act.27
秀でないなりの
「苗字さん、俺にもう一度チャンスをくれ!」
ショーケースをはさんで下げられるきれいな楕円形の頭。
ここはとある商店街の中にある、とある洋菓子店。
それだけなら店側の謝罪だととれるが、頭を下げているのは店側ではなく訪れた客側の方だ。
しかも、この場面は一度目ではない。
ここ数日、何度も確認されている出来事である。
「あのー、大石先輩、何度も言いますがここでそういうのは困ります」
「……すまない。けど、俺にはこれしかできないんだ。頼む、苗字さん、テニス部に戻ってきてくれ」
「……そう言われましても退部届は出しましたから」
目の前で頭を下げ続けているのは大石秀一郎。
何度目ともしれない彼の平身低頭の様を見ていると、もう罪悪感よりも呆れの感情しかわいてこなくなっていた。
大石はわざわざ私が店頭に立つ時にやってきて、わざわざ人目もある店の中で、わざわざ私の目の前で頭を下げてくるのだ。
私は毎回それを迷惑だと追い返しているのだが、大石は懲りずにまた翌日もやってくる。
毎日こうでは働かせてもらっているお店の邪魔になってしまっているはずだ。
せっかく小坂田朋香に媚を売り、賄賂を渡し、お膳立てをしてもらったバイト先だ。これで辞めさせられたら困る。
そろそろ大石がここに二度とこないよう本気の正論で張り倒してしまおうかと思っていると、店長である人当たりの良いオバちゃんが店の奥からぬっと現れて肩に手を置いてくる。
「苗字ちゃん、このお兄ちゃん苗字ちゃんがいない日も通ってくれてたんだ。今日だけでも話を聞いてあげてくれないかい?」
「はあ……」
真後ろからの大石への援護射撃に、つい生返事がでる。
テスト期間前から働きはじめていたのでそれも含めるとそこそこ通っているらしい。
少なくとも店長からの同情を寄せるくらいには。
流石に雇い主からのお願いを無碍にすることもできないので「話を聞くだけなら……」と渋々返すと二人分の「ありがとう」が重なった。
次いで店長から「今日はもう帰っていいからね」と暇をだされたので、帰りの支度のために店の奥へと向かう。
その間うしろから「がんばってね」と大石を励ましているであろう店長の声が聞こえてきた。
支度を終えてお店の裏口から出ると、ケーキ箱を手にした大石が待っていた。
大石は自覚しているのかしていないのか、迷惑料のようにいつも帰る際になにかを買って帰っていた。
これもあり、店長は大石の肩を持つようになったのだろう。
場所を変えようと導かれるがままに歩いていくと、大型のコンテナが不自然に置かれた公園へとたどり着く。
きっとここはゴールデンペアが反省会をする時にきている例の公園だろう。
大石はあの試合の反省会≠ここでしたいのだろう。
コンテナの上、ではなく設けられたベンチに並んで腰かける。
痛いほどの沈黙の合間に、熱を冷ますには足りないほどの風が何度か駆け抜けた。
横目で神妙な面持ちで黙りこむ大石の様子を伺っていると、迷路に迷いこんだように揺れ動く瞳と視線がかち合う。
大石はすぐに目線を逸らし、なにかを言おうとして空気を飲みこむ。
そして風に消え入りそうな弱さの声で喋りはじめた。
「矛盾しているとは思ってる。俺じゃ頼りないかもしれないけど、頼って欲しいんだ。……その、なにか困ってることがあれば相談にものるから」
その言葉に下唇を噛む。
頼ることなんてできるわけがない。
夢の中の住人に『この夢を終わらせてくれ』なんて。
大石だけではなく全員に言えたことだが、そんなこと誰にも言えるものではない。
好きな作品の夢とはいえ、延々と日々を過ごすだなんて正直狂ってしまいそうだった。
なんの気もなしに精神の逆鱗に触れてくるようなことを言われ、心の中から黒い悪戯心がずるりと顔を見せてくる。
目を合わせないよう目の前に広がる夕日に照らされた街並みを眺めながら、あえてぼかして問いかける。
「それじゃあ大石先輩……もし、夢か現実かわからないような夢から覚めず、ずっと長い間それが続いていたらどうしますか?」
「えっ?」
横を一瞥すると、唐突な質問にハトが豆鉄砲を食らったような顔の大石がいた。
しばらくして言葉の意味を飲みこんだのか、今度は考えこむように目を閉じ腕を組んで「うーん」とうなりはじめた。
これにどう答えてくるのか冷めた目で隣の彼の様子を眺める。
答えられるはずがない。
自分の中でも答えなんてないようなものだから。
そうタカをくくっていると、首を傾げながらもぽつりぽつりと言葉が紡がれていく。
「……とりあえず、俺ができることをしていく、かな……?」
「できることをしていく、ですか?」
その言葉にオウム返しをする。
堅実な大石に似合った、真面目で真っ直ぐな答え。
しかし己の中にはなかった回答がされたことで内心うろたえる。
こちらの内心も知らず大石は迷いながらだした答えの芯をつかんだのか、今度は自信に満ちた顔で「うん」と肯定する。
「そうしていれば、いつか振り返った時に後悔しないかもしれないしね」
「振り返った時、ですか……」
その言葉に目の前に広がっていた濃い霧が晴れていく気がした。
『振り返る』これも私にはなかった考えだ。
夢の中での行動なんて気にしたことはなかった。
好きに振るまって、好きなことをしていた。
だってなにをしても夢が現実に影響することなんてないから。
だがこうして改めて考えてみると、こんな夢の中でも後ろ髪を引かれることはたしかにあった。
