nocturne:2
1
霞草
副隊長の彼がいなくなってからしばらく経った。
それまで空席だった副隊長の座は
銀 銀次郎≠ニいう男性死神のものとなった。
彼は副業として眼鏡の銀蜻蛉≠ニいう眼鏡屋を経営しているらしい。
話を聞くかぎり、その店は本格派の眼鏡などを高値で取り扱っていながらも徐々に客足を増やしていっているようである。
そんな副業も本業も順風満帆である、カラッとした気風な彼の目下の悩みは私なのだろう。
廊下で見かけ、今日もいつものように彼を呼び止める。
こちらを見ると彼は少しだけ体を強ばらせる。
彼なりの『またか』という反応なのだろう。
私はあの事件以降、ぽっかりと空いた穴を埋めるかのように仕事を詰めこむようになっていた。
少しでも気が休むと、前の副隊長とのことが思いだされて苦しかったから。
だから、休日すらも返上して仕事に身をやつしていた。
それに周りは腫れ物を扱うかのように遠巻きでこちらを伺うだけ。
それはそれで働き続けたいだけの自身にとっては都合がよかった。
「今週の夜警の番、やらせてください」
「しかし、この前も埋めてもらったところじゃしなぁ」
いつものように新しく仕事を詰めこもうとする私に、彼は眉根を寄せて腕を組む。
「うーん」とうなりながら考えこむ彼の様子を眺める。
しばらくそれは続き、このままだと断られそうな空気を感知する。
ズルい手ではあるが、自分への同情を誘いこむようにした断りにくくなる言葉でたたみかけていく。
「働いていないと気が済まないんです、お願いします」
「……うーむ、なら今回もお願いしようかの」
「ありがとうございます!」
承諾の言葉を受け、頭を下げる。
嬉々とした自分とは違い、彼の表情は少し曇り「うーん」と渋い声が絞りだされていた。
彼には悪いが、気を紛れさせるには仕事が一番だった。
思考が手放しになって中途半端になってしまう鍛錬とは違い、仕事は目の前に積まれたものを消化していくことを第一に考えればいいから。
早速、頭は夜警の休憩の合間にこなすもののリストを考えはじめ、別れの挨拶もそこそこにしてその場を去った。
そしてそれからしばらく経った夜。
今宵も瀞霊廷内の舗装された道を手にした行灯で照らしながら一人で歩く。
しかし今夜はその行灯がいらないほど月が輝いており、足元も明るく照らしていた。
だが時間が時間なので人影は見当たらない。
異常がないことを逐一確認しながら隊舎に戻ったあとのことを考えて歩いていると、開けた場所で群生している植物の横に誰かが座りこんでいるのを見つける。
シルエットだけでも特徴的なその格好には見覚えがあった。
笠、女物の派手な羽織、小さな風車のかんざしを髪紐に刺した男─────
「……京楽隊長ですか?」
「お〜、夜警かい?お疲れ様ぁ」
声をかけるなり彼はゆるりとした笑みでこちらを見上げる。
その頬は少し赤らんでおり、お酒の甘い匂いが口から微かに香ってくるくらいには飲酒していたようだ。
隊長格である彼がなぜこんな夜更けに、ただの道端で一人酒を煽っているのだろうか。
理由はともあれ、今はどちらかと言えば始業時間が近い時刻のため、やんわりと就寝したほうが良いことをすすめる。
「こんな時間までお酒を飲んでいるんですか?流石にもう寝られた方が……」
「いやなに、こんないい風情な景色を見つけたら遅くまで呑みたくなるでしょお」
「いい風情、ですか……」
いい風情≠ニ言われ、辺りを見まわす。
近くのただの雑草だと思っていた植物は、生えた先で小さな白い花をいくつも咲かせていた。
たしかこの花の名前は霞草だったか。
単に酔狂な月見酒と思っていたが、視線からして京楽隊長はこの素朴な花をも愛でていたらしい。
彼はこのとても小さな白い花からすらも風情を感じているのだろう。
感受性の違いを思い知らされ舌を巻いていると、京楽隊長がわざとらしく酒瓶を手に身を寄せてくる。
「君がお酌をしてくれたらもっと嬉しいんだけどなあ〜」
