6,好物は最後に食べますか、それとも


「先日の続きをしませんか?雲雀恭弥」

 ドアを開け、応接室に入ってきた雲雀が何とも言えない顔をした。
 口に生魚を突っ込まれたみたいな。簡潔に言って、ドン引きだ。

「……何してるの、六道」

 パタン。嘆息しつつ、雲雀はきちんと扉を閉める。
 こういうあたり、この男も律儀というか胆が据わっているというか。

「窓際からこんにちは、です」

 窓枠って意外と座り心地良いんですね。しれっと言えば、相手は犬の舌の感触でも教えられたような顔になった。今後一生、絶対役に立たない知識だよねとでも言いたげな目。
 骸もそう思う。

「……初めて目にする挨拶の型だ」

 閉じた扉の前で、雲雀が呟く。極めて冷静に、平静に言葉を選んでいるように見えた。
 おや、と思う。雲雀恭弥という暴君にしては珍しい。珍しいが、窓に座って笑う男への対応としては、間違っていない。そういう狂人には、落ち着いた対応が必要だ。

「窓の鍵、ちゃんと確認した方がいいですよ。侵入されたらどうするんですか」
「そもそも応接室に侵入しようとする馬鹿な奴はいないし、」

 音もなく、雲雀はこちらへ歩み寄る。窓枠に腰掛ける男なんぞ見えていません、とばかりの足取りだ。
 さすがはボンゴレ雲の守護者。リアクションが予想の遥か上を行く。浮雲並みに。

「いたとしても、窓から入ろうなんていう気狂いはいない」
「今、君の目の前にいるじゃないですか」

 ぴたり。デスクを回ろうとしていた雲雀が、足を止めた。同時に、ひた、と見つめられる。井戸の底のように冷えた色だった。

「……自虐ネタなんて大胆だね。イメージチェンジでも狙ってるの?」
「意外とユーモアセンスありますよね、君」

 素直に感心する。ここまで自制心とウィットに富んでいるとは。
 雲雀恭弥という人間について、もう少し見直した方がいいかもしれない。

「行き過ぎてキャラ崩壊甚だしいから、やめた方がいいと思うよ」

 不本意だ。この男に、養護教諭みたくさとされるなど。
 やれやれ、肩をすくめたところで、雲雀が右腕を引いた。窓ガラスから2歩の地点。
 2人の間合いは、腕ひとつ分。

「で、」

 ガツッ。鈍い音がした。
 反射で出した三叉槍に、銀色の武器が食い込んでくる。

「何、キレてんの」

 黒い目が、ゆっくり細くなる。雲雀は笑っていた。
 無表情で一瞥。窓枠から飛び降りて、不本意だ、と冷めた頭で思った。
 この男に見透かされるなど。

「……待たされるのは嫌いなんですよ、」

 僕は。
 呟きは、鼓膜を揺さぶる金属音でかき消された。



「鈍いな」

 淀みなく唇が動く。睦言でも紡ぐような甘やかさに、ゾッとした。

「!」
「どうしたの」

 滑らかな口調と同時に、的確な蹴りが腿に入る。
 受け流せずに視界が飛んだ。右へ。ほぼ同時、ガラス瓶の群れが突っ込んできたような衝撃が来る。
 まあ、突っ込んだのは自分だが。

「今日、動きが遅いね」

 壁から起き上がりつつ咳込めば、かつかつと近付く足音が聞こえた。
 非常に楽しそうな声音に、けっこうなことでと内心毒づく。一瞬、雲雀の声から甘さを感じて総毛立ったが、どうやらただの興奮だったらしい。見下ろす目が好戦的にぎらついている。
 古来より、戦闘が激しさを増せば増すほどオスはフェロモンを放出する生き物だと言う。濁った声で咳き込みながら、なるほど、と思った。

