1.せんせいとおかあさん


周りの友人はみんな、部活やら生徒会やらで青春を謳歌しているようだ。それを羨ましいと思わないわけでは決して無い。
しかし私にはこれと言って熱中できるものとか人よりも得意なものなんて特に無かった。今思えば逆に部活なんかを機にそれを手に入れようと努力するべきだったとも思う。まぁ後悔したところで今更どうしようも無いのだけれども。
幸い、夢だけははっきりとしていたから、それに必要な勉強は少なくとも十分にしてきたつもりだ。それでもどこか虚しさが付いてまわるのが、私の今までの高校生活だった。
しかしてそんな私にも、最近少し楽しい時間ができたりもした。


「なぁ魚見」

「なに?」

「点Pって、なんで動くんだ」


その男の子は、至極真剣な顔をしながらそんなことを聞いてきた。その手元には数学のテキストがある。
ちょっと吹き出してしまいそうになると同時に、いたずら心が疼いた。


「そりゃ動くでしょう、人間だもの」

「点P人間だったのか!?」

「うん」

「そうなのか…なんか点Pに一気に親近感わいた」


その子は驚愕の表情を浮かべながらテキストに向き直ったのだった。あまりにもつっこみどころが満載で思わずほっこりとしてしまった。まぁ私のせいなのだけれど。


「それにしても数学相変わらずわけ分かんねーなぁ…数学強い」

「でも、木兎くんが数学になんか負けるわけないよ。木兎くん私よりも地頭良いし。倒す方法と手順を知らないだけでしょ」

「!」


木兎くんは一瞬びっくりしたような顔を見せると、次の瞬間途端にパアァと笑顔になった。そして“え、あれ俺って頭いいの?”なんて聞いてくるものだから“うん”とだけ返した。
別におべっかを言っているわけではなくて本心だ。木兎くんはまるで子供のように純粋で、脳みその情報吸収力が並外れていると思う。本人曰わく小さな頃からバレーに打ち込んできたらしく、勉強らしい勉強をしたことはあまり無いらしい。変な固定概念や間違った基盤すら無い分、物凄く素直に物事を吸収していってくれる。


「木兎くん、天才なんじゃない?」


…今年度はじめ。
進路相談の折にずっと抱いてきた小学校教諭になるという夢を担任に告げると、担任は目の色を変えたように木兎くんを私の前に差し出してきたのだった。曰わく“コイツを小学生だと思って勉強教えてやってくれ。きっと魚見の将来の大きな糧になる。多分”とのことだった。
あまりにも担任の表情が切実だったからノリで頷いてしまったけれども、今になってみたら教える立場としてこんなに楽しい相手は他にはいないと思っていたりする。
蓋を開けてみたら前述のように木兎くんは物凄く素直だったから、この前の期末試験では早速成果を上げてくれた。数学を除けば赤点は無し。むしろ暗記系科目なんて平均点よりも少しいいくらいだった。


「俺天才!?ヘイヘイヘーイ!!」


ああもう、なんて可愛らしいのだろう。とにかく母性本能が鷲掴みされたような感覚に陥った。こんなに大きな子にそんな感情を抱くのはどうかと思うけれども。
…そんなかんじで、ここ最近は木兎くんの部活終了後に数学追試に向けての勉強会のために、バレー部の部室にくることが日課となっていた。
時刻は19:30。部活終了後でもうへとへとだろうに底抜けに元気で明るい木兎くんを見ると、なんだかこっちまでテンションが上がってくるから不思議だ。

…しかしてそんな平和な時間を過ごすなかでも一つ、気になることがある。


「…………。」

「…………。」


この勉強会の合間じゅう、常に毎回バレー部の部室内には同席者がいたのだ。2年生の男の子。
その子が今まさに、もの凄く冷たく鋭い視線で私を睨んでいる気がするのだ。


「解けたー!!
なぁなぁ赤葦見て!俺、こんなわけ分からねぇ問題解けた!」


よっぽど嬉しかったらしい木兎くんは、テキスト片手にその“赤葦くん”という男の子のもとに駆け寄って行ったのだった。


「…すごいですね。さすがです木兎さん」

「だろー!?ヘイヘイヘーイ!!」


赤葦くんは、無表情のまま至極淡々とした口調で木兎くんを褒めたのだった。


「…あと、」

「?」


そんな二人を眺めていると、赤葦くんとまともに目が合ったのだった。一気に身体が強張ったような気がした。


「さすがですね、魚見さん」

「!?」


赤葦くんの目は、まるで嫁をいびる姑のようなそれだった。額に冷や汗が滲んだ。
詳しくなんて分からないけれども、なんとなくこの赤葦くんという男の子は、バレー部内で木兎くんの保護者的存在なのだと思う。
まさに今の状況だって、木兎くんと彼はさながら勉強を終えて褒めてほしい息子とそれを優しくいなす母親だ。
となると私は、そのお母さんにとって何か気に食わない指導を息子さんにしてしまっている指導者、となってしまっている可能性も無きにしも非ず。
たしかに点P人間説の件とか、心当たりが無いわけでもない。


「あ、ありがとうございますっ…!」

「?」


私は迷うことなく頭を下げた。
なかなか小学校の先生とPTAの関係性は、難しいものだと聞く。果たしてこれが正しい対応かどうかは分からない。
しかしてやっぱり担任が言ったように、この経験は間違いなく自分の糧になる。
そんな形でこの状況に感謝しつつも、どうしても額には冷や汗が浮いて仕方が無かったのだった。


.

ALICE+