籠 り   main diary mail reply  
act.24
涼飲料水

歩くだけで汗がたくさん流れていく。
じんわりとした生優しい熱気は既になく、夏本番といったところだ。
息をするだけでも嫌になるほどの暑さが体を煮詰めてきているような感覚である。
下敷きでどう風を送ってもそれはただの熱風でしかなく、気休め程度の行動にしかならない。
こんな外での逃げ道といえば日陰と冷たい飲料くらいだろう。

今は日中。
学校終わりといえども日はまだまだ高く、日陰はそれほど伸びていない。
そんな帰路をひとり、わざわざ特大の大回りをして歩いていた。
使った覚えもないどこかの公園の入り口を通りかかったところ、見覚えのある少女の姿を見つける。
少女はベンチに座ってじっと下を向いており、縮こまらせている背は知っているものとは違い、どこか物悲しげであった。
泣いているような気がして、なんとなくその場をただ水に流すことはできなかった。

ひとまずその場を離れ、近くの自動販売機から缶のスポーツ飲料をふたつ買う。
気づかれないように先ほどの少女の背後に近づくと、さっき買ったスポーツ飲料の片方をその頬に当たるように動かす。
すると彼女の体は面白いくらいに跳ねた。


「ひゃっ?!」


丸々とした目がこちらを見上げてくる。
その驚いた反応が見れたのなら遠巻きから回りこんだ甲斐があったものだ。
一度やってみたかった行動と望んだ通りの反応に意地の悪い笑みをしそうになるのをとどめ、外行きの笑顔を作る。
彼女───橘杏は頬に当てられた缶を目で確認するとこちらの顔を再び見上げてきた。


「あなたは……たしか、青学の苗字さん」
「こんにちは、橘さん」
「こんにちは……」


戸惑いながらも挨拶を返してくれる杏ちゃん。
彼女の訝しむ視線を感じながらベンチの正面へと回りこむ。
とりあえず頬に当てたほうの缶を「どうぞ」と差しだすと、彼女は少し躊躇したあとおずおずと手に取った。
そして、切り揃えられた髪を揺らして不思議そうに首を傾げる。


「苗字さんはどうしてここに?」
「たまたま大回りして帰ってたら橘さんを見かけて、つい」
「そ、そっか……」
「「…………」」


無言の時間が流れる。
なんともいえない手持ち無沙汰感から、冷たいスポーツ飲料を飲んで涼をとる。
飲む合間、自分の頬にも缶を当てるととても気持ちがよかった。
目の前の彼女は正面に無言で立たれているのに威圧感を覚えたのか、荷物を置いていたベンチの隣スペースを片付けはじめる。
そうして確保したスペースを「どうぞ」とすすめてきた。
お礼を言いながらそこに座ると杏ちゃんは「いただきます」と、こちらに伝えてスポーツ飲料を飲みだす。
一気に何口か飲んだあとにほうっと息が吐きだされると、彼女のどこか強張っていた雰囲気が少しだけ解けた気がした。

また無言の時間が流れ、じわじわとした熱気がセミの代わりに合唱する。
セミはあまりの暑さで活動できていないという話を朝のテレビでぼんやりと聞いていたが、この暑さならそれが納得できるものだった。
普通ならばクーラーのある屋内に逃げているところだ。

日影ではあるが無風のこの場所に隣の杏ちゃんにも届くように下敷きを大振りにして風を送っていく。
そんな中、彼女は缶を持つ指でピアノを弾くかのように遊んでいた。
なにやら悩んでいるようにも見えるそれを眺めていると、突然指の動きが止まる。
視線は手元の缶に落としたままだが「その、ミクスドの話なんだけどね」と一言おき、もごもごと口を動かす。


「ウチ───不動峰はお兄ちゃんたち男子テニス部の学校での悪い評判をどうにかしたくて、女テニの子や顧問の先生に掛け合ったりしてなんとか出場できたんだ」


ぽつり、ぽつり、と話しだす。
一言ずつ、自身でも確認していくかのようにゆっくりと。
これにはちゃんと応えたほうがよさそうな気を感じ、全ての行動をやめて言葉を聞いていく。
それくらい彼女の横顔は真剣で、触れれば割れそうなほどの脆さがあったからだ。


「でも、結局は全部私のワガママで、お兄ちゃんたちや女テニのみんなに負担をかけるだけかけて中途半端に終わっちゃった。みっともなくて笑っちゃうよね」


彼女は最後に自嘲の笑みを漏らす。
内容までは見届けていなかったが、不動峰は1日目後半の時点で氷帝に負けていた。
不動峰の女子の人員は知らないが男子の人員が圧倒的に少ないため、選手の消耗が先に上回ってしまい、ミクスドで氷帝の層の厚さにやられてしまったのだろう。
また、都大会の男子部門で不動峰が氷帝に接戦されていた理由はその名残りなのだろう。
これまでにできた心のささくれひとつ分の理由は腑に落ちた。

赤の他人としか言えない私に────いや、その私だからこそか。
心の内を打ち明けてくれた杏ちゃんへなるべく真摯に応えようと考えを整える。
意を決して「みっともなくなんてないよ」そう言うと、彼女が泣きそうな顔でこちらを見上げてきた。
後ろ暗いこの身では綺麗な彼女の視線に目を合わせるまではできなかったが、一言一言、言葉を選んで喋っていく。


「橘さんがみんなのことをなんとかしようって頑張ってくれて、今でもまだこんなにも真剣に考えてくれていること、多分お兄さんたちにも伝わってるよ」
「っ……」
「それに、例え忙しかったとしてもきっとみんな怒ったりしていないよ。大丈夫。橘さんは十分がんばったよ」


私はあなたのようにそこまでできない。
喉の奥からでてしまいそうなその言葉を最後に飲みこみ、伝える。
しばらくすると隣から鼻をすする音が聞こえてきた。
杏ちゃんは今まで塞き止めていたものが溢れたのか、大粒の涙をボロボロとその瞳からこぼれさせていた。
ああ、ひとつの失敗からも逃げださず、こんなにも真っ直ぐに向きあう彼女の姿はとても眩ゆい。
日影の中でさえも隣の彼女は太陽のように輝いて見えた。

飲みかけの缶を置き、スクールバッグの中からタオルを取りだす。
そして、溢れる涙を指でなんとか拭おうとしている彼女の目の前に差しだした。


「使ってないやつだから安心して使って」
「あっ、ご、ごめんね……」
「大丈夫、もう私には必要のないものだから」
「えっ……?」


この意味深な言葉に、流れる涙は一時停滞した。
しかしまたポロポロと流れはじめた涙に、杏ちゃんはタオルに顔を埋もれさせる。
意味深な言葉への追求もなく、ただただ泣く彼女になにをするでもなく、隣で時間を過ごした。
彼女とは違い、ラケットバッグが含まれていない自分の荷物を横目にして。

彼女が泣き止んで落ち着いた頃、あんなに冷たかったスポーツ飲料はぬるくなったのか、缶についていたはずの水滴さえもなくなっていた。





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