ああ、疲れた

 金曜日、業務終了の開放感で周りは飲みに行く人が大半で。
数個のグループの間を縫って、声をかけられないようにそそくさと会社を出た。

こんな疲労を抱えながら更に笑顔を貼りつけなきゃいけないなんて冗談じゃない。

一刻も早く安息の我が家へ辿り着きたくて、帰路に向かった。



 駅を出て家までは15分、低いヒールを引き摺るように歩く。
木枯らしに身を固くしてとぼとぼと歩みを進めていると、少し先のコンビニの灯りが目に入った。

 …正直買い物するのも面倒くさい。
 だけど自炊する気力すら、お湯を沸かす気力すらないのは悩まなくても分かりきっていた。

 優しくて、お料理上手で、紳士でかっこよくて、笑顔がとっても可愛い私の恋人とは、もう二週も会えていない。
 食への優先順位が低かった私に「栄養が偏らないように」と冷蔵庫に入れられた作り置きも、一週間前に尽きていた。

 ほとんど料理をしない我が家のキッチンはすっかりサンジ仕様になっていて、
ザクザク、ぐつぐつ、ジュージュー、
そのうちに漂ってくる美味しそうな香りに我慢出来ずに彼の側に引き寄せられてしまうのだ。


 サンジのご飯が食べたいなぁ…
はぁ、と一息付いて爪先をコンビニの方へ向けた。




 「そこの麗しいレディ、今お帰りですか?」

 急に掛けられた声に驚き振り向くと、見慣れた金髪の、求めて止まない温かな人が恭しくお辞儀をしてそこにいて。

「サンジ!なんで?」

驚いて、だけどすごく嬉しくて、彼の側に近づくと、
「なまえちゃんが、おれを呼んだ気がしたから」
なんて冗談を、得意げな子供みたいな顔で言うから。

「すごいねサンジ、テレパシーでも使えるの?」
「なまえちゃん限定でな」

 本当はおれが会いたかっただけなんだけど、
優しく髪を撫でて、とびきり甘い顔をするもんだから。
気温はさっきと変わらないのに、胸の奥からじんわりあたたかくて。
今すぐ抱きつきたい衝動を抑えて、少し冷えたサンジの手に自分の手を絡めた。



 さっきまであんなに重かった足が、今はスキップし出しそうなほど軽いから私も大概単純だ。

「今日は何作るの?」
「頑張り屋のなまえちゃんには、おれ特製、身も心も温まるとっておきの鍋をご用意いたしましょう。」
「やった!お鍋大好き!」
「…ちょっと今の大好きの部分だけもう1回言って…」

えー?と揶揄うように照れ臭さを誤魔化して、じゃれあって。

 だけど、嬉しさの余り忘れていた疑問が不意に浮かぶ。
 オーナーの不在により休みなくコックの指揮を取っていた彼と、繁忙期に入った私の休みが重なるのはまだ先だった筈だ。

「サンジ今日は早く上がれたの?明日もお仕事だよね?」
「クソジジィが予定より早く戻ってきたから、新メニュー叩きつけて休み奪ってきた」

だから明日も休みだよ。その言葉にわかりやすく顔を明るくした私をみて、
サンジはおかしそうに笑いながら「かぁわいいなぁ」とこぼした。




 お腹いっぱい、体はぽかぽか。
火照った身体を冷ますようにぼんやりしながらソファに沈む。

 サンジが作ってくれた「身も心も温まるとっておきのお鍋」はあったかくて、とびきり美味しくて、ほっぺたどころか顔まで溶けてくるんじゃないかと思った。
 片付けくらいは、と買って出た私に
「今日はなまえちゃんを甘やかしてやりてぇからさ」
とお風呂を進められれば、断る術もなく。
いつも甘やかしてくれるくせに…

 お風呂に入って芯まで温まった身体に容赦なく眠気を運んでくる。
サンジがお風呂から出たらせめて飲み物だけでも入れてあげたい。
悲しいけど私がサンジにできることってそのくらいだ…

 明日は朝寝坊して、お家でゆっくり過ごそう。
出かけるなんて勿体ない。
独り占めできる時間をできるだけ長く感じたい…
ーーーー



「あーあ、まだとっておきが残ってたのに…」

 ソファで満たされた顔で眠っている恋人に、
サンジは濡れた髪を拭きながら、困ったように笑って側に腰を下ろした。

緩んだ額にひとつ口付けを落として

「おやすみ、なまえちゃん…」

良い夢をーーー


 

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