「徹底的に咬み殺してあげる」

 唇を片側だけつり上げて見下ろす雲雀は、壮絶な凄みがあった。他者を圧倒する暴力性とほとばしる征服欲の片鱗。それらが入り混じって色気すら感じる。

「やれるものなら」

 立ち上がりつつ、三叉槍をかまえた。対する雲雀がくっと笑う。
 中学に籍を置く少年の顔じゃない。

「キレが無いね。キレてるわりに」

 うっかり得物を落とすかと思った。

「……は?」

 声が上擦る。意味がわからなくてガン見した。
 なんだ、今の。一気に中学生っぽい発言になったが。

「今日の君だよ。さっきも言ったけど、動きが鈍い」
「待ってください、今のダジャレもどきみたいなのはスルーですか?」
「何が気掛かり?」

 素であがった困惑の問いは無視される。
 トンファーをかまえ、目を細めた少年は笑っていた。人の心を見透かすサトリみたく。

「よそ事考えながら僕に挑むとか、馬鹿の極みだね」

 口を開き、言葉が見つからずに、結局閉じた。
 図星だ。頭が認めている。雲雀の発言は、真実であり事実だと。この男、洞察力にも富んでいるらしい。

「……うるさいですよ」

 結局、それこそふてくされた中学生みたいな言い回しで返した。目をそらす。
 互いに武器をかまえたこの状況において、視線を外すのは致命的だ。わかっている。わかっていたが、向かい合う男を視界に収めておきたくなかった。

「君こそ、わけのわからないジョークを言うなど」
「駄洒落だよ。日本の古き良き文化だ」

 心底、どうでもいい。

「どっちでもいいです。イメチェンですか?それとも馬鹿になったのか」
「話をそらすのが好きだね、君も」

 唇を噛んだ。「も」ってなんだ。昴のことか。
 さすが、他人に一服盛る男は嫌味も違う。骸と同時に昴もまとめて煽っていくスタンスだ。ガソリンと炎を同時にまき散らしていくような血の気の多さ。別に嫌いじゃない。
 今、骸の心が暴風雨の最中みたいになっていなければ。

「会話を楽しもうという心は無いんです?」
「君と会話しても楽しくないし」

 バッサリ。オブラートもへったくれもない。
 自分に正直でけっこうだ。そのうち社会の荒波に呑まれて精神病んでくれやしないだろうか、と骸なんかは心から思う。
 雲雀恭弥が精神崩壊。字面だけでも、1週間はご飯が美味しく食べられる。
 まあ、昴が性転換するレベルでありえないだろうが。

「武器でしかコミュニケーションが取れないとか、野生動物と同じですよ」

 苦々しく吐き捨てる。一方、雲雀は肩をすくめた。

「本題をハッキリさせたら?」

 雲雀恭弥は、洞察力にも富んでいる。
 最悪だ。暴れ馬のような性質に、ユーモアと慧眼、そして刃みたく手加減のない言葉遣い。どうせなら手綱が付いていれば良かったものを。
 人を踏みにじるために生まれてきたような素質。その数々を兼ね備えた少年が、色鮮やかに笑う。


「昴のことでしょ?」


 息を吐く。
 骸は、心臓を踏みにじられたような気分で武器を振り上げた。



「君達ってよく似てる」

 トンファーを弾く。窓ガラスを叩き割ったような衝撃だった。
 どう考えてもおかしい。あんな細い棒きれ2本に、両腕が痺れるほどの力があるなど。
 だが、ありとあらゆる意味で「どう考えてもおかしい」のが、雲雀恭弥だ。

「……僕と昴の付き合いは長いので、確かに似ているかもしれません」

 答えるか否か。迷ったが、結局、慎重に言葉を選んだ。
 肩を狙うトンファーをいなしながら行うには、なかなか骨が折れた。それも、ガッツリ死角から狙ってくるし。
 悪意しか感じない。片腕くらい壊してやろう、という心意気が透けて見える。

