ナイトデート

・両片思い
・察し下手な獄寺×ある意味口下手な守護者男主(雷属性)
 



「散歩に行こう」

 深夜の窓辺に現れた相手が笑った。放課後の買い食いに誘うような気軽さで。
 目をこする。夢でも幻覚でも無かった。とっさに蓄光時計へと目を向けて、ライムグリーンの数字が示す現在時刻に脱力する。

「お前……」
「なあに」

 にこ、と葵が首を傾けた。愛想の良い女子がやるようなあざとさ。例え、世界中の人間が首を横に振るような無茶振りを今己が口にしているのだとしても、絶対に断られるはずがないと確信しているような顔付きだ。

「お前……いや、何て」
「寝起きの獄寺ってこんな感じなんだね、おもしろ」
「果たすぞ……」
「意外と低血圧だったりする?」

 こいつは、自分の面と腕っぷしの良さに感謝した方がいい。獄寺はつくづくそう思った。
 美と力の両方を併せ持つ人間が発する無自覚の存在感、あるいは威圧感。こんなあどけない顔をしておいて、この男は常に他者を動かす側の人間なのだ。

「今、何時だと思ってんだ」
 とりあえず、常識的な部分をつついてやる。どんな人間であろうと通ずる普遍の観念。
「2時半くらいかな」
「午前3時だバカ」
「うわ、ごめん。ちょっと道間違えたんだよね、もう少し早く着く予定だったのに」
「どこに謝ってんだ馬鹿」

 常識外れどころではない。ネットの遥か彼方へ飛んでいったデッドボール並みのリターンがきた。
 どっと疲労感が募る。これだったら、「俺、人間じゃなく宇宙人だから常識とかよくわかんないんだよね」ぐらい言われた方がまだマシだ。意思疎通自体に諦めがつく。

「人様の家に上がり込むには失礼な時間帯だって知らねぇのかって聞きてぇんだよバカ」
「2階の窓から上がり込んでる時点で、訪問者というより侵入者じゃない?」

 じゃない?じゃねぇよ馬鹿。
 「誰の話してると思ってんだ」と噛み付きかけたところで、こちらに伸びてくる腕が目に入る。

「寝癖、すごいねぇ」

 ひょい。何の気なしに前髪をつまむ手。月明かりに照らされて、細かい傷痕の残る指先が白く光った。
 あらぬ方向に伸びている毛先を引っ張られる。好きにしろ、と黙って放置したのは、疲労感に苛まれていたからでも、面倒くささが勝ったからでもなかった。

「……次々になんかあっから、切ってる暇がなかったんだよ」
「ふうん。なんか、ぴょんぴょんしてて面白いね。揚げたタンポポみたい」

 例え方のセンスまで斜め上ときた。ついでに「散歩ついでに切ってあげよっか?」と爆弾発言をかまされ、思わず咳込む。

「歩きながら散髪するタイプの美容師がいてたまるか」
「俺、こう見えて免許所持者」
「嘘だろ。怖……」
「何そのリアクション」

 仕方なしに上着を手に取れば、葵がにこにこと笑いかけてくる。
 こちらが折れる様子を見、テンションが上がったのだろう。対面中の95%はわかりやすい男なのだ。残り5%はともかく。

「何のために取ったんだ」
「そりゃ、散歩しながら他人の髪を切れるように」
「どういう特殊状況だよ」

 何の面白みもない会話が途切れる頃、獄寺は自室の窓から外へ飛び降りた。気紛れな猫みたいな男の、深夜散歩へ付き合ってやるために。




「何の用だ?」

 まどろっこしいのは性に合わない。結論から訊いた。
 だがしかし、にっこりと微笑で返される。飛び出しかけた舌打ちを飲み込んだ。愛想よく笑えば、大抵の事はそのまま流せると思うなよ。
 まあ実際、今の己も(渋々)流されてやってはいるのだが。

「何か無いと、俺は獄寺をナイトデートにも誘えないってこと?」
「お前の深夜徘徊に長時間付き合う義理はねぇよ」
「深夜徘徊って、またまた〜。ちょっとどきどきしてるくせに」
「違う意味でどきどきはするだろ。冷や汗とか」

 公園回りは木深い。そのせいで、葵の表情は読みにくかった。
 顔だけでなく周囲一帯に影が落ちている。草陰から敵が飛び出してこようとも、すぐには反応できないだろう。状況としてはよろしくない。
 それでも、あからさまに周囲を警戒する気にはならなかった。わざわざ、この空気を真っ正面からぶち壊すこともない。
 例えそこに至るまでの流れが結婚式のフラッシュモブレベルで突発的だったとしても、静まり返った夜道に2人きりであるという事実に変わりはないのだから。