「……それで自室に戻られるんでしたら……」
「はっはっは!キミ、七緒ちゃんみたいに真面目な子だねえ!」
譲歩として条件をだしてみると笑い飛ばされる。
『七緒ちゃん』というのは八番隊の伊勢副隊長のことだろう。
この自由奔放な人の相手をほぼ毎日しているであろう彼女のことを思うと、同情せずにはいられなかった。
京楽隊長は一通り笑い終えると、空いた手のひらで太ももをパンと叩く。
「そうだね、そろそろ晩酌はやめにしようか!」
そう言うと続けて「じゃあ最後の一杯、よろしく頼むよ」と、酒瓶を差しだされる。
つい話の流れとはいえ出した条件を飲まれてしまった以上、しかたない。
観念して行灯を地面に置いて膝をつき、目の前の酒瓶を受けとる。
それから「失礼します」と断りを入れて彼の横に座ると、持っているお猪口へ酒瓶の中身を注いでいく。
その間も彼はニコニコとこちらに視線を注いできていた。
「毎日こんをつめてちゃ疲れるでしょ?だからこれは一種の息抜きなんだよ」
「はあ」
彼の話に生返事をしているとお猪口の中はいっぱいになる。
酒瓶を傾けるのを止めると京楽隊長はお酒をちょびちょびと呑んでいく。
彼の視線は月と霞草を交互に愛でながらも、時折こちらにも向けられてくる。
その目線が意図することが分からず、とりあえず流していた。
するとふと、中身が残っているお猪口が置かれたと思うと、昔より伸びた髪を雑にひとつにまとめていた髪紐を片手でほどかれる。
突然の京楽隊長の行動に驚いていると、彼は目を細めながら私の髪を耳にかけると摘んだ霞草の茎をそこに差してきた。
そして、自分とは違う太い親指が頬を軽く撫でる。
「霞草、君にとても似合ってるよ」
「!!」
細められる熱っぽい瞳と、低い声。
近くで香ってくるお酒の匂いだけでも少しくらくらしていたのに、これはだめだ。
これは、口説かれている、のだろうか。
初めての体験に体が熱を上げていくことは止められず、すぐに顔全体が茹だっていく事実をただ受け入れることしかできなかった。
目の前の京楽隊長を直視することも、言葉を返すこともできずに視線があちらこちらへと泳ぐ。
彼は真っ赤になって焦っている様子のこちらを見ていてか、ポロリと言葉をこぼす。
「可愛いなあ」
「かっ……や、夜警に戻ります!約束通りちゃんとお部屋に帰って寝てくださいね!!」
「はぁ〜い」
『可愛い』その一言で頭が少し冴えた。
口説かれているのではなく、からかわれている可能性があるのだと思い浮かぶ。
酔っぱらっている人の言動を真に受けてしまった自分を恥じ、持っていた酒瓶を地面に割れない程度に強く置くと、行灯を持って立ち上がる。
そこから逃げるように足早で去ると、かんらかんらと笑う声が後ろから聞こえてきた。
今後は酔っ払っている人の言うことは話半分に流そう。
隊舎に戻るまでの道でそう自らを戒めた。
「君」
道の途中、消え入るような声がどこからか聞こえる。
声の主を探すと片目を隠した色素の薄い男性死神が、道の真ん中でぼうっとした瞳でこちらを見ていた。
赤の他人とはいえ、熱が冷めやらずの真っ赤な顔面を見られるのが恥ずかしくて、返事もせず顔を背けてその場を走り去る。
男性は追いかけてくるでもなく、その場に呆然としたままそこに立ち尽くしていた。
その姿はまるで亡霊のようだとぼんやりと感じた。
「おお、吉良!瓦版の『霞草の君』って話よかったぞ!」
「あっ、はい、ありがとうございます」
あの後しばらくの間、霞草が護廷十三隊の中で流行っていたのは多分きっとたまたまだろう。
「朽木隊長、八番隊から一隊士の移籍打診があったのですが……」
「指名されていたのは女性隊士か?」
「ええと、はい……」
「なら却下だ」
(ですよねー)
Gypsophila of you.
(あの時髪にかけられた霞草は、走っている間にどこかへいってしまっていた)
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