act.25
相合傘
「小坂田さん、どこかアルバイトできるいいところ知らない?」
猫なで声で目の前の少女に声をかける。
顔面には人受けのよさそうな笑顔を貼りつけ、愛想のいい人間を装う。
ここは自身のクラスではない1年1組の教室だ。
1年2組や男子テニス部の人がこの媚びきった言動を目撃したのならば違和感しか覚えられず、あまつさえ恐怖の感情まで抱かれていたであろう。
そんな私のいつもとは一変した態度で声をかけられた朋香当人は値踏みをするように、じっとりとした訝しむ目線をこちらによこす。
「いきなりなんでそんなこと私に聞くのよ」
「情報通の小坂田さんならもしかしたら〜、って思って」
「なによそれー……まあ?ちょうどないってことも?ないんだけど?」
「さっすが小坂田さん!情報網が伊達じゃない!」
「ふふん、まあねー!」
笑顔はそのままで朋香をヨイショする。
『頼れるのはあなただけ』『あなたは優秀』といった態度で彼女を持ち上げていく。
最初は疑ってかかっていた態度は次第に軟化していき、ついには鼻高々というような状態にさせることができた。
いい気分にエンジンがかかったのか、朋香がこちらの目的である情報をこれから喋りだそうとしていたところに一人の女子が近づいてきて話しかけてくる。
「朋ちゃんと苗字さんはなんの話をしてるの?」
話しかけてきたのは桜乃だ。
親友である彼女に話しかけられて拍子が外れたのか、朋香の回りだしそうな口は閉じられてしまう。
あと少しだったのに。
桜乃に恨めしい気持ちを抱きつつ、笑顔を崩さないようにして朋香のこれからの言動にイエスマンを演じようと待ち構える。
朋香は高まった気分を整えるかのようにひとつ咳払いをすると、こちらを指差しながら説明した。
「この子がアルバイトしたいんだって」
「え?苗字さん部活は……」
「小坂田様!ジュースをおごりますのでどうか何卒!」
「……ん〜、そこまで言うなら仕方ないわねえ。一週間分でチャラにしてあげる!」
「ははー!」
その話題はしたくない。
こちらにとって都合の悪いことを言おうとする桜乃の言葉と姿を物理的にさえぎり、更に報酬を積むという力業ですべてを揉み消そうとする。
そんな言動に桜乃はたじろぎ、朋香は少し戸惑ったようにとれたが、すぐに調子がよさそうにこちらの話に乗っかってきた。
実際に朋香を拝みながらどこの自販機のジュースが良いだのの話を聞いている間に、ほかの会話も耳に入ってくる。
桜乃がたじろいだ先にいた小鷹さんとの会話だ。
「……小鷹さん、どうしよう」
「やりたいんならやらせてあげればいいんじゃない?」
「そう、かなあ……」
聞いているだけだが、なんとも煮えきらない会話だ。
不安そうな桜乃とはうって変わり、少しは仲がいいと思っていた小鷹さんがドライなことに少しだけ寂しくなる。
その間も朋香との話は進んでいき、商店街のとあるケーキ屋さんが裏方のアルバイトを探そうとしているという情報をもらう。
しかも朋香はそこの店長と顔見知りであるらしく、先に話を通してくれるという好待遇であった。
なので後日、面接という名の顔合わせの日程を連絡してくれるとのことだ。
唐突な話のはずなのにあまりにもトントン拍子で進む話に、現実味というものが全くわかなかった。
昼休みももうすぐ終わるため朋香から解放され、1年2組の教室へと戻る。
とりあえず本日の目的は達成された。
少し気分もよく自席で次に受ける授業の準備をしていると、リョーマが席の前にずいっと現れた。
席から見上げると、その顔はなんとなく不機嫌そうであった。
多分、これからされるのはあの話なのだろう。
「退部届出したって噂、本当?」
「……本当だよ」
「なんで?」
「私じゃみんなの足を引っ張っちゃうだけだってようやく気づいたから」
「ふーん、あっそ」
話の通り、退部届を昨日スミレの机の上に置いてきていた。
噂に興味のないリョーマの耳にすら入ってきた噂の速さに少し驚きながらも、本当のことを話す。
ダブルスは経験済みではあるものの、ミクスドとの環境の違いと自身の実力不足のハンデはどうあっても乗り越えられないと、跡部戦で痛感させられた。
これ以上、青学の真面目な人たちの足を引っ張りたくなかったのもあり、私は逃げる道を選んだのだ。
話を聞き終わるとリョーマは、もう用がないといったように背中を向けて自席へと戻っていく。
最近仲直りをしたと思っていたが、また今日からも露骨に避けられることを予想し、ため息が自然とついてでた。