現実でも中々できない、あとで後悔しない選択なんてできるのだろうか。
今度はこっちが迷路に迷いこんだような気持ちで考えこんでいると、大石が神妙な面持ちでこちらに体を向ける。
「……俺は、あの氷帝の試合で君のことをちゃんとフォローしてあげられなかったことを後悔している。だから……苗字さん、俺にもう一度だけチャンスをくれないか」
今度は真っ直ぐな瞳でこちらを見すえてくる。
しかしそれに続いたのは、その瞳の強さとは反対の、弱々しい声で絞りだされた「頼む」の一言。
いつもとは違った、すがりつくようなそれに『ダメだ』とすぐに振り払うことはできなかった。
彼は彼で今、後悔をしないように動いているのだろう。
だとしたら私がこの先の未来で振り返った時、後悔しない選択肢はどこにあるのだろうか。
ふと、これまでを振り返ってみる。
率先して部活での面倒を見てくれた大石。
空気を和ませようと立ち回ってくれた菊丸。
体力増強のためにジョギングを毎週付き合ってくれた手塚。
気兼ねなく声をかけてくれた不二。
知りたい時に知りたい情報を教えてくれた乾。
雨でずぶ濡れになった時に学校ジャージを貸してくれた海堂。
一人でいるところを気にして構いに来てくれた桃城。
試合で緊張しないように気を遣ってくれただろう河村。
青学テニス部の彼らと過ごした日々がよぎっていく。
現在、リョーマ以外の彼らとは学年が違うこともあり物理的にも接触がなく距離も離れていた。
今、彼らがどんな様子でなにを取り組んでいるのかなんてわからない。
ただ、自身への評価は悪くなっているであろうことはなんとなく想像がつき、勝手な身ながらもすこしだけ悲しくなった。
先日、水泳の補習のあとに出会った手塚とのことも思いだす。
あの時は結局、引き留められることはなかった。
そしてそれ以降、毎週ジョギングのためにとっていた手塚からの連絡がくることもなくなっていた。
それでもなお、独善的なのかただのお人好しなのか、まだこちらに手を伸ばしてくれている大石。
この手をとらなかったら、もう二度と彼らとは関わらないのだろう。
テニスともまた関わらなくなるだろう。
それでいいのだろうか。
いつか振り返った時に後悔しないだろうか。
少なくとも今のままならきっとリョーマは不機嫌なままのはずだ。
周りへの迷惑を盾にしてテニスから逃げている私のことを理解しないだろう。
リョーマは関係ないとしても、このままなにもかもから逃げ続けているときっと後悔するんだと思う。
どこか満たされないまま廃れていくだけのようなこのままではダメだったんだと。
いつか遠くもない未来でそう思ってしまうんじゃないか、と。
でもこんな手のひら返し、許されるだろうか。
だとしても、後悔をしたくないのなら向き合うしかない。
まずは今、私にずっと向き合ってくれている"この人"から。
長い間、地面を見つめたまま黙りこくっている自分を固唾を飲んで見守っているであろう大石。
今更どんな顔をして彼と顔を合わせればいいのか、どう応えればいいのか分からず、うつむいたまま懸念を口にだそうと試みる。
前を踏みだす緊張と氷帝戦での惨敗のフラッシュバックで、膝の上で握っている手が震える。
「…………大石先輩、こんな私でもテニスが上手になれますか?」
「!……約束する。俺が教えられることは全て教える。だから、一緒に上手くなろう!」
唐突に両手をすくいとられ、とっさに顔を上げる。
すると大石は心から嬉しそうに目を細めていた。
その反応につい、こちらが泣きだしてしまいそうになる。
これまで散々酷い態度をとられていたのに素直に喜ぶなんて、この人はどこまでお人好しなんだ。
────こんな私でも、みっともなくても、前を向いていいだろうか。
そんな自分勝手な希望を求め、すがるように両手を握る手を握りかえす。
大石は無意識で行動していたのか、重なった手を見るなりハッとした顔をしたあと、両手をすばやく離して恥ずかしそうに顔を赤くして目線を下に落とした。
その視線の先には置いていたケーキ箱。
「とっ、とりあえず特訓は明日からにして、ケーキでも食べないか?あのお店のショートケーキとっても美味しいんだよ」
「ふふっ、知ってます」
苦し紛れにケーキの話題へと逸らす大石。
これには流石に笑いをこらえることはできず、笑みが漏れてしまう。
あのお店のショートケーキは、バイト初日に味見と称して試食させてもらっていたため知っていた。
クリームやスポンジ生地がシンプルながらもくどすぎず、いちごも酸っぱいだけでなく甘さもちゃんとあるものを使っており、売れ筋商品なのも納得の品であった。
個人的に買わせてもらったこともあるほどに好きだった。
でももう、あのお店で試食をさせてもらうことはできないだろう。
これからのことを考えるとバイトをする時間なんてない。
今の私を変えるには、すべてを費やす覚悟で向き合わないといけないから。
店長や朋香にこのことをどうやって切りだそうかと思っていたら、店長が大石を励ましていたことを思いだし、自分でも思わず意地の悪い考えが浮かんでしまった。
「大石先輩、このあと一緒に店長に謝りに行きましょうね?」
「ハハ、こりゃ大変……」
やっとの一歩
(たとえ現実じゃなくても、この一歩を大事にしていきたい)
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