「だから面倒くさいのか。どっちも」
「聞き捨てならないことを。確かに、シチューのブロッコリーは2人とも避けますが」

 勢いを付け、三叉槍を振り下ろした。軽々避けられ、舌打ちをする。
 この前も思ったが、そもそも、応接室でやり合おうというのが間違いなのだ。闘うには狭すぎる。

「ブロッコリー、嫌いなの?」

 雲雀の唇が緩んだ。アドレナリンがもたらす獰猛な笑みではない。
 噛み締めるような笑い方だ。珍しい。天変地異の前触れか。

「好き嫌いできるほど、贅沢な食生活はしていませんよ」
「じゃあ食べなよ」

 顔をしかめる。トンファーが頬を掠めて、反射的に後ろへ下がった。
 0か1みたいな返し方。前々から思っていたが、この少年は潔すぎる。軽く引くくらいに。

「なんか、こう、微妙な領域ってあるでしょう。別に口にしてもいいけれど、押し付けられる他人がいるならそちらへ、みたいな」
「子供っぽいね」
「ハンバーグが好物の男が何を」

 真顔で言わないで欲しい。それも、こっちの脳天にトンファーを振り下ろしながら。

「だから微妙な領域なの?」
「は?」
「昴のことも」

 キン。
 トンファーに弾かれた三叉槍が、手の内で跳ねた。取り落としこそしなかったものの、つられて体のバランスも揺れる。
 まずい。培った本能が、針を刺すように鋭い警鐘を鳴らす。

「じゃあ、あげればいいのに」

 疾風じみた速度でトンファーが迫る。隙のできた脇腹へ。避けられない。
 雲雀は冷めた目をしていた。この世で1番つまらない真理を告げるように。
 一閃。野生動物の爪にも似た鋭さで、鈍器が迫る。それを、固まったまま目で追っていた。


「他の誰かへ。シチューの野菜みたいに、昴も」


 投げられた発言が、脳髄をカッと茹らせるまでは。





「……なんだ。やれるじゃないか」

 白煙が薄れていく。ヒビの入った壁に手をついて、雲雀が言った。
 咳込みつつ、骸は心から呆れた。理解できない。この状況において、雲雀が満足そうなことに。

「……君、なんで、五体満足なんですか」
「応接室の壁はひび割れてるけど?」

 パラ。壁の破片が、砂のように崩れる。その横で、相手は小首をかしげた。
 何を言っているんだろう。骸は真顔になった。応接室と肉体がリンクしているとでもいうのか。何それ怖い。

「……片手ぐらいはもらうつもりで、炎を発したんですが」
「だから?」

 真顔で威圧。口元をぬぐう雲雀の目を見、骸は諦めることに決めた。
 重力の向きや空気の流れと一緒だ。この世には、人が指摘してはならぬ定めがある。
 まあ、とっさに雲の炎で対抗したとか、そんなところだろう。動揺を隠すため、ガックリ肩を落としぼやいた。

「残念ですね。片手どころか指1本、削れなかったとは」
「応接室の壁は削れてるけど?」
「そのくだり、まだ要ります?」

 雲雀の体が応接室と一心同体であろうが、さっきの衝撃音がこの校舎にどれだけ響き渡っていようが、自分にとっては無関係だ。全く持ってどうでもいい。

「君こそ、ここまでのくだり要る?」
「は?」

 ふわぁ。突然、雲雀があくびをした。あぜんとする。
 凶悪な肉食獣じみた少年の、緩みきった仕草を目撃してしまった。世の女子は、こういう姿をギャップ萌えとか言うのだろうか。
 骸には理解しがたい世界だ。できれば精神崩壊して欲しいような人間が相手だし。

「飽きた。キレてるわりに勿体ぶれるとか、君って意外と無茶苦茶だね」
「今、聞き捨てならない言葉が聞こえたんですが」

 すごいことを言われた気がする。これ以上なく無茶苦茶な男から。

「八つ当たりで乗り込んできたのかと思ったんだけど、違うんでしょ?」
「や、」

 八つ当たりって。絶句する。
 そんなふうに思われていたのもショックだったが、そこまで雲雀が考えていた、という事実にも衝撃だった。戦闘に理由を見出そうとするなんて、この戦闘狂から1番遠い行為だと思っていたのに。

