病室と迷い猫


 真っ白な部屋だけを一日中見るのは、退屈だった。病室というのはそんな場所だ。
 今日も今日とて、双子の兄や先輩がお見舞いに来てはとパトロールやら何やらでいそいそと病室を後にする中、楓の病室は静まり返っていた。寂しくないと言えば嘘になるけど、それが続けば「いつものことか。」と瞳を閉じることができた。だが、今日は違った。
 いつものように瞳を閉じようとした所で、楓は突如開かれるドアに肩を震わせる。兄が何か忘れ物でもしたのだろうか?だが、現れたのは知らない人物で、思わずナースコールを探し当てれば、ギュッと握る。
 その人物は楓が病室にいると思ってないのか、窓際に近寄るが、ふと視線だけが楓の瞳と合えば「…お?」と驚いたのか、気づいたのか、微妙な声を出す。
「なんだ、おまえ、何も言わねーから気付かなかった。」
 彼は「ふーん。」と伏せ目で楓のことを見るが、楓は無表情で首を傾げるだけでナースコールからは手を離したものの、何のアクションも起こさずにいた。正確には迷い猫にそんな気は起こす気も無かった。
 しばらくの静寂に、彼が口を開ける。
「おまえ、耳ついてるのか?それとも口がねぇのか?」
 見れば分かるようなことを聞いてくる彼の言葉が面白くて、くすり、と笑いたくなるが、今の自分にはもちろん笑うほどの気力も、声も持ち合わせていない。しかし、ベッドの横にある棚からメモとペンをとれば、文字を書いていく。それはもう慣れた行為であり、楓が声をなくしてからというものの必要不可欠な行為になっていた。
 『わたしは、楓。耳も口もあるよ。声が出ないの。』
 わたしの書いたメモを見せると、「おー…?」と彼はまたもや不思議な声を出し、興味なさげに当たりを見回されてしまい、無視をされたようで楓はちょっぴり悲しくなって肩を竦める。
 別に期待したわけではない。楓には友達と呼べる存在はいないし、きっとこれからもできないに等しいだろう。そう思っていた方が気は楽だと思い込んでいる。
「じゃあ、ここにいても問題ねーな。」
(え…?)
 楓の動きが思わず固まる。なんたって見知らぬ男が急に病室に来れば「ここに居る」発言をしたからだ。
 楓はすぐにメモに『どういうこと?!』と書いたけどそれはもう遅くて、彼の姿はいつの間にか消えていて、声だけが彼女のベットの下から聞こえた。
「めんどーなことになるから、看護師とか呼ぶんじゃねーぞ。」
 不思議に思った楓は、起こした上半身を曲げて、頭の床がくっつくようにしてベットの下を覗くと、底には寝息を立てた男が寝ていた。彼はいわゆる"どこでも寝れる人"だったのだろうか?
 楓は身体を元に戻すとどうしようかと、キョロキョロ病室の周りを見渡すが、「ただの迷い猫が一匹迷い込んだと思っえば静かだし、いっか。」という風に自分もまた眠りについた。
 
 眠りから覚めた後、「そう言えばあの人、どうなったんだろう。」と、ベットの下を見たが、そこには誰もいなく、其処には「世話になった。」という下手くそな字で書かれたメモだけが置かれていた。