「獄寺は知らないと思うんだけど、」
「あ?」
 ぴっ。葵が人差し指を立てる。
「実は、俺には夢があって」
 実は人間には臓器があって、みたいな口ぶりだった。黙って先を促す。

「学生のうちに、青春っぽいことをやっておきたい」

「はぁ」
 気の抜けた声が出る。この男にしてはパンチの弱い発言だ。
 ぴん。空に柔い円を作っていた指先が、こちらを向く。
「そこで獄寺クン、学生が思う青春とは?」
「クン付けで呼ぶな、人を指さすな、曖昧な訊き方すんな」
「そう。ナイトデート、夜遊びってわけ」

 他人の話を常に120%聞かない男は、上機嫌で笑っている。珍しく隙が多い。すばやく額を弾いてやれば、「痛い!」と大げさに騒がれた。
 前髪ごと抑える手のひら、不服そうな涙目。自分以外が相手だったら、慌ててそこらのパフェ屋にでも駆け込んでご機嫌取りに奔走するのかもしれない。こちらへ罪悪感を抱かせるためなのが明白な仰仰しい仕草に、大して痛くもないくせに、と鼻で笑い飛ばしてやった。

「俺の額が潰れたらどう責任取ってくれるんですかぁ?」
「そんな柔な身体してねぇだろ」
「どこ見てんの?すけべ」
 葵がぱっと両腕で体を覆う。一瞬、詰まりそうになったのを舌打ちで乗り切った。
「デコの話してんだろうが」
「獄寺がカラダとかやらしい言い方するから」
「思春期かよ」
「思春期だよ。思春期で青春真っ盛り、夜遊び真っ只中の男子学生なんだから」

 葵は策士だ。だが根本的には不器用なのだと思う。これほど口が回るくせに、言葉ではなく生まれ持った見目で他人を動かそうとする。あるいは、そういうやり方で関わることしか教えてもらえなかったのかもしれない。
 会話とかコミュニケーションって知らねぇのか、とキレたのは、まだ出会って数カ月ほどのことだったか。

「てか、夜遊びで散歩かよ」
「雲雀のバイクでも盗んで走り回れば良かったかな」
「夜遊びどころか大乱闘じゃねえか」
 さらっと言ってのけるのが恐ろしい。トンファーとナイフとがぶつかり合ういつかの戦闘を思い返し、ため息をついた。
 この男は、武器の扱いもそれなりに上手い。器用なのだ。言葉の取り扱い以外は。

「振れ幅がありすぎるんだよな、お前の想像する夜遊び」
「じゃあ獄寺の思う夜遊びは?」
「さあ。少なくとも窃チャはしねぇよ」
「まあ雲雀も可哀想だもんね。愛用バイクぱくられちゃったら」
「ぱくられ……」
 これほど「パクられる」という言葉が似合わない男も他にいまい。
「他人のモノ盗るのは、青春ってか犯罪だろ」
「獄寺にちゃんとした倫理観があっただなんて……」
「少なくともてめぇよりはな」
「ていうか、他人のモノじゃなかったらいいってこと?」
「は?」

 常識外を遥か超えて、ついに宇宙語で喋り出された。
 足を止める。葵がなぜか立ち止まるからだ。ぎぎ、と振り返る動作がぎこちなかった時点で、体は先に察していたのだとは思う。
 空気が、場の雰囲気が、不意に切り替わったことを。

「じゃあ、獄寺はいいよね?」
「……は、」
「獄寺は誰のモノでもないから、いいよね?」

 同じ語尾なのに、二度言われても理解できなかった。
 宇宙外生命体からの問いかけ、結婚式で踊り出す数十名のフラッシュモブ、バイクをパクられて落ち込む雲雀恭弥。これは、そんなどころの衝撃じゃない。世界まるごと、地響きを立てて崩れ出したかのような大ショックだ。

「……お前、何言って」
「この前、ツナに見せてもらった雑誌に載ってたんだ。『秋は夜の散歩もロマンチックでおすすめ』って」

 何?
 本気で耳を疑った。話題が弾け飛ぶ勢いで一転している。ついていけない。
 葵は真顔だった。とりあえず、事実を淡々と口にしていますみたいな態度。放心しているこちらを見てどう思ったか、その目が細くなった。

「あ〜違う、………俺が喋るの苦手だって、獄寺は知ってるだろ」
「え?あぁ、おう。……あ?」

 また違う切り口。なんだ、話題を180°転換させたら勝ちみたいなゲームでもやってるのか?
 何も浮かばず口をぱくぱくさせているうちに、葵が小さく笑った。

「獄寺まで喋れなくなったら、この場の誰も喋れないんだけど」
「誰のせいだと思ってやがる」
「俺かなぁ」
「お前だよ!」

 未だ、世界は大崩壊の真っ只中だ。問題は、それが不快なのではなく妙な高揚感を伴っているということ。
 頭上も足下もグラグラと揺れているような気さえする。現実逃避していたのかもしれない。実際、足元は微かに揺れていたのだから。
 微弱な振動。誰かの歩みによって生じる地の揺れ。まず間違いなく、第三者だ。根が生えたように固まった己の両脚も、こちらを真っ向から見据えている葵もぴくりともしていないのだから。
 そこまで認識していた。認識していて動けなかったのは、薄く笑った葵の内心が全く読めなかったからだった。
 表情の95%がわかりやすい男の、残り5%。あどけなさを消し去った顔は、いつも容易く他者の目を奪う。違う、これは奪うなんてものじゃない。視覚まるごと支配して屈服させるような。