「……というか、八つ当たりでケンカ売られるのは、君的にアリなんですか?」
「咬み殺しがいのある相手が向こうから乗り込んできてくれるっていうのに、理由なんて関係ない」
「……すみません、誰か通訳」

 こんなこと、前にも言ったような気がする。周囲に助けを求めたが、ひび割れた壁とぶっ飛んだソファしかない。悲しい。

「つまり、」

 しゅっ。トンファーをしまい、雲雀が口を開く。

「カモがネギと鍋と火を持ってきた理由が『死にたいから』だったとしても、別に気に止めたりしないでしょ?」
「ネガティブなカモですね」

 無理に炎を放出しすぎた。疲労が体を蝕んで、あまり頭が回らない。いつも通りだったとしても、上手く返せる気はしないが。
 三叉槍を消し、ため息をつく。

「……本題、入りますけど」
「ワオ。入るの?」
「ハッキリさせろと言ったり入るのかと驚いてみたり……」

 つくづく、腹の立つ男だ。
 こんな少年と、なぜ昴はティータイムを楽しめるのだろう。佇む雲雀を見つめながら、骸は息を吸った。

「……首を噛んだのは、君ですか?」

 ずいぶん、遠回りをした気がする。この一言を問いたいがために。

「はあ?」
「昴の首を噛んだのは、君でしょう。と言っているんです」

 ザサッ。どこかで、壁が崩れる音が聞こえた。
 黒い双眸が、無表情にこちらを見つめている。眉間にしわを寄せ、穴を開けんとばかりに。ジッと。

「……僕に、カニバリズムの気は無い」

 その場に崩れ落ちるかと思った。

「第一声がソレで来ましたか。言い訳にしては最低がすぎますが大丈夫ですか?」
「話が掴めてないけど、冤罪だよ。多分」
「犯人はみんなそう言うんですよ。僕はやっていない、と」
「さすがに無意識で昴の首を噛むほど、僕は彼に欲情してない」
「よっ……よ、」

 よくじょう、と言う前に喉が詰まる。

「……ひ、雲雀恭弥、きみ、昴に欲情してたんですか」
「まあ、抱けるよね」

 息を吸おうとして咳き込む。呼吸の手順を間違えたのは、これが人生初だ。

「えっ、あの、君、ホモセクシュアル、は?」
「何、君そういうの気にするタイプ?世間の波に乗り遅れてるね。レイシストでもあるまいし」
「急にまともな事言うのやめてくれません?!」
「咬み殺すよ」

 ツッコミが全く追い付かない。ありえないほど早く脈打つ心臓を抱え、骸は途方に暮れた。
 今、この場に沢田綱吉が飛び込んできてくれたりしないだろうか。今日だけは心から感謝する。感謝の意を表して、3日くらいは体目当ての憑依を諦めてやってもいい。

「ていうか、噛み痕?」

 雲雀が鼻を鳴らす。「校内に野犬?」みたいな言い方だった。

「別に、首をへし折られたとかじゃないんでしょ?」
「君は昴を何だと思ってるんですか」

 それはいわゆる頸椎骨折だ。死ぬぞ。
 サッと舞い落ちる破片を避け、雲雀は何事もなかったかのようにデスクへ歩み寄る。応接室の主を出迎えたそれは、奇跡的に無事だった。

