗力とはいえ中学生男子のジャージをほぼ素肌に着ている状態だと思い知ってしまう。
悪いことをしていないはずなのに不健全なことをしている後ろめたい気持ちが背後に迫る。
ちゃんと洗って返そう。
そう何度も思いながら、制服が乾くまで海堂の学校ジャージを着てこの日一日を過ごした。

ちなみに、湿ったランチクロスに包まれた弁当箱をリョーマに渡すと嫌な顔をされました。


***


朝練中にゲリラ豪雨があってから二日後。
あの日、ずぶ濡れの後輩に驚いてジャージを貸したことを少し忘れかけていた頃だった。
放課後になり部室へ行こうとしていると、誰かに呼び止められる。
呼ばれたままその方向を向くと、少し居心地が悪そうな後輩の苗字がいた。
苗字は廊下の周りを気にしながら、俺が振り向いたことに気づくと、後ろ手に持っていた紙袋をおずおずと突きだしてくる。


「あの、海堂先輩、先日はありがとうございました。助かりました」
「……おう」


その言葉でジャージを貸していたことを思い出し、相づちをうちながら紙袋を受けとる。
ふと受けとった紙袋の中をのぞいてみると、畳まれたジャージの上にラッピングされたクッキーが置かれていた。
クッキーの存在を認識したことに気づいたのか、苗字は言葉を付け足す。


「お礼と言ってはなんですが、今日の調理実習で作ったお菓子も入れておいたのでよかったら食べてください」
「…………おう」


気恥ずかしくなって目線を他にやりながら相づちをうつ。
別に嫌という訳ではないが、女子からクッキーをもらうことに少々抵抗があった。
こんな時、能天気なアイツならただ素直に喜んで礼も言えただろうにと思い、自身の愛想のなさを悔やむ。
気が利いたなにかも言えず沈黙が間を流れると、苗字は気まずそうな顔で「それではまた」と手を振って廊下を引き返していく。
小さくなっていく背中を眺めながら『居心地を更に悪くさせてしまったか』と後悔し、後頭部を掻く。
あの時≠ヘ誤解があったとはいえ、また突然泣いていなければいいがと思いながらその場をあとにした。

それから部室へ着くと、自分に割り振られた棚へ紙袋とカバンを入れる。
入れるとき紙袋から香ってきたジャージの匂いは、当たり前だがいつもとは違う香りがした。
他人の家の匂いだと思い知ると、途端に恥ずかしいことをした気持ちになった。
『女子にですぎたマネをしたか?』『助かったと言っていたからそれでいいはずだ』と自問自答しながら、レギュラージャージに着替える。
そして悶々としながらいつものように制服を畳んで部室の外にでていく。

一向に止まらない自問自答から逃れるように準備運動をしようとすると、後輩の越前が横を通り過ぎた。
その時、風にのって柔軟剤であろう香りが鼻孔をくすぐる。
なんとなく、それが返ってきたジャージの匂いに近い気がして声が漏れた。


「ん?」
「……なんすか」
「……いや、なんでもねぇ」


無意識に目で追ってしまった越前が訝しげに睨んでくる。
それに返事をすると越前は納得のいかない顔をしていたが離れていく。
風にのってもう一度香ってきたその匂いは、紙袋から香ったものとは違うように感じた。
気のせいだったかもしれない。
未だ引っかかるものがあるものの、これからはじまる練習へのやる気を頬を叩くことで奮い立たせた。





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