act.20
特製野菜汁
放課後の青春学園テニスコート。
少し青が薄れてきた空の下、コートに散らばったボールを黙々と拾う。
はじめは男子だらけの中で動くことに心許なさを感じていたが、最近はあまり気にならなくなっていた。
自身と同じくそんな異質な因子に居心地を悪くしていただろう周りも、はじめの頃のようにどこかギクシャクとした視線を投げかけてくることもない。
ようやく学校風景の一部として溶けこみはじめていたかに思えたが、地区予選が終わってからチラホラと来るようになった他校のスパイにより、周りはまたどこかぎこちなくなっていった。
かく言う自分もその影響を受けている。
近くにいないのに見られている感覚を覚え、ボールを拾う手が止まる。
きっとまたテニスコートの外にある茂みからレンズを向けられたのだろう。
気にしない方がいいとは思っているものの、その独特な感覚には体が自然と強張ってしまう。
いつもは意識しなくても余裕なのにラケットに積んだボールを落とさないようにするのもやっとだ。
そこから近くにあるボール用のカゴに拾ったボールを全部入れる。
逃れるようにコート端へ行っても視線はついてきた。
気が休まらない苛立ちからカメラがあるであろう方向を睨むと、焦点が逸れた感覚がした。
ようやく舐めるような視線から解放され、ため息をはく。
他校から見れば紅一点であるのは明白なため、目が向けられやすいのだろうが嫌な弊害である。
自分以上にカメラを向けられているであろうレギュラー陣を見れば特にギクシャクしている様子もなく、いつものように練習をしていた。
そんな彼らの胆力を見習うべきなのだろうとぼんやり思っていると声をかけられる。
「苗字!こっちのコートにこい!」
「あっ、はい!」
大きく返事をし、呼ばれた方へ向かう。
そのコートでは球出しが行われており、反対側のコートではベースラインより後ろに待機列ができていた。
並んでいる列からなんともいえない視線を感じながら、その列の最後に加わる。
最近、1年生の基本メニュー以外にもやることが増えた。
普段は2・3年生だけがする、ボールを使った実戦的な練習に加わることになった。
スミレも補欠とはいえ、通常の部活動でボールを打たせる機会がないことにようやく危機感を持ってくれたようである。
球出しが行われているコートには、赤青黄のコーンが置かれている。
そう、これは乾が以前考案した練習方法。
色をつけたボールをその色のコーンに当てるという、以前はレギュラーの特別練習だったものを通常練習として昇華したものだ。
はじめはボールの溝をマジックで塗っただけのものを使用していたが、今は分かりやすくボール全体をその色に染め上げたものを使用している。
これで色の判別もつきやすく目当てのコーンにバンバンと当てられる……訳ではなかった。
この練習はボレーで打ち返すことが禁止されている。
つまりはコントロールが苦手なショットだけしか使えないということだ。
ボールの色の判別は打つより前に見当がつくものの、その色のコーンには中々当てられずにいた。
1球外していくごとに球出しをしている荒井の雰囲気が険しくなるのを感じる。
そしてついに限界がきたのか、苛立ちを包み隠すこともなく声を荒げてきた。
「3球連続同じ色投げてやってるのに当てらんねーのか!」
「すみません」
「そろそろノーコンなおせ!」
「善処します……」
本当のことなので耳が痛い。
しかし事実だとしても荒井の当たりは中々にキツかった。
私が練習に加わる時、決まって荒井は機嫌が悪そうだった。
レギュラーでもない・男子でもない・大して上手くもない、そんな1年生のぺーぺーが特別扱いされるのが気に入らないのだろう。
それに新入生のリョーマに煮え湯を飲まされたりで、積もりに積もったフラストレーションも同時に発散しているのだと思う。
だが、そんな高圧的な態度で罵倒されれば普通の中学一年生女子だったら泣いているところである。
(まあ、そんな年じゃないから泣きはしないけど)
未だ声を荒げている荒井を冷静に見る。
その姿はまるで吠え続ける子犬のように思えてしまう。
そう思い至ると荒井が小さなポメラニアンに見えてきてしまった。
ここで少しでも笑うと彼が更にヒートアップしそうなので真顔を保ち、右から左へ罵倒と小言を聞き流すのだった。
***
乾が隣のコートを見ながら秘密ノートを広げている。
その視線をたどると、この部活の紅一点がいた。
どうやら乾は2・3年生の練習に加わっている彼女のことを観察しているらしい。
気配を消して近寄ってみると、今行っている練習の結果以外にもなにやら記録しているようだ。
それが気になっておもむろに話しかける。
「メモするの、コーンに当てた結果だけじゃないんだね」
「結果の数値だけが成果じゃないからな」
乾は視線を動かさずにそう答える。
確かに彼の言う通り、コーンに当てた結果だけでは分からないこともある。
現に彼女ははじめの頃に比べると、色ごとにショットの打ち分けができてきているようだった。
苗字名前。新入の女子生徒。
はじめは体力のない大人びた子だと思った。
でも話してみたら恥ずかしがったりするし、手塚の試合を見て泣いたりする多感な子だった。
そう思っていたら越前に張り合われていることに気づかない鈍感さもあったりと、色々と印象が変わっていく。
知っていけば知っていくほど印象が変わっていく面白い子である。
そして最近、越前との関係性が気になっている。
なぜ彼女が意識されていることに気づいたのかといえば、越前が特別練習で彼女と同じようにボレーでそれをやり遂げたことからだ。