「なら、どうでもいいだろ」
「……は?」

 ありえない。猜疑の目で見据えた。イスに腰を掛けた相手は、そっちの方がありえない、とでも言いたげに眉を寄せる。

「別に怪我とか後遺症とか無いんでしょ。なら、噛み痕ひとつくらい別にどうだって」

 カッと目の前が赤くなる。血が上ると同時、全身が発火したように熱くなった。

「どうでもよくありませんよ!」

 デスクを叩く。両手の下で、ビキッと嫌な音がしたがそれこそどうでもいい。
 雲雀が顎を上げる。女王然とした態度だった。

「なんで?」
「は?」
「それが本題でしょ。キレてた理由。で、君の動きが鈍かった原因でもある」
「……勝手に決めつけないでください」
「原因が戦闘の原動力と抑制力になるんだから、矛盾もいいとこだよね」

 人間らしいけど。
 そう言い、指を組む雲雀は、まるで自分が人間じゃないような堂々っぷりだ。

「別に、そこまでキレることじゃない。昴が泣いてるとかだったら僕も考えるけど、どうせ本人は平然としてるんだろうし」

 言葉を失った。
 なぜ、この男は全て知っているのだ。まるで見てきたかのように。
 こちらを見上げた雲雀が、薄く笑う。組んだ指に顎を置き、どちらが優位なのかはハッキリわかっている、と言わんばかりの顔で。

「なんで?」
「なんで、って……」
「わかりやすく言い変えてあげようか」

 薄笑いに混じる嘲りの色。
 サトリというより神のようだった。俯瞰で全てを眺めているような、傲慢さの滲む態度。


「昴の首を噛んだのを僕だと決めつけて、半ギレで乗り込んできた理由は、何?」

 
 薄く、唇を開ける。
 言葉を発さなかったのは、意図的ではなかった。真っ白なノートを見ているように、答えが見つからなかったからだ。自分の中に。



 友情。仲間。疑似家族。
 繕える言葉はいくらでもあったはずだ。けれど、口には出せなかった。

「……理由」
「わからないな」

 呟いた骸に対し、雲雀はいかにもめんどくさそうだった。昴が数学の問題集を見るのと同じ顔で、淡々と続ける。

「そこまで荒れといて、なんで理由を言葉にできないのか」

 もしかして、と思った。デスクに悠然と構えるサトリを見つめる。
 もしかして、もしかすると。とっくに全部、知っているのかもしれない。この男は。
 自分の気持ちも、動かない昴も、濁った水槽に2人でいるような関係性も。

「焦らしプレイが好きだとか、そういう話じゃないよね?」
「じッ」

 違った。多分、いや間違いなく、思い違いだった。
 何が全部知っているかもしれない、だ。ちょっと見直そうとか思った、さっきの自分を殴りたい。

「それとも放置プレイ派?悪趣味だね」
「おもむろに人の性癖を捏造するのはやめてくれません?!」
「そうとしか思えない」

 ギシ。雲雀が、足を組みかえる。
 それが合図だったように、骸を見据える目が刃のようにぎらりと光った。

「僕は、咬み殺したければ咬み殺すし、守りたい物は守り切る」
「……知ってますよ」
「欲しいと思ったものは必ず手に入れる。それが、人間の本能でしょ」

 とっさに目を伏せた。
 欲しい。そんな簡単な三文字で表せなくなったのは、いつからだろう。

「こんな世界だ。手に入れたいものは早く手に入れておかないと、何が起きるかわからないよ」
「……よりによって、君に、そんなまともな説教をされるとは」
「特に、君が身を置く世界は」

 そういう世界でしょ、六道骸。付け加えられた言葉に、息を呑む。
 言外に、自分がいるマフィアの世界を指摘されたのは意外だった。それも、雲雀に。
 自分は裏社会に関係ない、と信じているあたりは、この少年らしいが。

「そういう場所だ。10年後の未来すら、切り替わるんだから」

 後悔してからじゃ遅いと思うけど。さらり、雲雀は締めくくる。
 正論だ。この暴君にしてはありえないほど。恐ろしいほどに正論で、当然で、的を射た論告。
 深く、ため息をつく。今なら、この応接室に足元から沈めそうだ。そんな現象が起きたら、目の前の男なんかは手を叩いて喜びそうだが。
 雲雀恭弥が手を叩き爆笑。字面だけで精神的ダメージがひどい。一生、拝みたくない光景だ。