「俺、ナイトデートだって言ったじゃん。今日」

 拗ねたように呟いた葵の背後で、刃を振り上げる大男の姿を見た。





「前髪整えられて良かったねぇ」
「もはやイメチェンだけどな」

 獄寺の顔を見た瞬間、葵はそれはそれは皮肉っぽく笑った。端的に言って、腹が立つ。
 白煙立ちのぼる公園横の小道。パラ、と降ってきた小枝が、葵の頭上で突如、明後日の方向へ飛んだ。傘が雨粒を弾く様によく似ていたが、真っ暗な夜道で見るとなかなかどうしてぞっとしない。

「5人か。大したことなかったな」
「この人数じゃ、獄寺の散髪ぐらいしかできないよね」
「別にオレも散髪して欲しかったわけじゃねぇよ」

 またも、舞い落ちた枯れ葉が不自然に弾かれる。雷のシールドだろう。炎自体はうっすらとしか視認できないほど薄いが、獄寺はよく知っている。この炎が鉛玉のごとく圧縮されたその時、どれほどの貫通力を持つかを。

「ずいぶん短くなっちゃって」
「そりゃまあ、あんな大鎌振り下ろされればな」

 無様に切られた前髪を引っ張る。そうは言っても、またすぐに長くなるだろう。
 どこぞのマフィアかは知らないが、葵の言う通り束になってもこの程度ならば底が知れるというものだ。足元、すっかり伸びている男の脇腹を脚でつつく。
 すぐに所持品を探り、できれば所属組織を明かす証拠を見つけて、時間があれば10代目に報告を――

「なんでかばった?」

 唐突な問いかけだった。
 前髪を引っ張っていた手が、自然と止まる。目を向けた先で、葵はもう笑っていなかった。

「……なんで、って」
「俺は避けられた」
「そりゃそうだろうな」

 残り5%の表情。内心を匂わせない顔立ちの時、葵は口調がざっくばらんになる。
 それがなぜなのか、獄寺は知らない。

「獄寺にかばって欲しくなんてなかったのに」
「てめ、人の良心を」
「その全人類へ向ける良心のせいで、こんなワイルド系ホストみたいな髪型に」

 少なくとも、今日までは知らなかった。

「……怒ってるのか?」
「うん」

 間合いを詰められたのは一瞬だった。まばたき一つ分の間に葵が目の前にいて、横髪を撫でられている。
 デジャブ。今日はこういう場面が多いな、と視線をさまよわせた。うっかりすれば鼻先が触れそうな距離間。前々から思っていたが、この男は自分を犬猫か何かだと勘違いしていないだろうか。

「えー、あ〜……なんでだよ」
「俺が切ってあげたかったのに」
 ずいぶん執心されていたらしい。己の前髪に。
「……また伸びた時に切ればいいだろ」
「切らせてくれんの?」
「うん」
 葵が唇を舐めた。なんでもないその仕草が、距離間のせいでやけに艶めかしく映る。とっさに目を逸らした。
「俺以外には切らせない?」
「はぁ?」
「獄寺の前髪を切る権利は、俺のモノってこと?」

 目線を泳がせた先。きゅっと握り込まれる拳を見て、心臓が妙な音を立てた。

「……葵?」
「だって、他人のモノじゃないんだろ。まだ」

 これほど至近距離にいるのに、雷の炎で皮膚がざわつく感じがしない。わざわざ消したのか。調整が面倒だからと、出力のオンオフなんて滅多に行わない奴が。
 こちらを見上げる葵の顔は、未だ何を考えているか読みづらい。けれど、そっけないとも思えるそれはもしかして緊張の裏返しなのではないかと、獄寺はその時初めて思い至った。

「……もしかして」
「なに」
「お前って、オレのこと」

 葵が半眼になった。はぁ、とため息をついて、投げやりに口を開かれる。
 影はもう無い。さっきの戦闘で、空を覆う枝葉が減ったからだ。月明かりに照らされた今、その耳元が赤く染まっているのも、少し拗ねたような照れ笑いで緩む口元も、まるで映画みたいにはっきりと目に映る。
 
「……だから、言ったじゃん。ナイトデートだって」

 
 

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