「苗字さん全然泳げるじゃないの。どうして水泳の授業を受けなかったの?」
時は過ぎ、現在は放課後。
他に人のいないプールで女性の体育教師とマンツーマンで水泳の指導を受けていた。
これは水泳の授業を今まで受けずにいたための補習である。
実際、泳げることはできるのだが、体のラインがでてしまう水着姿や、周りの幼い女子の着替えを見るのが忍びなく見学を続けていたからだ。
教師からそのことを不思議そうに聞かれたことへ、目を伏しながら申し訳なさそうに答える。
今日の私は言い訳ばかりだ。
「あ、その……体を見られるのが恥ずかしくって……」
「……そう、デリケートなことを聞いちゃってごめんなさい」
「いえ……」
それから教師の追求などはなく、補習は淡々とすすめられて終わった。
今の時間は夕方にさしかかってきており、部活動終わりの下校ラッシュと被らないために急いでプール横にある女子更衣室で着替える。
タオルで髪を乾かしながら外にでると、施錠作業をしていた女性教師に着替えが終わったので帰ることを告げて、学校カバンをとりに校舎へと向かう。
空はまだ曇っているが、空気からは雨が降る前の独特の匂いを感じていた。
きっとこれから夕立が待っているのだろう。
雨が降る前にと早足で歩いていると、校舎の廊下の先に手塚の姿が見えた。
肩にはラケットバッグを背負っており、生徒会の仕事が終わったのでこれから部活へと向かうのだろう。
すると少しだけ、目が合う。
すぐに視線を逸らすと早足をさらに早くして、顔を伏せながら廊下を行く。
水泳バッグを抱える手に力がこもる。
そして、すれ違い際に別れの挨拶を吐いた。
「さようなら、手塚先輩」
「……」
すぐに返事はなく、それからの反応も待たずに弾けたようにその場を走り去った。
教室へ着いて心臓の早鐘が鎮まるのを待っている間に、空からは霧雨が降りはじめていた。
学校から出た頃は霧雨だったが、帰路の半分になると本降りに変わっていた。
昔の教訓で折りたたみ傘をカバンに忍ばせていたので濡れることはまずなかったが、このままならリョーマあたりはずぶ濡れで帰ってくるだろう。
とりあえず玄関口にタオルでも置いておこうかと思案していると、民家の軒下に大きな荷物を背負った誰かが空を見上げて立っていた。
その横顔は、リョーマがそのまま成長したようなものだった。
彼の正体には身に覚えがあったので、つい声をかける。
「近くならお送りしましょうか?」
「え、いいのか!?俺ここらへんの場所よく分かんないからさ、ココへ案内してくれると助かるんだけど」
パァっと晴れたような顔がこちらに向けられる。
彼はそのままポケットからだしたスマホを指でスイスイッと操作し、マークのついた地図を見せてくる。
この地図にあるマークの場所なら見覚えしかなかった。これは越前家だ。
居候やらなんやら言わないといけない気もしたが、話がこんがらがるだろうと思って口をつぐむ。
とりあえずは目的地のことは知らずに案内するていで彼を傘の中へと誘う。
彼は傘を代わりに持つついでに、地図を表示させたスマホを手に持たせてきた。
越前家に着くまでの道中は楽しかった。
彼が軽い調子でどこからきたのか、どこそこでどんな人と会ったのかなどのコミカルに着色されたであろう話を聞いていた。
そして、越前家の門前に着く。
スマホの位置情報のアイコンと見比べながら彼の顔を見上げる。
「ここ……ですよね?」
「おう、ココだココ!……ってオイ?!」
「倫子さんいますかー?」
「いるわよー。あら?名前ちゃんと……っ!!」
突然、敷地内に入っていく私に驚く彼の声を背に、玄関ドアを開けて中にいるであろう彼女の名前を呼ぶ。
倫子さんはそれに反応してキッチンから顔をだし、こちらの姿を認知すると後ろの彼へと目を移す。
しばらく目をぱちくりさせていたが、彼を彼だと認識したのか裸足にもかかわらず駆け足で外にでて抱きつきにいった。
抱きしめられた彼は嬉し恥ずかしといった様子を見せ、倫子さんを抱きしめ返す。
親子の時間に若干の居心地の悪さを覚えつつ、気配を消して二人を見守る。
二人はしばらくいくつかの言葉を交わしたかと思えば体を離し、家の軒下へと歩いてくる。
「俺は越前リョーガだ。よろしくな!」
そう言った彼の笑顔はとてもまぶしかった。
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