「……シチューの、鶏肉は好きなんですよ。僕も、昴も」

 唐突な発言に、雲雀は眉ひとつ動かさなかった。
 憎たらしい。始めからシチューの話しかしてなかった、みたいな顔だ。

「へぇ」
「まあ、最近はもっぱらウインナーなんですけど」

 今日は半額だった、と誇らしげに袋をかかげる昴の顔。つい先ほどのことみたく思い浮かぶ。
 ウインナーとか外道ぴょん、としょげる犬に、じゃあ犬は肉抜きだね、とすばやく切り込む千種。それをおろおろ見ているクロームに、ケンカすんな、とスーパーの袋を投げつける昴。
 あそこは、自分の居場所だ。口にはしなかった。決して、態度にも表さなかった。それでも。
 友情。仲間意識。疑似家族。血の繋がりの無い兄弟姉妹。

「で、最後に残しておくんです。鶏肉は」
「好物は最後に残すタイプなのか。君も、昴も」
「まあ、そんなとこですね」

 金属音も、打撃音も交わらない会話。雲雀恭弥と2人でいるのに、ずいぶんと穏やかな空間だった。沢田綱吉が飛び込んで来たら、ひっくり返ってひきつけを起こすだろう。

「……だから、そういうことなんですよ。きっと」

 呟く。力のない締めに、けれど雲雀は目を細めただけだった。

 友。仲間。親友。家族。昴は、そのどこにも当てはまらない。
 カテゴライズできない感情など厄介だ。世界は二分できると信じていた骸にとって、昴の存在は脅威に近い。
 好きか嫌いか。利用できるか憎悪するか。世界にはそのどちらかしかない。はずだったのに。
 そのど真ん中に、昴は居座って離れない。

「やっぱり、焦らすのが好きなんじゃないか」

 爪先から床に沈むかと思った。

「ド変態だね。引いた」
「ちょっ、ちょっと待ってください。今の僕の話、聞いてました?!」
「聞いてたよ」
「絶対に大嘘」

 真顔で言われるが、信ぴょう性はゼロだ。

「じゃなきゃ、僕が変態だという結論に至るワケがないでしょう?!」
「好物は最後にとっておくんでしょ?鶏肉も昴も」
「食べ物と同列にするのはやめてくれませんか?!」
「鶏肉より大事なの?なら、なおさらじゃないか」

 雲雀が口端をつり上げた。テンションが完全にいじめっ子と同じだ。それも、小学生ぐらいの。
 頭痛がする。ここが敵の自室でなければ、両手で頭を抱えて床に突っ伏していた。

「……あのですね、デリカシーの欠片もない君にはわからない話かもしれませんが」
「暴言を挟むのやめてくれる?」
「僕と昴はけっこう複雑な関係なんですよ。こう見えて」
「シチューの鶏肉とスプーンの関係?」
「ああぁあもう話がまとまらない」

 耐えるのはやめた。骸はその場にずるずると崩れ落ちる。
 我慢のしすぎは体に良くない。ストレスはいつだって、人間をむしばむ悪因なのだ。

「もうどうでもいいです、とりあえず君が噛んだんじゃないんですね?」
「噛んでいいなら噛むけど」
「いやダメに決まってるでしょう?!」

 何言ってるんだこの男。頭を抱えつつ、目をつぶった。上から降ってくる、悪意ある笑声が心から憎い。

 雲雀恭弥は、洞察力にも富んでいる。
 つまり、なんとなくわかっているのだろう。この男も。そう思った。心底気に食わない相手でも、事実は事実として認めなければならない。
 だから言葉にはしなかった。どれだけ大事に取っておいても、食べた瞬間に好物はなくなってしまうんですよ、とは。


 家族愛なら永遠だけれど、恋愛はいつか終わるでしょう。とは。

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