11,初めてのお使いの始まり・上


 今日いまこの瞬間ほど、殺したいと思った事は無い。
 ニヒルに笑い、ボルサリーノを斜めにかぶるこの赤ん坊を。

「男前になったな、骸」
「うるさいですよ」

 ニタニタ。最高に愉快そうな顔で笑うリボーン。
 ぴしゃり。はたき落とさんとばかりの勢いで言い捨てる骸。
 その隣に並ぶ昴は最悪だ。何がって、気分が。カーレースに挑戦中の満員電車に乗っていたって、これほど不快にはならないだろう。

「び、」

 言いかけ、沢田綱吉が口に手を当てる。
 賢明だ。この応接室の雰囲気を、これ以上悪くさせる必要はない。

「見事な平手打ちの痕だな。くっきり付いてるぞ」

 だがしかし、予定調和を許さない獄寺隼人が引き継いだ。最悪だ。
 思いっきり睨みを効かせたが、銀髪の不良はどこ吹く風だ。突っ立っている沢田の斜め後ろに、忠実な下僕みたく控えている。
 その口元に煙草はない。応接室という場所に配慮しているのだろうか。だったら自分の発言にも配慮してくれ、と昴は思う。

「……なんで爆弾投げ込むかなあ」
「おいテメ、何か言ったろ」
 獄寺の目が三角になった。
「なーんにも」

 そっぽを向く。そりゃ、お前は根っからのボマーだけどさ。

「僕だって付けたくて付けたわけじゃありません、こんな痕」
「付けたかったら問題でしょ」

 不愉快極まりないという骸の返しに、今度は雲雀恭弥が突撃した。思わず、頬が引き攣る。どいつもこいつも、交通事故ばりに突っ込んできやがって。命知らずか?
 1人、悠然とデスクチェアに座る雲雀はいい気なものだ。じっとり睨めば、ばちっと目が合う。げっ。
 死神と目線を合わせてしまった気分で身構えていれば、ぼそり、横から呪詛のごとく低い声が飛んできた。

「……どこかの誰かが、手加減無しに一発叩いたせいで」
「う、うるせーよバカ!」

 そもそも元凶はお前だろ!
 地獄から這い上がってきたような目で、骸が自分を見つめてくる。その左頬に、バッチリ赤い手痕が付いていた。今時、マンガでだって見ないようなもみじ型だ。多分、褒められていい。平手打ち検定会とかに。
 
「キスですよ。たががキスひとつで、平手打ち。女子ですか」
「やかましいわ!」
「聞くにたえねぇ痴話喧嘩はそこまでだ」

 ばっさり。デスクの上に立つ赤ん坊に遮られる。
 痴話喧嘩。痴話ゲンカ?!と目をむいて抗議したいところだ。あいにく、ここは並中の応接室であって、前には沢田綱吉と獄寺隼人がいて、デスクにアルコバレーノと雲雀恭弥がいるので、そんなひとり漫才はできないのだが。

「お前らを集めたのは痴話喧嘩を観賞するためじゃねぇ」
「アルコバレーノ、お前もうるせーよ!」

 鉛玉が飛んできた。何て事だ。

「昴、黙りなさい」骸が口を挟む。
「こめかみ引き攣らせてる奴に言われてもな……」

 ぼやいた瞬間、脇腹をひねり上げられた。嘘だろ。
 そもそも、と昴は唇を曲げる。悪いのは骸だ。登校途中で、急にキスしてきたのだから。朝の道路で。普通に。犬も千種もいる目の前で。
 霧の炎じゃなくて平手だった事に感謝して欲しい。昴はむしろ被害者だ。

「任務だ」

 リボーンが言い放つ。たった4文字が世界滅亡の知らせみたく不穏に聞こえた。片手に銃を持っているからかもしれない。銃口から煙上がってるし。

「だろうな。いくらお前でも、俺と骸を巻き込んでまでおつかいなんて頼まないだろ」
「いや、おつかいだ」

 その場でひっくり返りそうになった。

「アルコバレーノ、今のは皮肉だ」
「オレのは本気だ」

 真顔で赤ん坊と見つめ合う日が来るとは思わなかった。横に立つ骸が、小さく息を吐く。

「昴、ペースに乗せられてますよ。気付いてますか?」
「もちろん。今、最高に気の利いた返しを考えてるところ」
「で、アルコバレーノ。何のお使いですか?碌でもない事なら帰りますよ」

 あっ、今無視したなこいつ。

「おい、骸!」獄寺が鋭く叫ぶ。
「安心しろ。お前らにも利はある」

 リボーンが笑った。部屋のとげとげしい雰囲気ごと鎮めるような笑み。
 顔をしかめる。碌でもない予感しかしない。おつかいと言ったって、まさか野菜や果物じゃないだろう。誰々の頭とか首とか言い出しそうだ。