もっとも、当てつけられたはずの当人は隣のコートで球拾いをしていたので気づいていなかったのだが。
きっと彼女は越前が走りこみで彼女を追い越す時だけはスピードをあげていることにも気づいていないのだろう。
普段はクールな越前が彼女を意識しているのに気づかれていない図はどうしようもなく面白かった。
それからは自然と彼女の観察をするようになった。
彼女の練習姿を見るに、特段テニスが上手でも下手でもない。
そんな彼女に1年生でレギュラーになったスーパールーキーの越前が対抗心をなぜもつのか。
部員の中でも一定数いる、男子テニス部に女子がいることが気に食わない派閥でもなさそうだった。
ソリが合わないのかとも思ったが、帰りを一緒にするくらいなので嫌悪からでもないらしい。
それなら恋愛なのかと注視してみたがそんな甘い雰囲気は一切感じられなかった。
いまだにこの謎はとけないままだ。
また、見守ってきた甲斐もあってか、彼女の異変がなんとなく感じられるようになってきた。
それにより最近、自分にカメラを向けてくることもある、周囲に潜んでいるスパイの人数が予想できるようになった。
あの様子だと今日は5、6人いるだろうか。
練習を終えてきた英二が隣にくるのを横目に、これからすることを想像して漏れた笑みとともに状況を報告する。
「今日は中々いるみたいだよ英二」
「また水をまき散らすつもりなの?不二」
「まあね。英二もやる?」
「今日もむし暑いし、やろうかにゃ〜」
「……それは災難だな」
興味津々といった様子で話しにのってきた英二を悪事に誘う。
すると彼はいたずらっぽい笑みで話にのってきたのでそのまま一緒に笑い合った。
そんな企みを隣で聞いていた乾はスパイたちの身を案じてか、同情するようにボソリとつぶやいた。
***
部活動の時間がのこり二割ほどとなり、とある部活は後片付けをはじめたり、練習にラストスパートをかけはじめる時間となった。
テニス部もその例に漏れず、一部の部員は帰宅の時間が近づいていることを意識してソワソワとしはじめていた。
そんな浮ついた部員の気を引きしめるかのように手塚が声を張りあげる。
「レギュラー集合!苗字もだ!」
よく通ったその声には自分の苗字も呼ばれていた。
なぜその並びで呼ばれるのか検討がつかず、ふと目が合った手塚に自身を指差して確認すると頷きという肯定を返されてしまう。
ラケットに積んでいたボールを近くのカゴに入れて、呼ばれて集まった輪の中に加わる。
その手前には手塚と、学校の運動服姿の乾が立っていた。
乾の手には青汁のような液体を入れたグラスがひとつ。
この時点でもう嫌な予感しかなかった。
「これから、打てる範囲を限定したラリー対決を行ってもらう。呼ばれたから分かるだろうが、苗字も参加だ」
「……はい……」
手塚に名指しで念押しをされ、観念して話を聞く。
乾からゲームの説明を受けている間も、どうしてもその手にあるグラスに気が向いてしまう。
そうして説明は負けた方の罰ゲームの話になり『乾特製野菜汁』と称してグラスがついに掲げられる。
野菜汁なんて生優しいものじゃない乾汁≠セ。
みんなはまだ知らないそれを軽く捉えているようだった。
『ただの変わった青汁だろ』と。
しかし、河村に負けて乾汁を飲んだ海堂がコート外に走り去っていくとコートに緊張が走る。
次は大石が飲んで走り去っていき、不二はなに食わぬ顔で飲み干した。
菊丸に耐久されて負けたリョーマもまた、先人と同じように乾汁を飲んでコートの外へと走り去っていった。
マンガやゲームでは軽く流したりしていた犠牲者の反応をこうも間近でみてしまうと、乾汁の危険性を再認識してしまう。
そうこう行く末を眺めていたら最後になってしまった。
残ったのはレギュラーから外された乾と、名指しをされた私。
サーブ&ボレーヤーである乾が守備の全面側、余りとして私は攻撃の半コート側に分けられたらしい。
乾はコートに入る前に手首と足首のパワーリストに重しの鉄板を何枚か入れている。
ハンデということだろう。
乾は余裕のある表情を見せながら声をかけてくる。
「胸を借りると思ってくるといい」
「よろしくお願いします……」
胸を借りるだけのつもりであんなゲテモノを飲まされてしまうのか。
できれば負けたくないと思うが、乾相手に勝てるという自信までは持てなかった。
不二の球出しでラリーが始まったと思ったら、乾は速攻にボレーを打ってくる。
ボレーをされる心の準備ができていなかったので、調子を狂わされたまま前後に揺さぶられてしまう。
そうしてネット際のドロップショットを取りに行かせられたところで、次になにを打たれるかは分かっていた。
ライン際のロブだ。
頭ではわかっていながらも、足はもつれて上手く立ち上がれない。
(あ、終わった)
目線だけはボールに向かったまま、これまでの走馬灯のようなものが脳裏をよぎる。
すると突然、向かいから強い風がコートに吹きつけてくる。
その風にあおられ、綺麗な放物線を描いていたボールの軌道がわずかにブレていく。
その間、時間がとても遅く感じられた。
突風を受けたボールは飛距離を伸ばし、ラインの外ギリギリに落ちた。
「アウト……!」
誰だか分からない声が判定を下す。
乾汁を飲まなくていい安心感からか、止まっていた冷や汗が一気に流れた。
そのあとは原作では見ることのなかった、乾汁を飲んで顔色が悪くなって走り去っていく乾の姿を見た。
これに懲りて、これからは味を重視したまともなものを作ってください。
221213
mainページへ