#05 森と湖と
side:主人公3
「う……」
自らのうめき声で意識が覚める。
所々身体の痛みを感じながら上半身を起こすと、粘りけのある液体がぐちゅっと鈍い音を鳴らして素肌を伝った。
そのあまりの不快感に眉を寄せていると、横から低い声が聞こえてきた。
「目が覚めたようだな」
声の方向に振り向くと、一人の男がこちらを見ていた。
男は髪を後ろでひとつに結んでおり、目元と眉間には深いシワが刻まれている。
髭をこさえているその風貌は中年男性と思えるが、そうではないことを自分は知っていた=B
声をかけた相手が唖然と自分を眺めている様子に男は少し考えるような素振りをした後、「ふむ」とアゴ髭を撫でて体勢を正す。
「私の名前はヴァン・グランツだ」
ぶ厚い手のひらが目の前に差し出される。
これを握り返してもいいものか考えるが、ボトリとなにかが落ちる音で我にかえった。
下を見ると、自分が寝転がっていた跡が緑色の染みとしてくっきりと地面に残っている。
それから自分の手のひらを見てみれば、パジャマの裾から染み出していた緑の粘液と砂にまみれていた。
パジャマの腹部で汚れを拭き取ろうとするも粘液に砂が混じって粘りが増し、余計に悪化してしまう。
手のひらと服の間に半透明な糸が粘り強くひかれ、ちぎれる。
この一連の様子を眺めていた男は自らこぼれた笑いを誤魔化すようにひとつ大きな咳をした。
「とりあえずそこの湖で洗い流すといい。少し大きいかもしれないが着替えもそこに用意した」
(さらりと話を進めてるけど笑いやがったなコイツ……)
「なにかあったら私を呼ぶといい」
ヴァンはそう言い終わるなり遠くの茂みへ歩いていき、こちらが見えないよう背中を向けて樹の根本に座り込んだ。
説明されたように近くには湖があり、そのほとりにはご丁寧に畳まれた服とタオルが置いてあった。
(自分で畳んだのか……あの顔で)
身体にまとわりつく緑の液体は粘りがあり、ねっとりとしている。
それに加え、液体を被って乾いたであろう前髪はワックスで固めたかのようなカチカチ具合。
コレを全て流すには全身くまなく、そして根気よく洗わなければならないことは容易に想像できた。
「気持ち悪……」
ぬるりとした感覚に嫌悪感を覚えながら上半身のパジャマを脱ぎ捨てる。
ベチョッと質量のある音を出して落ちたそれは、もともとの色から大分変色してしまっていた。
この勢いで全てを脱ぎ捨てたい気持ちはあったが、流石に吹きざらしの状態で全裸になることは抵抗がある。
野外で一人ストリップショーをする気もないので残りは湖の中で脱ぐことにした。
湖の水温は昼のためかほどほどに冷たく、熱がこもっていた身体には気持ちが良い。
砂利の足場で見られないようにつかりながら着衣を脱ぎ捨て、着替えにはないであろう下着と肌着をしっかりと揉んで洗う。
ぬめりはすぐにとれたが、うつってしまった緑色はどうやっても消える気配はなかった。
色はもう諦め、ガチガチに固まった髪の毛を洗い流すことにする。
シャンプーやブラシがないのでこれにもまた時間がかかった。
全てを満足に洗い流した頃には、真上にあった太陽が地平線へ隠れようと傾きはじめていた。
大きめの服に着替え終わりヴァンが座っていた場所へ行くと、待っている間に料理をしていたようで、たき火を囲んでシチューをいただくことになる。
シチューは具材が多少ゴロゴロしている以外は普通にご家庭のお味だった。
ゴロッとしている肉は多分牛肉。と思いたい。
『この顔なのに家事ができるのか』と不躾な考えをしながら食べていると、神妙な面持ちでヴァンが話しかけてくる。
「私の元で働かないか?」
「はっ?」
「見たところ訳ありのようだ。帰る場所もないのだろう?」
『いきなりなに言ってんだコイツ』と思ったが、確かに自分が帰る場所は“ここ”にはない。
それを理解してこの男は話を切り出したのだろう。
行くあてのない人間を囲って、ていの良い駒にするつもりなんだろうなと邪推する。
ホイホイとこの話に乗っかりたくない気持ちが勝り、押し黙っていると後押しをするかのように相手は続けて喋りだした。
「生活などのことは全てこちらが持とう。道中の安全も私が保証する」
「…………」
見も知らぬ人についていかないのは当たり前のことだが、自分はコイツがどういう人間なのかを知っている。
言っていることは全部本当で、駒として使おうとしている人物に対してそれを守るであろうことも分かっていた。
だが、言葉の裏に隠されているであろうリターンはどこまでのものか計り知れない。
最悪死≠ェ待っているかもしれない。
そんなことを考えられていることは知らないであろう本人は、じっとこちらの出方を伺ってなにも言わない。
考え込んでいる間にするりと風が吹くと、脱ぎ捨てたパジャマから独特な青臭い液体の臭いが届く。
アレと同じことがまたあるかもしれないと頭の中をかすめた。
丸腰のままで自分の身を守れる保証や自信がない。
だが、この人物といれば安全なのは明白だ。
もう“ここ”で安全に生きるためにはこの男の隣にいるしかない。
そう思い至り、提案にこたえる代わりとして名前を名乗ることにした。
「……主人公3だ」
「ああ、よろしく主人公3」
(……きっと手駒が増えたとか思ってんだろうなあ)
握手をする。
握った手のひらはゴツゴツとしており、皮膚自体が固かった。
話がやっとまとまったからか、シチューを既に食べ終わっていたヴァンは調理道具などのものを片付け始める。
その動作は手慣れたもので、みるみるうちに辺り一体は綺麗に整頓されていく。
考えることで手一杯だった自分は、まだ食べ残していたことに気づきシチューを急いでかき込むと、男が少し笑った気配がした。
「早速で悪いが、それを食べ終わったらこの森を抜ける。日も暮れはじめているのでな」
食べ終わった食器や洗い物を持ち、水場へ洗いに行くであろう時にそう言われる。
やはり森で日も暮れるとこの男でもお荷物がいれば辛いのだろう。
そう思いながら手持ち無沙汰から火元を土で消したりなどの後処理を一通りし終わると、洗い終わったのか戻ってきていたヴァンが小振りな剣を一本渡してきた。
「目的地までそれなりに歩くことになる。その間は護身用としてそれを使うといい」
手に取ると思ったより剣は軽かった。
だが抜いてみた刀身は斬るために鏡面のように研がれており、剣をのぞき込んでいる自分の顔が写った。
持ち手の感覚からして、それなりに使い込まれていることはなんとなく分かった。
使い込んでいるのにこの鏡面のような刀身の研ぎ具合からして、大事な剣だったりするのだろうか。
そう思いながらヴァンの方へ視線を向けると無防備な背中が見え、ふと思ったことを口にしてみる。
「コレで後ろから不意討ちされるとは思わないのか?」
「お前がそうしたいと思うならそうすればいい」
男は『まあタダでやられる訳にはいかないが』と語るような不敵な笑みを浮かべてそう言った。
家事ができる髭
(家事もできるのか……あの顔で)
210204
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