「リボーン、もったいぶってないで教えてくれよ。どんな任務なんだ?」

 沢田が首を回して訊ねている。意外にも落ち着いた声だった。
 心底、驚く。出会ったばかりの頃は、怯えたネズミみたいな印象しかなかったのだが。アルコバレーノ相手に、全く物怖じしない態度。まるで、自分が場を切り盛りするリーダーのような。
 なるほどね。小さく、昴は呟く。誰しも、変わっていくってことか。

「もったいぶってねぇよダメツナ」
「いってぇ!!」

 炸裂する蹴り。頬にヒットし、崩れ落ちる沢田。

「なんで蹴るんだよ!!」
「これで骸とお揃いだぞ。良かったな、ツナ」
「全然良くないけど?!」

 白目をむいた沢田が、赤い頬を押さえて叫ぶ。
 やっぱあんま変わってないな。考えを改めたところで、隣から袖を引っ張られる。

「え、何、骸」

 不覚にもどきっとした。横を見れば、無感情な紫の目と視線が合う。

「昴、今すぐ僕の右頬を叩きなさい」
「エッなんで?!」

 心の底からドキッとした。これは心臓が跳ねるタイプじゃない。心臓が反転する方だ。

「あんな不愉快な男とお揃いなんて最悪です、ほら今すぐに」
「えっちょっと待てこれガチな奴?いや、そりゃ沢田と一緒は不名誉だけど」
「そこ2人、回りくどくオレを煽ってくるのやめてくんない?!」

 沢田の叫びが鼓膜を打つ。それが合図だったように、骸がこっちの袖を離した。
 やれやれ。向き直りつつ、まだうるさい心臓をなだめる。というか、ちょっと驚きだ。ボンゴレの前で、骸が(わかりにくいとはいえ)ふざけるなんて。

「10代目、いつでもご命令ください。2人まとめて果たしてやります!」
「えっいや獄寺君、そういうことじゃなくてね?!」
「ねぇ」

 ピシッ。確実に、空気が凍る音がした。

「いい加減、飽きてきた」

 ゆらり。椅子から立ち上がる、黒髪の悪魔。
 うわ、と顔をそむける。骸も全く同じタイミングで横を向いていた。以心伝心かよ。

「えっ、待っ、待ってヒバリさ――」
「応接室に居座ることは許可したけど、騒ぎ立てることまで許した覚えはないよ」
「らしいぞ、ツナ」
「らしいよ、沢田」
「え、待ってリボーンなにオレに丸投げしてんの?!しかも何気に昴君まで?!」

 あ、名前呼んでくれるんだ。こっちは名字呼びなのに。
 そう思った瞬間、爆発したみたく紫の炎が視界を覆った。



 白煙と砂のような破片。砂丘より静かに舞い落ちるそれらを眺めた。

「……昴、この惨状を目にして一言」

 ぼそり。すぐ横、骸が呟く。頬の切り傷を指でぬぐっていた。一戦終えた気だるげな顔に、やたら映えるポージングだ。様になる。腹が立つほど。

「壁は割れなかったしセーフじゃない?」
「余裕でアウトだよ」

 ぽん。肩に手が乗り、冗談抜きで戦慄した。今、気配を感じなかったんだが。

「雲雀、お前マジで人外なの?」
「ご機嫌取りのつもりかい?」

 真顔で振り返る。背後を取った悪魔も真顔だった。その唇が、呪文を詠唱するより滑らかに動く。

「機嫌取りなら残念だったね。ここの復旧費用の請求書は君付けで回すよ」
「嘘だろ?」

 黒い瞳を二度見した。物凄い理不尽を顔面から食らった気がする。

「おめーら、強くなったな」

 ちょこん。デスクで笑うリボーンを睨む。
 ニヒルな笑いが最高に不気味だ。逆パターンで言えば、ピエロが真顔で突っ立っているみたいなものだろう。最悪だ。

「リボーン、なんで止めないんだよ!」
「うわっビックリした」

 すぐ真横、咳込みながら沢田が現れる。ぎょっとした。身を引けば、今度はその後ろから獄寺がぬっと立ち上がる。お前らモグラ叩きかよ。

「10代目!お怪我はありませんか?」
「オレは無いけど、獄寺君は……って、血出てる!血!」

 「騒がしいな」と、さらり、雲雀が横でトンファーを握り直す。昴は見なかった事にした。
 なるほど、確かに獄寺は額から出血している。それくらいはまあ当然だろう。昴も腕が痛いし。それにしても、沢田が無傷か。腹立つな。

「これくらい平気っすよ!」にっ、と獄寺が笑う。
「それに、 額なら骸のヤローと揃いにならずにすむんで!」
「えっ、そういう問題?!」

 積極的にポジティブだ。 
 隣、骸がため息をついた。己が吐き出した二酸化炭素で、沢田を窒息させたいのだろうか。だったら自分も加担するが。

「……で、アルコバレーノ。おつかい、とは?」
「USBだ」

 ニタリ。煙と砂埃が鎮まる真ん中で、赤ん坊が不気味に笑った。

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