nocturne:0
1
死後の世界
目を開ければなにもない荒野に横たわっていた。
手には『北・街・地』と書かれていた紙切れがあったが、大部分がにじんでいて読めなくなっている。
なんの紙かは分からないが、とりあえず身体を起こそうとすると、ある変化に気付く。
「和服だ」
視界がなくなる前は着ていなかったはずの白い反物を身にまとっていた。
立ち上がってみれば裾は膝下ギリギリ。
丈こそ違うが、真っ白で合わせが反対になっているため死装束としか思えなかった。
どうしてこの格好になっているのかを考えこもうとし、最後に見えた情景がよみがえる。
黒の着物に、筋ばった首筋を。
「死神……」
男が名乗った名前をぽつりとこぼす。
黒いマントを被り大鎌を持った骸骨のイメージがあったが、自らを死神と名乗った男は黒い着物に刀を携えていた。
洋風とは反対の和風な上、骨は露出しておらず、人間と同じ肉や皮膚のある首をしていた。
そして死んでいる≠ノしては熱すぎたあの体温。
「……そういえば、私、死んだんだよね……?」
死んだはずなのにどうして今もフリーで存在しているのだろう。
身体が動くし、視界も鮮やか。思考はフル活動。
やれ地獄だ天国だ冥界だなどは無いと思っていたが、まさか死神に会った後は死装束に着替えさせられ謎の荒野に放りこまれるとは。
夢であれば良いのにと思っても嘘とは思えない感覚が、現実逃避をさせてくれなかった。
「お腹空いた……」
きゅう、と情けない音が腹部から鳴る。
とりあえずここにいても仕方がなさそうなので、目ぼしい道しるべも無いがここから移動することに決めた。
一歩一歩、素足で乾燥した土の上を歩く。
歩く度に砂利が足裏にめり込み痛みが伴うが、空腹の今は少し気が紛れるのでありがたかった。
辺りは枯れた木こそあるが、本当にそれ以外目ぼしいものは見当たらない。
延々と続く荒野と、少しずつ削れてゆく精神の感覚に『これが生前で犯した罪の罰なのだろうか』と記憶もない生前のことをぼんやりと考えはじめる。
そして足はもう"歩く"のではなく引きずって前に進んでいた。
視線もはじめは注意深く辺りを見渡していたのに、今は正面にある乾いた地面をぼうっと意識もなく眺めているだけ。
どのくらいの時間が経ったか認識できなくなった頃、正面の幾里か先に建物らしき形を捉えた。
「建物……?」
あれはもしかしたら蜃気楼かもしれない。
そう疑っても胸の奥の希望は捨てきれず、足の動きは歩きから小走りに変わっていった。
更に小走りから走りへと変わり、徐々に建築物との距離をつめていった。
空腹なのに身体が軽い。
街にいた時より身体がよく動き、風を切る感覚が凄まじい。
あっと言う間に、小さく見えていた影が大きい建物の集まりになっているのが視認できるほどの距離になった。
そうして近づくにつれ、そのあまりのスケールに私は唖然とする。
走っていた足はいつの間にか動くのを止め、建物群を呆然と眺めていた。
「瀞霊廷へ近づくな」
どこからか低い声が響いてくる。
声が上から聞こえたのだと気づいた時には、分厚い壁が横に並んで空から降ってきていた。
分厚い壁は地面に深く突き刺さり、見えていた建物を隠すように遮る。
同時にその衝撃で地面が揺れ、震動に耐えられなかった私は無防備のまま尻餅をついた。
その痛みに腰をさすっていると、高い壁の前にぬっと大きな影が現れる。
その大きな影の主を確認しようと見上げると、大きな男がこちらを見下ろしていたのが見えた。
色黒な大男は私の頭から足先まで訝しげに見ると、固く結ばれていた口を開く。
「我は北・黒陵門の門番、斷蔵丸なり。瀞霊廷へ何用だ、娘」
「せいれいてい……?」
「我を馬鹿にしているのか?」
初めて聞く単語に首を傾げただけで男は鋭くこちらを睨みつける。
"せいれいてい"がこの世界では至極当然の単語だということは反応で理解できたものの、今にも潰されてしまいそうな空気に身を縮こませた。
そんな私を見てか、大男は呆れたようにため息をはく。
「本当に分からぬのか」
それから“だんぞう丸”さんから、ここのことを教えてもらった。
彼は厳しい顔つきをしているが、私が理解できないところを質問をすれば答えてくれる。
私は増えていく新しい知識に溺れそうになりながらも、なんとか話の流れにしがみついて飲み下していく。
だがそれらはこの頭としては全てが非現実的な話であり、ひとつずつ詰めこむごとに脳みそが悲鳴をあげていた。
聞いた事をまとめると、瀞霊廷はこの壁の向こうにある居住区で、この世界───尸魂界(ソウルソサエティ)の中核と言った場所。らしい。
そして尸魂界は死んだ魂が流れ着く場所≠ナあり、死んだ魂が新しく生まれ変わるまでの住み処≠セと。
それに、何故私が瀞霊廷へ入れないのかと言うと、瀞霊廷は貴族やお偉い様達が住まう所のため、一般人は許可がなければ立ち入り禁止になっている。らしい。
それから、尸魂界に辿り着いた普通の魂、魂魄は生まれ変わる時がくるまで流魂街と言う場所に住むらしい。
以上の事を説明し終えた彼は少し長めの、質量がある息をひとつついた。
「これで分かったか?」
「あの……はい……なんとか……」
痛むこめかみを押さえながら返事をする。
返事はしたものの、さすがに一気に世界感と単語を流しこまれた頭の処理はこんがらがっていた。
もうこれはゲームやアニメのような一種のファンタジーとくくった方が良いのかもしれない。
黙りこむ私にだんぞう丸さんは眉間にシワを寄せ、空気を吹き飛ばすように手で空を払った。
「分かったのならば早くここを去れ。我の仕事をこれ以上増やす気か」
「あの、えっと……勤務中にご対応下さりありがとうございました」
言われてみれば彼は確かに勤務中なのだろう。
申し訳ない気持ちと、確かな感謝の気持ちを込めて深く頭を下げる。
それに彼は少し困ったような顔をした後、照れ臭そうにふんと鼻を鳴らして背中を向けた。
私はもう一度彼の背中に向けて礼をし、そこから去ることにした。
しばらく無心で歩き、瀞霊廷が小さくなった頃、ふと足を止める。
足が止まると一気に力が抜け、崩れるように地面へ倒れこんだ。
「あっ……」
そうだ。お腹が空いていたんだ。
だんぞう丸さんにこの世界のご飯のことについて聞くのを忘れていた。
彼が食べ物のことを話していなかったので、話についていくことで精一杯だった私は空腹と当たり前の疑問を忘れていた。
知らない場所。
死んだ者が辿り着く世界。
もしここでも死んだら一体どうなるのだろう。
不安と空腹が交わり、感覚が分からなくなってくる。
手が動いているのか、口が動いているのかすら分からない。
段々とぼやけていく視界の向こうになにかが見えた時、全ての色が反転した。
other side of death.
(次に目が覚めることはあるのだろうか)
080325:190919:221023
mainページへ